第226話 闇の呼び水➂

 西條綾香とは『女帝』である。

 妖艶な美貌に、三強の一角を担う実力。

 強欲都市グリードにおいて、その名を知らぬ者はほとんどいない。

 それほどの有名人であった。


(やれやれだわ)


 ――ズズンッ。

 地響きを鳴らして綾香は嘆息した。

 場所は、ビル群が並ぶとある大通り。

 夜の十二時を過ぎた頃。

 リムジンに乗って、アジトへと帰ろうとしていた彼女は襲撃を受けた。

 人払いの術で孤立させられた上に、十数人の引導師が襲い掛かってきたのである。

 綾香の配下も迎え撃ったが、なかなかの手練れだったようだ。

 護衛は全滅。やむを得ず綾香は《DS》を使用した。

 その姿がこれ・・だ。


 ――ズズンッ。

 再び地響きを起こす巨大な脚。綾香の模擬象徴デミ・シンボルは芽衣と同じく武装アームドタイプだった。

 その姿はほぼ裸体。しかし、肌の色は青白い紫色で、彼女の四肢や腹部、乳房はペイントされるように黒い模様が浮かんでいた。

 そして武装アームドは背中全面から生える六本の巨大な蜘蛛の脚だ。先端部の関節までを銀色の装甲で覆われた五メートルはある黒い脚。二本の脚は天へと向き、残りの四本の脚は地へと突き刺さり、彼女の体を宙に浮かせていた。


(この姿を晒すことになるなんて最悪だわ)


 小さく嘆息する。

 醜い姿である以上に、この姿には欠点もあるのだ。

 見た目的にはペイントしただけのほぼ全裸。実際には極薄の膜でコーティングされたような姿なのだが、薄い装甲に見えて綾香のこの姿は凶悪だった。

 なにせ、全身から常に腐食のガスを吐き続けているのである。ただ、そのため、真っ先に腐食して崩れ落ちるのが自分の衣服ドレスだった。その上、手間をかけた化粧や、香水さえも剥がしてくれるので本当に堪ったモノではなかった。


 うんざりする欠点だが、この切り札のおかげで敵はすでに殲滅している。

 手間だったが殺してはいない。魂力が高い男がいれば、後で隷者にするつもりだからだ。女であっても部下にくれてやればよかった。


 何であれ、魂力の貯蔵庫は多く確保すべきだった。

 その数こそが勢力の要となると言っても過言ではない。


 だがしかし、


(……魂力オドか)


 そこで綾香の瞳に微かな憂いが帯びた。

 赤い唇を、少しだけ強く噛む。

 綾香の家、西條家はかつてこの街の覇者の座に届きかけた家だった。

 父の代の話である。

 だが、彼女が十四の時、西條家は襲撃を受けた。

 相手は、近隣すべてのチームが集結した大連合だった。

 父と配下の者は懸命に戦ったが、戦力差があまりにも違っていた。

 どうにか数名の部下と綾香を逃がすことが精一杯だったのである。

 綾香は燃え上がる家を前に、西條家の復興と、強くなることを誓った。

 そのためには何よりも魂力オドが必要だった。

 綾香の最初の男は、十五歳年上の父の元部下だった。

 魂力の量だけで決めた相手である。その男ももういない。一年後の抗争で死んだ。これといって悲しくもなく、綾香は次の男を新たな隷者に求めた。


 その後、何人もの男と肌を重ねた。

 しかし、それが心地よいと感じたことは一度もなかった。流石に肉体的な快楽がないと言えば嘘になるが、それも体の最低限の反射のようなものだ。嬌声さえもほとんど上げたことがなかった。終始、氷のような眼差しで事が済むのを見届けていた。

 従って、同じ男に二度抱かれることもない。《魂結び》においては何度も抱かれる必要などないからだ。彼女にとって、これは完全にただの儀式となっていた。


 当然ながら、情事の際であっても相手に名を呼ばせたこともない。

 彼女を名で呼んでいい男は亡き父だけだった。

 自分を生かすために死んだ父だけなのだ。


 たかが儀式の相手をしただけで自分の名を呼ぼうとした愚かな男は即座に粛清した。

 愛も快楽も自分の人生にもはや不要だった。この地を手に入れた後は、隷者の中で最も才ある男を相手に見繕って西條家の後継を産めばいい。そう考えていた。


(この地を手に入れて、私は西條家を再興する)


 それだけが綾香の望みだった。

 ただ、一つだけ残念に思うこともある。

 今回の戦争の目的であり、切っ掛けともなった《雪幻花スノウ》である。

 圧倒的な実力を持つ女性・・

 本当に残念だった。もしも彼女が男性であったのなら……。


(きっと最強の子が産まれたのでしょうね。西條家の地位を盤石にするような……)


 自分の腹部に両手を添えてそう思う。

 まあ、流石に詮なきことだが。


(まずは《雪幻花スノウ》を手に入れること。話はそこからね)


 後継のことは重要だが、現状で妊娠する訳にもいかない。

 すべてはこの地を掌握してからだ。

 綾香は蜘蛛の大脚を前へと進ませた時だった。


「わあ、派手だねえ」


 そんな声が聞こえてきた。

 女の声だった。

 人払いの術はまだ有効である。ならばこの声の主は引導師ということだ。


「……新手かしら?」


 綾香は、視線を声の方へと向けた。

 大通りの中央。破壊され、黒煙を上げるリムジンを背に一人の女が立っている。

 何やら執事服に似た灰色の隊服を着た女だった。

 男物だからこそより強調される豊かな胸。見覚えがある女だった。


「あなた、《夜猫ナイトウォーカー》ね」


「おお~、ウチのこと知っているんだ」


 隊服の女――芽衣はニカっと笑った。


「知ってるわよ。けど……」


 綾香は眉をひそめた。


「少し意外だったわ。あなたってまだ無事だったのね。とっくに誰かに捕まって隷者ドナーにされているものだと思っていたから」


「ひっどォい」


 芽衣は頬を膨らませた。


「ウチ、そんなに弱くないよォ。ちゃんと無事だからァ」


「あらそう」


 綾香は目を細めた。


「けどその服は何かしら? あなたの趣味からかなり外れていると思うけど?」


 そう尋ねると、芽衣は、


「むっふっふー」


 と、鼻を鳴らして、大きな胸をばるんっと反らした。


「これはウチの隊の隊服なのだよォ。三日で用意させたんだから」


「隊服ですって?」


 綾香は眉根を寄せた。

 が、次の瞬間、悪寒を感じた。

 右腕を振って、ビルの影に隠れていた人物を攻撃する!

 ――ズバンッ!

 コンクリート壁が、サイコロのように切り裂かれた!

 蜘蛛の糸による斬撃だ。


「――うおッ!」


 と、声を上げて人影が現れる。

 それは両腕を上げて、紫の水球のようなモノを造っていた背の高い金髪の男だった。

 しかも、芽衣と全く同じデザインの隊服を着ている。


「騙し打ち? くだらない真似ね」


 そう呟く綾香だったが、ふと気付く。


「……あなた? もしかして武宮宗次なの?」


 これまた珍しい人物だ。

 SNSでは死亡説も上がっている《是武羅》の幹部である。


「どういうこと? どうしてあなたたちが一緒に行動しているの?」


「むっふっふー。武宮隊員だけではないのだよォ」


 芽衣は胸を張ったまま、パチンと指を鳴らした。


「出てきたまえ! 我が第三の隊員よ!」


 そう告げるが、反応がない。

 芽衣はムッとした顔で、別のビルの影に目をやった。


「出てきてよォ! 隊長さん命令だよォ!」


「……いや。お前な」


 するとビルの影から三人目の人物が現れた。

 年齢は三十代半ばほどか。身長、筋肉量共に相当な巨漢だ。

 サングラスに煙草を咥えたその男も、灰色の隊服を着ていた。


「不意打ちを狙っている味方を引っ張り出してどうする気だ」


 と、呆れたように呟く。


「………な」


 綾香は目を剥いた。


「あなた、獅童大我?」


 ――そう。

 現れた第三の人物は、隊服に身を包んだ獅童大我だった。


「会話をするのは初めてだな。西條綾香」


 紫煙を吐いて、獅童が言う。


「どういうこと?」


 綾香が困惑するのも無理はない。

 奇しくも、ブラマンの出場者が三人も揃った状況だった。


「どうしてあなた達が揃って行動しているの?」


「お前に教える必要はないが……」


 獅童が語る。


あの方・・・強欲都市グリードの平定を望まれているのでな。そのために、まずは三強の一角を落としに来た訳だ」


「……あの方ですって?」眉をひそめて綾香は警戒した。


「誰かしら? それは?」


「語っても仕方あるまい。お前の知らぬお方だ。だが……」


 サングラスの奥で、獅童は双眸を細めた。


「三強で落とす相手に選んだのはお前が美しいからだ。《雪幻花スノウ》と《鮮烈紅華レッドリリィ》。強欲都市グリードに咲く白と赤の二輪の華。王たるの傍らを飾るに相応しき美しさだ」


「はあッ!? 何それ!?」


 その台詞に激高したのは芽衣の方だった。


「獅童君がやけに綾香ちゃん推しだったのってそういうつもりだったからなの!?」


「……どうせ戦うのなら戦利品がある方がいいからな。それが美しき華ならば、若に献上したいと考えるのは臣として当然だろう」


 そう答える獅童に、


「まあ、それは同感だけどよ」


 と、武宮も同意する。


「この男どもは~」


 一方、芽衣は大変ご立腹だ。


「あのね、『寵愛権』を持ってるのはシィくんの地元ホームにいる五人の妃って子たちと、近衛隊の隊長さんのウチだけなんだからね! そもそも!」


 芽衣は綾香を指差した。特にその胸辺りを。


「シィくんは大きいのが好きなんだよっ! 《雪幻花スノウ》ちゃんも然り! 幾ら顔とか足とか綺麗でもあんなの対象外だしっ!」


 その指摘に、綾香はかなり不快になった。

 恋にも愛にも興味はない。情事には感慨すら湧かない。

 容姿に関しても、ただ周囲への威厳のために着飾っているだけだ。

 だが、胸の大きさでマウントを取られることだけはどうしようもなくムカつくのだ。


 ――ズズン、と。

 蜘蛛の大脚が地に突き刺さる。


「あなたたちの裏に誰がいるのかは知らないけど……」


 同時に、綾香が両腕を左右に広げた。


「私の敵であることは間違いないようね」


 芽衣と獅童、武宮は跳躍し、間合いを取った。


「愚か連中ね。いいわ。一つ格言を教えてあげる」


 すうっと両腕を交差させる。

 そこには極細の糸が輝いていた。


「古今東西における数多の引導師ボーダー。それこそ創作物フィクションの中においてさえも」


 大蜘蛛の魔女は、妖艶に笑ってこう告げる。


「『糸使いに弱者なし』。それを思い知らせてあげるわ」





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綾香「あと、お姉キャラも大体強い」

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