第349話 遠き日の名前➄

 そうして深夜。

 とあるホテルの一室にて。

 真刃はソファーに腰を掛けていた。

 目の前にはローテーブル。

 その上には起動したノートPCと、ブランデーを注いだグラスが置かれている。

 

 ……カラン、と。

 グラスの中の氷が鳴る。

 

 真刃はグラスを手に取って口元に運んだ。

 ゆっくりと嚥下する。

 しばしの間、その余韻を味わって、


「……酒の味も多様になったものだ」

 

 そう呟く。

 真刃は自他ともに認めるコーヒー派だ。

 酒は滅多に呑まない。

 苦手ではないし、不味いとも思わない。

 しかし、酒の醍醐味の一つとも言える心地よい酩酊感が真刃にはないのだ。

 どれほど呑んでも一切酔うことがない。

 恐らく業務用アルコールでさえ、この体は即座に分解することだろう。


 ――あの男が生み出したこの怪物の肉体は。


「……ふん」


 それでも今日は少し呑んでみたい気分になったのだ。

 と、その時。


「……う、ん」


 小さな声が聞こえた。

 目をやると、それはベッドの上で丸くなっている六炉の声だった。

 少しは整えていたはずの髪はすでにいつもの乱れザンバラ髪。ガウンを無造作に羽織っただけで、雪のように白い素肌を露出させて眠っている。


 六炉は部屋に戻ると、すぐにシャワールームに飛び込んだ。

 よほど化粧が嫌だったのだろう。まるで滝行のような勢いで水浴びをしていた。

 その後、水滴を拭いきれていない頭を真刃にタオルでゴシゴシと拭いてもらい、しばらくは真刃の隣に座っていたが、ウトウトと舟を漕ぎ始めた。


 六炉にとって正装することは、けっこう疲れることらしい。

 真刃はそんな彼女を抱き上げて、そのままベッドに寝かしたのである。


「……うう、ん」


 再び声を零して、六炉は、ゴロンとひっくり返る。

 そんな彼女を見やり、


「……やれやれ」


 真刃はおもむろに立ち上がり、シーツを掛け直してやった。

 それから彼女の髪を柔らかに撫でる。

 眠っていてもその温もりは分かるのか、六炉は幸せそうに口元を綻ばせた。

 真刃は少し微笑むと、再びソファーに戻った。

 そして、


「金羊」


 ノートPCに声を掛ける。

 すると、すぐにデフォルメ姿の金羊がポップアップした。


「七奈から受け取った画像から何か分かったか?」


『うっス。分かったことから報告するっス』


 金羊はそう切り出して、


『まずは顔がよく分かる画像から出すっス』


 同時にウィンドウが開かれた。

 それはオリジナルのデータから可能な限り精査に解像した画像だった。

 そこには三人の人物が映っていた。


『七奈ちゃんが言ってた通りの三人組っス。一人は少年。推定年齢は十五歳。白髪白眸は染めてるとか、カラコンとは考えにくいっスね』


 真刃は鋭い眼差しで白い少年を見据えた。

 そうして、


「……ふむ。猿忌よ」


 真刃は従霊の長の名を呼ぶ。

 真刃の背後にて猿忌が顕現した。


「こやつをお前はどう思う? 率直に言ってくれ」


『……そうだな』


 あごに手をやり、一拍おいて猿忌は答える。


『……似ておるな。主の少年期の顔立ちに』


「……ああ。オレ自身もそう感じた」


 指を組んで真刃も言う。


『確かに顔立ちは似てるっスね。流石にそっくりってレベルじゃないっスけど』


 金羊もそう告げてから、『先に次へ行くっス』と言って、


『二人目は女の子っス。顔はフードで見えないっスけど、女性的な体格と骨格からして間違いないっス。わずかに見える肌質から推定年齢は少年と同じく十五歳っス』


「……この娘に関しては」


 眉をひそめて、真刃は呟く。


「これでは何も分からんな。せめて素顔だけでもどうにかならぬか?」


『残念ながら、この子はずっと顔を隠しているっス。七奈ちゃんの映像の中でも、これが一番分かりやすい画像っス』


 金羊が無念そうなスタンプと共にそう補足する。


『仮で少年を「ホワイト」。女の子を「パープル」と呼称するっス。そんでいよいよ本題っス』


「……ああ」


 真刃と、そして猿忌も視線を三人目の人物に移した。

 杖をつく白髪の老人だ。年齢的は六十代ほどに見える。


「…………」


 真刃は無言になった。猿忌も何も語らない。


『……どうっスか?』


 金羊が神妙な声で尋ねる。


『猿忌さまに知識の共有をさせてもらってアッシも顔は知ったっスけど、直接、その人物を知るご主人たちの感想としては……』


「……そうだな」


 真刃は双眸を細めた。


「仮に父が老人となれば、このような風貌になるだろう程度には似ておるな」


『うむ。そうだな……』


 猿忌も言う。


『だが、やはり当人ではなかろう。この姿は若すぎる。六炉ほどの魂力の量、もしくは桜華のように操作に卓越しておれば老化もある程度は抑えられるとは思うが……』


 そこで『ふん』と鼻を鳴らす。


『あの男では無理だ。狂人ではあったが、引導師としては極めて非才。ここまで老化を抑えて今代まで生き延びることなど到底できまい』


オレも同意見だ。だが……」


 そこで真刃は右腕を自分の前に上げた。


「お前はどう思う? 鳥擬き・・・よ」


 そう尋ねる。真刃の手には鳥擬き――悪魔デビルの頭部が吊るされていた。

 悪魔デビルの首は「クワクワクワ……」と鳴くと崩れていった。

 そして、


「……いきなり酷いのである」


 その声は部屋の入口辺りから聞こえてきた。


「出会い頭に首をもぐなと言いたいぞ」


「ふん。ならばそれ以上近づかないことだな」


 真刃は悪魔デビルに目をやり、ソファーの背に腕を乗せて言う。


「貴様のような胡乱な輩を、眠る六炉に近づけさせる気はない」


「……クワワ」


 真刃の宣告に、悪魔デビルは肩を落とした。


「ここまで近づいても陸妃が起きないのは、私に敵意や殺意がない証だと思うのだが、まあ、こちらは夜分に押しかけた身だ。いいだろう」


 悪魔デビルはその場で止まった。


「意味もなく貴重な残機を減らされるのも御免である。さて」


 一拍おいて、


「私の意見を聞きたいということだな。単刀直入に言おう」


 悪魔デビルは長い指でノートPCを指差した。


「その男は『久遠刃衛』当人だ」


「…………」


 ノートPCを無言で見やる真刃。


「我が父が生前に追っていた男だ。父にはついぞ見つけられなかったがな」


「……お前の父だと?」


 真刃は再び悪魔デビルを一瞥する。


「どういうことだ? お前の父はあの男と因縁でもあったのか?」


「クワクワクワ」


 悪魔デビルは笑う。


「因縁と言えばあったのだろうな。だが、それはもう過去のことだ。それよりも」


 足元から徐々に姿を消しつつ、悪魔デビルは言う。


「今宵、私がここに訪れたのはお前に忠告するためだ。全知である私も、因果なき相手だけはなかなかに見通せぬ。だが、伝えれることは伝えよう」


 そう切り出して、


久遠くおん五刃ごじん


 悪魔デビルは語る。


「お前も含めて久遠刃衛が生み出した五振りの刃。気を付けよ。お前の弟妹たちの在り様は、お前ほどに人ではないようだ」


「…………」


「等しく兇刃であると思うことだな。そして、それらの刃以外にも、お前は再び最悪の刃とも相まみえることになるだろう」


「……それはまた予言か?」


 そう尋ねる真刃に、悪魔デビルは「クワワ」と笑う。


「いつぞやのように詩にしても良かったが、どうも不評だったからな」


 一拍おいて、


「クワワ。あの時の詩もまだ最後の詩が残っているな。ここに至って、あの詩が何を示すのか分からない訳でもないだろう?」


「…………」


 真刃は鋭い眼差しで悪魔デビルを睨み据える。

 そうこうしている内に悪魔デビルの体は半分以上消えた。


「彼女に関しては、お前と彼女が決めることだ」


 そう告げて悪魔デビルは完全に消えた。

 真刃はしばし悪魔デビルが消えた場所を見据えていたが、


「……ふん」


 小さく鼻を鳴らした。

 そして天井を見上げて、


「……本当に面倒事ばかりだな」


 嫌な予感ほどよく当たる。

 真刃のそんな呟きは、夜の静寂に消えていった。




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特別投稿期間、ラストです!

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