幕間一 刃突き立つ洞

第350話 刃突き立つ洞

 風が吹く。

 心地よい森の風だ。


「ハッハーン、ここは相変わらず良い風が吹くじゃんよ」


 山道に敷かれた公道の一角。

 切り立った崖の上に一人立って彼はそう呟く。


「実家に帰るのも久しぶりじゃん」


 彼は、とても変わった風貌の人物だった。

 年の頃は二十代前半か。百九十近くはありそうな長身痩躯。

 髪の色は明るい緑色。長髪であり、なびかせるかのようにオールバックにしている。左耳には十字架の装飾具を着けていた。目元は丸いサングラスで隠している。

 衣装もまた奇抜だ。分類するのならばライトグリーンに輝く神父服。しかし、肩や二の腕辺りは分厚い鉄板でも仕込んでいるかのように膨らんでいる。


 そして最も奇抜なのは左手だった。

 袖から出た左手が、細い銀色の鎖で覆われているのである。

 ――いや、よく見れば、左手そのものが鎖で出来ているのだ。

 さらに言えば、そこはガードレールもある公道とはいえ、歩いて来られるような場所ではないというのに、乗り物の類はどこにもない。

 それもあって、青年にはまるで突然そこに現れたかのような異質感があった。


 だが、当人は全く気にしていないようだ。


「さてさぁて」


 青年はその場にて屈伸した。

 念入りに何度か繰り返す。

 そうして、


「たっだいま――ッ!」


 信じ難い脚力で遥か崖下に向かって大跳躍した。



       ◆



 ……コポコポコポ。

 大きな泡が水槽の中で浮上する。

 そこには巨大なカプセルが二つあった。

 緑色の溶液に満たされた人間が入れるようなカプセルだ。

 事実、それぞれのカプセルには一人ずつ人間が入っていた。

 一人は老人。そしてもう一人は三十代ほどの男性だ。

 二人とも全裸であり、眠っているのかピクリともしない。


「…………」


 その二人を見据える者がいた。

 紫色の神父服に似た制服を着た少女だ。

 深々と被ったフードの下から観察している。

 そして、


「ねえ。白数刃しらかずは


 カプセルを操作する真っ白な少年に目をやって声を掛ける。


「これって成功したの?」


「問題はありません」


 少年――白数刃は即答する。


「ダウンロードは終了しています。じきに覚醒されます」


 そう告げると同時に、男性がゆっくりと瞼を開いた。


「覚醒を確認」


 それを視認して、白数刃はカプセルを操作する。


「調整液を排出します」


 目を覚ました男性の方のカプセルの液体が凄い勢いで下がっていく。

 膝まで抜けたところで、男性は呼吸器を自分で離した。

 そうして完全に排出されると同時に、カプセルが開いた。

 男性がカプセルから出てくる。

 次いで、近くの椅子に掛けていた黒い羽織を自分の肩にかけた。


「………」


 男性はまじまじと自分の手のひらを見据えた。

 二度、三度と指を動かしてみる。


「動作に問題はないが……」


 男性は振り返り、カプセルのガラスに映る自分の姿を見やる。


「肉体年齢は三十一か。とうとうここまで老いたか」


 ギリと歯を軋ませる。


「複写体もコピーを繰り返せばやはり限界があるな。劣化ばかりはどうにもならんか。そろそろ新たな延命法も考えねばならんな」


 ふん、と鼻を鳴らす。


「まァよい。しばらくはこの肉体も持つだろうしな」


 言って、再び振り返って歩き出す。と、


「父上」


 白数刃が男性に問う。


「元の肉体はいかがいたしましょうか?」


「……ふん」


 男性はカプセルの中にて眠る老人を一瞥する。

 周囲には久遠刃衛と認識されている老人だ。


「このまま保管しておけ。次の延命法の研究に使えるやもしれん」


「了解いたしました」


 白数刃は頭を垂れてそう返す。

 が、すぐに顔を上げて、壁の方に視線を向けた。

 見物していた少女も同じ方向を見ていた。


「どうした?」


 眉をしかめて男性が同じ方向を見やると、


「おお~。久しぶりじゃん。親父殿」


 一体いつ現れたのか。

 陽気に手を振る長身痩躯の男がいた。


「なになに? いま若返ったところかい? ハッハーン、相変わらず親父殿はアンチエイジングに余念がねえじゃんよ」


「……破刃はじんか」


 男性――新たなる久遠刃衛はますます眉をしかめた。


「戻ってきておったのか」


「おうさ! 親父殿!」


 破刃と呼ばれた青年は腰に片手を当てて、右腕を天に突き出した。


「久遠家三男! 久遠破刃瓢濫はじんひょうらん! ただいま帰ってきましたぜッ!」


 そう言って、ニカっと笑う。


「お帰りなさいませ。兄上」


 白数刃が深々と頭を下げた。


「おう! カズも久しぶりだな! 元気にしてたか! つうか、おおう!?」


 そこで破刃は口元を丸くした。

 次いで、こちらの様子を無言で観察していた少女――影刃の元に一瞬で移動し、彼女の両腰を掴んで大きく抱え上げた。


「おいおいマジか! マジかよ! まさかオレさまに妹ちゃんが生まれてたのかよ! フオオオッ! 妹ちゃん! 名前はなんつうんだ!」


「名前は影刃かげは。けどあーし血統ベースは」


 長身の青年に持ち上げられたまま、影刃は言う。


「厳密に言えば、あんたの妹っていうよりも姪に近い存在だよ」


「ハッハーン! 些細な話さ!」


 破刃はニカっと笑って、グルグルと影刃を抱えて回転した。


「カゲハちゃんか! とにかく待望の女の子じゃん! 久遠家は男ばっかでむさ苦しくて残念だったからさ!」


「…………」


 力任せに回転させられても影刃は無言だった。


「騒々しい。浮かれるな。破刃」


 その時、刃衛が口を開いた。


「それよりも、小生のめいは果たしたのか?」


「――もちろんじゃんよ!」


 影刃をその場に降ろして、破刃は軽快なタップダンスを披露する。


「このオレさまが親不孝なんてする訳ないじゃんかよ!」


「……ふん」


 刃衛は双眸を細めた。


「ならば、小生に成果を見せてみよ」


「ラジャー!」


 破刃は敬礼をした。

 すると、破刃の近くに大きな虚空が開かれた。


「よいしょっと」


 破刃は鎖で造られた左腕を虚空に向ける。

 左腕は崩れて、無数の鎖として虚空に吸い込まれていく。

 そして、ズズズ、と。

 巨大なる虚空から、鎖に絡めとられて紫色に輝く鎧が取り出された。


 異様な鎧である。

 全身は丸みのある西洋甲冑。だが、その大きさは成人男性の二倍ぐらいはある。両膝をついて鎮座するその姿は、獣の頭部を象った兜もあって獰猛な大型獣を思わせる。


「――超獣鎧装ちょうじゅうがいそう・《ベヒモス》」


 破刃が告げる。


「わざわざオレさまが海外まで出張してお持ち帰りしたお土産じゃん」


「……ふむ」


 刃衛は紫色に輝く巨鎧を見やる。


「伝承よりも随分と小さいな。だが、この威は本物か」


 一拍おいて、


「これで確保した神威霊具は四つ目だな」


「おうよ!」


 破刃がニカっと笑う。


「けど、こいつは他の三つに比べてマジで節操なしだぜ。こうして呪鎖でも使わなきゃ触っただけで契約者にされちまう。親父殿は小せえとか言うけどよォ、こいつを管理してた連中が苦し紛れに契約しやがってさ。もう大変だったじゃん」


 深々と嘆息する。


「これはオレさまが削って削ってようやくこのサイズになったんだ。おかげでお気に入りが何個も潰れちまったし。もし契約者が適応でもしちまってたら、流石のオレさまでもヤバかったじゃんよ。マジでオレさまのを使うか、小兄者しょうあにじゃに応援でも頼まんとダメだったかも」


「……ふん。至刃しじんには別の仕事がある。それはお前の仕事だ。いずれにせよ、お前一人で事が足りたのなら問題ない」


 刃衛は白数刃に目をやった。


「白数刃。《ベヒモス》を禁忌庫に運んでおけ」


「了解いたしました」


 白数刃はそう答えると、自分の虚空に巨鎧を沈めた。

 一方、その様子を見やりつつ破刃は、


「で、オレさまは次どうすればいいじゃんよ? ああ、そういや」


 そこで、腕の形に戻した左手をあごにやる。


「この国にも大兄者おおあにじゃを殺したっていう神威霊具があったんだよな。帰国のついでじゃん。それも頂いちまうか?」


「……いや、それよりもお前にはやってもらいたいことがある」


 刃衛が破刃を見据えて言う。


「とある《隷属誓文ギアスレコード》の誓文書の確保だ」


「へ? 誓文書?」


 破刃が腕を組んで小首を傾げた。


「それって紙ってことかい? 今時そんなんあんの? アプリじゃねえの?」


「今代のモノではないゆえに誓文書だ。いや、待て」


 刃衛は腕を組んであごに手をやった。


「あの夜の様子を見る限り、あやつの《制約》は未だ生きておる。だが、すでに当時の組織はなく、大きな戦争もあった。そんな中でも消失せず、百年を経てもなお継続しているということは文書での契約とは考えにくい。霊具にでも刻んだ可能性が高いな」


 刃衛は改めて「破刃」と声を掛ける。


「確保するのは《隷属誓文ギアスレコード》の誓文書、もしくはそれが刻まれた霊具だ」


「ラジャー!」


 破刃はかかとを鳴らして敬礼した。


「捜索物の詳細は後で伝える。それまでは休んでおけ」


 刃衛はそう続けて背を向けた。


「おう! サンキュー、親父殿!」


 破刃は陽気な笑みを見せて、その背中に手を振った。

 ペタペタ、と。

 裸足の刃衛はコンクリートの廊下を歩く。


「この機で破刃が戻ってきたことは僥倖か」


 ポツリと呟く。


「同盟の顔を立てて初手はあの化け物に譲ってやったが、こうして出来た時間。小生としては因縁深き愚息にいかなる手を打とうかと悩んでいたところだったが……」


 数瞬の沈黙。

 裸足の足音だけが廊下に響く。

 そうして久遠刃衛は双眸を細めて、


「折角の時間だ。こちらも充分な準備をさせてもらおうか」


 ニタリと嗤った。

 

 久遠刃衛は我霊ではない。

 だが、その在り様。その心は果たして人と呼べるのか。

 いずれにせよ。

 血の宿縁は再び絡み合おうとしていた。



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