第328話 想いの寄る辺④

 その時。

 久遠真刃は沈黙していた。

 彼の――骸鬼王の周辺には、無数の鬼火が集っていた。

 ジェイの術式から解放された引導師の魂たちである。

 真刃は解放した時点で自身の術式――《精霊殿ザ・フォレスト》を解除していた。

 八割ほどの魂たちはそのまま輪廻の輪に還ったようだ。

 だが、ここにいる残り一割の魂たちは輪廻の輪に還ることをよしとせず、従霊と成るために真刃の元に集ったのである。


『……想像以上に残ったな』


 鬼火状態の猿忌が言う。


『流石は我が主。根こそぎ奪い取ってやったか。これで名付きはほぼ無力化できたものとみていいだろうが、彼らはどうする? 主よ』


「……仕方あるまい」


 真刃は双眸を細めた。


「名は後に与えよう。集え。新たな従霊たちよ」


 精霊殿の主としてそう命じる。

 直後、宙空に浮かんでいた千に近い鬼火たちが輝きを増した。

 鬼火たちは次々と骸鬼王の巨躯に吸い込まれる。灼岩の巨躯は激しく鳴動し、巨獣はさらに一回りほど巨大化した。その全高はもはや百メートルにも至るほどだ。

 骸鬼王が咆哮を上げる。それだけで大気は震えた。

 それどころが大地まで揺れているようである。


「うわ、うわ、うわっ!」


 真刃の肩の上に乗ったホマレが目を丸くして彼の肩を強く掴んだ。


「……む」


 真刃は少し考えた。

 こうして器を顕現した以上、この娘を担いでいる意味もない。

 真刃は重い腕を動かしてホマレの首根っこを掴み、自分の前にぶら下げる。


「……うわ」


 猫のように扱われたホマレが目を瞬かせた。

 そして、まじまじと真刃の顔を見やると、不意に想定外の台詞を吐いた。


「本当に桜華ちゃんの旦那さんだった……」


「……なに?」


 真刃は眉をひそめた。

 意外な名前が出てきて、猿忌を始め、従霊たちも少し驚いている。


「何故、お前が桜華の名を知っている?」


 真刃がそう尋ねると、


「えっとね! ホマレは桜華ちゃんの親友で相棒なんだよ!」


 嬉しそうにホマレが答える。


「ホマレは電脳系の引導師ボーダーなのっ! 陰からずっと桜華ちゃんをサポートしてたのっ! だからダーリンのことも知っているよっ!」


 そう言うと、手を伸ばしてパタパタと足と共に動かし、


「本当に運命感じるよっ! ううん、これはもう運命だよっ! ダーリン! これで刀歌ちゃんとの姉妹丼改め師弟丼のみならず、ホマレとの相棒丼もいけるようになったよ!」


「いや、お前の言っている意味がよく分からんのだが……」


 真刃は眉をひそめたまま、鬼火の一つに目をやった。金羊である。


『……えっと』


 金羊は少し困惑した声を上げて、


『流石に訳したくないっス』


 素直な意見を告げた。

 真刃はますますもって困惑した顔をした。

 一方、ホマレは両頬を押さえてうっとりしていた。


「……グへへ。相棒丼ならホマレは言わばデザートだね。これで桜華ちゃんのエッチシーンをリアルタイムで見れるよォ。その後のエッチは少し怖いけど、それ以上のメリットが……グへへ、グへへェ……」


 口元からじゅるりと涎まで零して。

 見た目美少女がしてはいけない笑みを浮かべている。

 真刃は、何とも言えない顔をしつつホマレを降ろした。


「とりあえずそこら辺にいろ。ここならば敵を危惧する必要もなかろう」


 そう告げた時だった。

 ――ズズンッ、と。

 振動が響く。


「うひゃあッ!?」


 ホマレが、ビクッと震えて跳び上がった。

 真刃は外の光景に目をやった。

 そこには、六本腕の黄金の猿が近づく姿があった。


「……来るか小僧」


 そう呟く真刃。


「デッカイ猿が来るよォ、ダーリン……」


 モニターに目をやりながら、ホマレは真刃の腰にしがみついた。


「……その呼び方はやめろ」


 真刃は嘆息して、自分の帽子を被ったままのホマレの頭に手を置いた。


「お前は下がっておれ」


「や、やだよ」ホマレは顔を上げた。「怖いもん」


 瞳がわずかに潤んでいる。

 その表情は本当に少女にしか見えない。

 当人は二十六と言っていたが、それもこの容姿では信じ難い。

 もしかすると、ただの子供の虚言だったのかもしれない。


(……やれやれだ)


 真偽を確かめようはないが、結局のところ、真刃は子供に優しかった。再び溜息を零しつつも「ホマレ」と、穏やかな声で名を呼ぶ。

 初めて名前で呼ばれて、ホマレは「え?」と目を瞬かせた。


「お前が不安を抱く必要はない。あやつにオレが負けることなどないのだからな」


「…………」


 ホマレは真刃の顔を見つめる。


「信じてくれるか?」


 真刃は問う。

 ホマレは数瞬ほど沈黙していたが、


「……うん。信じる」


 帽子の鍔を両手で掴んで深く被り直し、こくんと頷く。

 そして、耳やうなじまで赤く染まったホマレは視線を逸らして、


「そ、そだね。うわあ、なんか今、急に自覚した。ホマレはもうダーリンの女なんだって。相棒丼とかの前に、今夜この人に女にされちゃうんだって本能が告げてきたよ。うん。だったらここで迷惑ばかりかけちゃダメだよね」


「……いや。その件は本気でいらんからな。報酬は一切いらんからな」


 と、真刃は真顔で言うが、ホマレは聞いていないようだ。

 ふらふらと歩き出すと、鬼火状態の従霊たちの前にて真刃の方を向いて正座する。

 見た目が北欧系の美少女でありながら、なかなか様になった座り方だった。

 それから三つ指をつき、


「ここで半裸待機しておりますので頑張ってください。ダーリン」


 そんなことを言った。

 真刃は、どこか遠くを見るような表情を見せた。

 何というか、とても疲れた気分だった。


(……まあ、後で考えるか)


 ともあれ、これで迎撃の準備は万全となった。

 真刃は改めて黄金の猿に目をやった。

 全高は三十五……いや、四十メートルほどか。

 模擬象徴デミ・シンボルの大きさではない。

 間違いなく象徴シンボルだ。

 決して弱敵ではないだろう。

 だが、


「今のオレは容赦がないぞ」


 真刃は不敵に笑う。


「心してかかってこい。小僧」









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