第152話 バケモノ談義➂

(……始まったか)


 久遠桜華は、双眸を細めた。

 彼女がいるのも山の麓の一角。

 しかし、他の人間とは違い、彼女は一人きりだった。

 ――いや、正確に言えば、一人ではないか。


『……桜華さま』


 首にかけた水晶の首飾り――白冴が言う。


『僥倖でございます。この付近に三体の我霊を確認できました』


 言って、ふわりと首飾りの水晶が浮いた。

 水晶は行き先を示すように、とある方向に向く。

 桜華は「そうか」と呟き、炎刃を片手に駆け出した。

 着物とは思えない軽快さで、木々の間を疾走する。


「あの女の居場所は確認できたか?」


『いえ』


 白冴が答える。


『この近くでは確認できておりません』


「そうか」


 桜華はさらに加速した。


「ならば、存分に数減らしをさせてもらう」


 双眸を細める。

 その先には、一体の怪物がいた。

 無数にある赤い瞳を輝かせる四本腕の怪物だ。


「があああああッ!」


 怪物の方も、桜華の接近には気付いていた。

 四本の腕を大きく広げて、桜華の方へと跳躍してきた。

 対する桜華も地を強く蹴って跳躍。我霊の懐に潜り込み、


 ――ザンッ!

 逆袈裟に、怪物の胴体を両断した!


 怪物は、無数の瞳を見開いて前のめりに倒れ込んだ。

 しかし、倒れ込んだ先に、すでに桜華はいない。


「まずは一体……」


 彼女は、次の標的の元へと駆け出していた。

 まさしく一刀両断。

 斬り捨てた相手は三等級であったのだが、歯牙にもかけない。


 破格の引導師、久遠真刃の相棒と呼ばれる御影刀一郎。

 くだらない嫉妬にかられる者たちには、『化け物の情夫』とまで揶揄された。

 だが、魂力が少なかろうが、御影刀一郎は決して弱者ではない。

 戦闘においては、陰太刀の中でも屈指の実力者なのだ。


 それもそのはず。

 彼女は、この時においては、まだ誰も知らないことではあるが、妄執の魔王たる天堂院九紗が、久遠真刃の花嫁として選んだ戦士なのである。

 いずれは、久遠真刃の子を宿す女。そんな大切な母体を、何の因果からか、たまたま、自分の部隊に紛れ込んでいた女というだけで選ぶはずもない。


 魂力の低さを補って余るほどの武才。

 それこそが、御影刀一郎の真骨頂だった。


 そして今。

 久遠桜華となったその技の冴えは、さらに研ぎ澄まされている。


「二体目」


 桜華は、双眸を細めた。

 裾と振袖を、大きく揺らして地を蹴った。

 その先には二体目の怪物がいる。

 ひしゃげた両脚に長い尾。銀色の鱗を持つ蜥蜴のような化け物だ。その巨体は、熊よりも一回り以上も大きい。

 化け物は長い尾を振るって、桜華を迎え撃つが、

 ――ザシュッ!

 その尾も、桜華の炎刃に両断された。

 長く太い尾が宙を飛び、木にぶつかる。化け物はつんざくような絶叫を上げるが、桜華は怯むこともなく、間合いを詰めた。そして、

 ――ザンッ!

 そのまま、化け物の首を刎ねた。

 鋭いアギトを持っていたその化け物は、茫然とした表情で絶命した。


「次はどこだ。白冴」


『あちらでございます』


 水晶が次の方向を差し示す。桜華は再び駆け出した――。




「……ほう」


 その様子を、化け物たちの王は、興味深そうに見物していた。

 場所は、御堂の山の山頂。

 これといって何もない所ではあるが、山を一望できる場所でもあった。

 そこに、道化紳士がいた。


「なかなかどうして」


 髭に手をやり、ふっと笑う。


「三等級程度では足止めにもならんか。流石は久遠君の奥方殿だ」


 今回、裏方に徹した餓者髑髏。

 魔性の道化は、この山頂で状況を愉しんでいた。


「戦士たちは未だ接敵はしていない。エリーは少しばかり遠いな。これでは結構な数を奥方殿に削られてしまうかな?」


 困ったように眉根を寄せる。


「奥方殿の参戦も控えるべきだったかな? いや、それでは久遠君が納得しないか」


 ふうっと嘆息する。が、一拍おいて、


「まあ、別に構わないか」


 餓者髑髏は、双眸を細めた。


「吾輩の目的は変わらないしな」


 言って、片手を大きく広げた。


「さあ! 戦士諸君よ!」


 餓者髑髏は、頂から謳うように声を上げる。


「魅せてくれ! 君たちの『愛』の輝きを!」


 どこまでも、ただの観客のように。

 餓者髑髏が、そう告げたその時だった。


 ――フオン。

 と、一つの灯火が山頂の一角で輝いた。

 その気配に気付き、餓者髑髏が「なに?」と振り向いた。

 すると、その場に、次々と輝きが現れ始める。


 一つ、二つ、十、百、千……。

 その輝きは、瞬く間に山頂を埋め尽くした。


 まるで精霊の園である。


「…………」


 餓者髑髏は、無言で光の園の中に立っていた。

 その中で、変化する者もいた。

 二つの灯火が強く輝く。それは地中深くへと沈み、次の瞬間には実体化し始めた。

 土塊が盛り上がり、蒼と赫の輝きが生まれ出る。

 果たして、そこに立っていたのは、支柱のような六角棍を肩に担ぐ巨大な獅子僧と、青白い炎を纏う一本角の巨狼だった。

 獅子僧の方は初めて見るが、蒼い巨狼には見覚えがあった。


 と、少し遅れて、もう一つ灯火が輝く。

 それもまた地中へと沈むと、同じく土塊が盛り上がった。

 そして――。


「……ほう」


 その姿に、餓者髑髏が興味深く双眸を細める。


『おお。これは珍しきかな』


 一方、獅子僧も、六角棍を担ぎ直して呟いた。


『そのお姿をお見せになるのも、久方ぶりであるな。太閤・・殿』


『……その呼び名はやめよと言ったはずだぞ。赫獅子』


 実体化した灯火が言う。

 その姿は、一言でいえば、猿の顔を持つ小柄な武将だった。

 黒い甲冑に、赤い陣羽織。兜には後光を示すような金の飾り。その手には、長大な穂先が炎に包まれた千成せんなり瓢箪ひょうたんの槍を携えている。さらに、背中からは骨の翼が天へ広がるように伸び、そこにもまた、六つの黄金の瓢箪が実っている。


 これこそが最後に実体化した灯火――従霊の長たる猿忌の本来の戦装束であった。

 その姿は、有識者が見れば、とある英傑を想像させるモノだった。

 猿忌は言う。


『元より、我らの戦装束は変幻自在だ。無意識に定着するのが、このいくさ姿すがたとはいえ、それが前世の縁である確証など、どこにもなかろう。生前の我は、かの英傑に、ただ憧憬を抱いていただけかもしれんしな。それよりもだ』


 そこで、従霊の長は顔を上げた。

 そして、

 ――シャリン。

 瓢箪と共に銀色の鈴を付けた槍の石突で、地を打ちつけて告げる。


『我らの主が御座おわされた』


 長の言葉に、獅子僧と、蒼い巨狼が頭を下げた。

 同時に、精霊の園が輝きを増した。

 その一方で、餓者髑髏は円筒帽子シルクハットの鍔を手に、天を見上げた。

 すると、そこには一頭の黒龍がいた。

 後天に伸びる二本の角に、夜に輝く白銀の鬣。

 金の宝珠を手に、大樹を思わせる巨大な龍体を、緩やかに動かしている。


「……やあ」


 双眸を細めて、餓者髑髏は声を掛ける。


「今宵もまた、月が美しくあるな」


「ああ。そうだな」


 声を掛けられたその人物は、そう返した。

 帽子を被った紳士服スーツ姿の青年。

 月の光を背に、巨大なる黒龍の背に腰をかけて指と足を組む人物。


 精霊殿の主。

 久遠真刃である。


 その隣には、もう一人、黒龍に腰をかける人間がいた。

 ――いや、果たして人間と呼んでもいいのか。

 歳の頃は十二歳ほどか。

 美麗な顔立ちではあるが、その瞳は血のように赤く、腰まで伸びた白髪には、二房、明らかに髪でないものが伸びている。垂れ下がったそれは兎の耳だった。

 白装束を纏うその少女は、黄金に輝く懐中時計を、首に掛けていた。


(……あれも式神か)


 そう観察しつつ、餓者髑髏は言う。


「さて。吾輩の元に訪れるとは一体どうしたのかね。久遠君」


「いや、なに」


 帽子を手に取り、隣の少女の頭の上に乗せ、


「互いに参戦を禁じられた身だ。貴様もさぞかし暇であろうと思ってな」


 久遠真刃は、皮肉気に口角を崩した。


「折角だ。貴様と談話でもしようと赴いた訳だ」

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