第二章 陰なる太刀

第121話 陰なる太刀①

 帝国陸軍所属特務部隊・『陰太刀』。

 国家によって運営されるこの組織の主任務は、一言でいえば治安維持だ。

 この国に蔓延る我霊に、秘密裏に引導を渡す。

 それこそが、陰太刀の存在理由なのである。

 ゆえに、その分隊長が告げる任務は、例外なく我霊の討伐のはずなのだが……。


「うん。実はね」


 にこやかな笑顔のまま、大門丈一郎はこう告げた。


「君たちには、人探しをしてもらいたいんだ」


 一拍の間。


「……人探し、ですか?」


 刀一郎が、美麗な眉を寄せた。


「もしや、また我霊に攫われた人間が出たのですか?」


 我霊の目的は生の証を示すため、三大欲求を満たすこと。

 そのため、家畜を襲うことも稀にあるが、それでは食欲しか満たされないため、やはり最も狙われるのは人間だった。

 しかし、我霊は総じて警戒心が強いので、人気ひとけのある場所では、まず人は襲わない。

 基本的には獲物と定めた人間を人知れず攫い、安全な場所で凌辱してから、喰らうのだ。

 今朝がたの少女たちの事件のようにだ。

 相手が女であろうと、男であろうと、それが奴らの常套手段だった。


 実のところ、今朝の少女たちは、報告時にはもう手遅れだと判断されていた。

 攫われてから、丸一日は長すぎる。

 二人とも、すでに犯し尽くされて喰い殺されている。

 そう判断されたからこそ、戦闘を得意とする自分と久遠真刃に捜索が回ってきたのだ。

 むしろ、一人だけでも救えたのは僥倖だったのである。


「今回も今朝と同じく討伐が前提なのですか?」


「いや。違うよ」


 刀一郎の問いかけに、丈一郎はかぶりを振った。


「これは純粋な人探し」


 それから、執務机の引き出しから一枚の写真を取り出した。

 一組の家族を映した白黒の写真だ。


「黒田伯爵閣下」


 丈一郎は告げる。

 次いで、指先で写真の一人を指差した。

 中央にて座る男性の左隣に立つ人物。

 年齢は二十代前半ほどか。

 丸い眼鏡をかけた、少し痩せた印象のある青年だった。


「閣下のご次男に当たる黒田信二さまが、お付きの女中と一緒に、とある街の近隣でで消息を絶ったんだ」


「………え?」


 目を瞬かせる刀一郎の隣で、真刃が眉をしかめた。


「……我霊は関係しないのか?」


「うん。そうだね」


 丈一郎は、ポリポリと頬をかいた。


「元々は第八分隊に回ってきた話なんだ。人を使っても信二さまの行方が一切掴めなくてね。途方に暮れた閣下が、軍の伝手を使って総隊長殿に依頼したそうだ」


「それは、系譜術けいふじゅつに頼りたいということですか?」


 刀一郎が、少し不快そうに呟いた。

 第八分隊は、情報収集を主任務にしている分隊だ。

 その隊員は、捜索を得意とした引導師が多い。


「まあ、そういうことになるね」


 丈一郎は肩を竦めた。


「伯爵閣下は、軍部においても少将の地位に就かれておられている。総隊長殿も断ることは難しかったんだろうね」


「……ふむ」


 真刃は写真を覗き込んだ。


「その手の都合はオレにとってはどうでもいいことだが、これは、本来は第八の仕事だったのだろう? 何故、お前のところに転がり込んだのだ?」


 もっともな問いかけをする。

 真刃たちが所属する第三分隊の主任務は戦闘だ。

 全部隊の中でも屈指の戦闘力を誇るが、捜索に関しては第八には遠く及ばない。


「……正直に言うとね」


 丈一郎は、わずかに表情に陰りを落として告げる。


「この写真でね。視えて・・・しまったんだよ」


「……大門」


 すると、真刃が渋面を浮かべた。


「まさか、使ったのか?」


「どうにも嫌な予感がしたからね。まあ、無理しない範囲でだよ」


 丈一郎はそう告げるが、真刃は気難しい表情を浮かべるだけだった。

「……久遠?」刀一郎が、真刃の横顔を見やる。


「どういうことだ? 使ったというのは何をだ?」


 そう尋ねると、真刃は、少し躊躇うような面持ちを見せた。

 が、丈一郎が頷くと話し始めた。


「大門の系譜術の話だ」


「分隊長殿の?」


 刀一郎は目を丸くした。

 第三分隊の隊長。御影家にとっては本家筋とも言える大家、火緋神家の守護四家の一角を担う名家の系譜術。正直にいえば興味があった。


「ああ。そうだ」真刃は頷く。「大門家の系譜術は式神を用いた未来視だ」


「……未来視だと?」


 反芻する刀一郎に、真刃は「ああ」と首肯した。


「指定した物体や生物に式神を憑依させて、それに関連する未来が断片ながらではあるが、視えるらしい」


「それは……」


 刀一郎は、言葉を詰まらせた。

 ――未来を知る。

 それは、確かに恐るべき系譜術ではある。

 しかし、火緋神一族と言えば、炎雷を纏う最強の血族だ。

 その分家の筆頭と言っても過言ではない大門家にしては……。


「……いや、あのな、御影」


 すると、真刃が珍しく困ったような表情を見せた。


「お前、大門の系譜術を地味だと思っているだろう?」


「ふあっ!?」


 すばり、心の中を見抜かれた。

 次いで、刀一郎は視線を忙しく動かして、


「そ、そんなことはないぞ!? ありませんから! 分隊長殿!」


「……お前は、本当に分かりやすいな」


 真刃が呆れるように呟く。


「はは、いやいや。別にいいよ」


 一方、当事者である丈一郎は、苦笑を浮かべていた。


「確かに、かなり地味な術だしね」


「……よく言う」


 真刃は面持ちを鋭くした。


「お前の視る未来とは、言わば、無限の可能性だ」


 一拍おいて、


「無限に広がる未来の断片。その無数の断片をお前はすべて視ることになる。憑依させる物体に関連する事柄だけといっても莫大な情報だ。式神に肩代わりさせてなお、脳にかかる負荷は甚大。一歩たがえば廃人も避けられない危険な術だ」


「………な」


 真刃の言葉に、刀一郎は唖然とした。

 一方、丈一郎は苦笑を崩さない。


「うん。だから、君は、紫子にこの系譜術を絶対に使わせないからね」


「当然だ」


 真刃は、義兄とも呼べる男に告げる。


「紫子をそんな危険な目に遭わせるとでも思っているのか」


「ふふ。そこは兄として嬉しいよ」


 丈一郎は破顔した。

 その傍らで、刀一郎は、少しだけ寂しさを宿す眼差しを見せた。

 久遠真刃の愛を、その身に受ける少女の一人。

 正直なところ、自分にとっては――。


「まあ、やってしまった以上は仕方がない」


 刀一郎の心の内には気付かず、真刃は話を続ける。


「それで、お前はこの写真からどんな未来を視たのだ?」


 それは刀一郎も気になった。

 ただの人探し。本来ならば第八分隊が得意とする任務だ。

 だというのに、あえて自分たちに任せることを決断させる未来とは……。


「……私が視たのは、極めて断片的なものだ」


 丈一郎は、笑顔を消して語り出す。


「時間にして二週間程度の期間。それ以上の先を視るのは、私の脳が耐えきれないからね。けれど、それでも充分だった」


 丈一郎は、コツンと黒田信二の写真を指先で打った。

 緊張感が、空気に満ちる。

 そして、


「はっきり言おう」


 丈一郎は、最も信頼する二人の部下に淡々と告げた。


「この案件。恐らくは特級案件だ」

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