第292話 王と妃と精兵と②

「……ふむゥ」


 場所は変わって、ホライゾン山崎近くの道路にて。

 普通自動車の運転席に座る青年は、瞳を閉じたまま小さく呟いた。

 伸ばしっぱなしのぼさぼさの髪が印象的なスーツ姿の青年。

 大門紀次郎である。


「今日も異常はなさそうですねえェ」


 大門一族は未来視という特殊性を持つが、その土台は式神遣いである。

 大門は式神を複数展開し、ホライゾン山崎の周囲を監視していた。

 今のところ、異常は確認されていない。


(それはいいのですがあァ……)


 大門はバックミラーで後部座席の様子を見た。

 そこには二人の人物がいた。


 一人は青年。蒼い髪が印象的な扇蒼火だ。

 彼は腕を組んで外に視線を向けていた。

 初日よりは覇気があるように見えるが、同時に焦っているようにも見える。

 恐らくは先日に偶然にも発見した、堕ちた引導師のことが気がかりなのだろう。


 もう一人は女性だ。

 葛葉と名乗る少女である。

 彼女も考え事をしているようで、どこか浮かない表情で遠い目をしていた。


(二人ともやや上の空ですねェェ)


 大門は内心で嘆息する。

 まあ、異常がないということは待ちぼうけを喰らっているのと同義だ。

 彼らが退屈を感じても仕方がないかもしれない。


(もう少し交代要員を増やしますかああ……)


 そんなことを考えている時だった。


(……おやぁ。あれは……)


 バックミラーにとある人物が映る。

 精悍な顔つきに灰色の顎髭。

 大柄な体躯に黒い執事服を纏う壮年の男性だ。

 男性は大門たちの自動車に近づいてくる。大門は窓を開けた。


「おはようございますう。山岡殿」


「ええ。おはようございます。大門さま」


 壮年の男性――山岡辰彦は腰を屈めて一礼する。


「どうかされましたかあ? 篠宮君ではなくあなたが来られるとはァ」


「はい」


 大門の問いに山岡は頷く。


「久遠さまより言伝を預かっております。同乗、宜しいでしょうか?」


「ええ。構いませんよォ」


 朗らかに笑って大門は応じる。

 山岡は「では失礼して」と告げて、助手席に同乗した。

 そこで少しバックミラーを一瞥しつつ、


「久遠さまから言伝をお伝えします」


 そう切り出した。

 語る内容は、まず普段は瑞希が行う定時連絡。

 そして強欲都市グリードからやって来る増援者についてだ。


「午後には到着する予定です」


「……そうですかあ」


 大門は少し渋面を浮かべた。


「増援は嬉しいですがぁ、久遠氏は強欲都市グリードと縁を持っておられたのですねえ」


「先日、出張された時に縁を結ばれたと仰っておられました」


 山岡は淡々と答える。


「増援者たちは芽衣さまの直属の部下とのことです」


「……芽衣?」


 その名を反芻したのは葛葉だった。

 山岡と大門、そして蒼火も視線を彼女に向けた。

 注目を浴びた葛葉は、


「いえ。初めて聞いた名前だったので……」


 そう告げる。


「ああ。そう言えばお話する機会がありませんでしたな」


 山岡は「失礼」と頭を垂れる。


「芽衣さまは久遠さまの隷者ドナーのお一人です。強欲都市グリード出身の方でして。久遠さまには現在、おひいさまと月子君を含めると七人の隷者ドナーがおられます」


「――し、七人っ!?」


 葛葉は目を見開いて少し腰を上げた。


「えっ? うそ。そんなに? それは聞いてないわよ――」


 と、何やら動揺を見せ始めている。

 山岡と大門は、彼女の唐突な反応に少し驚いた顔をした。


「……七人ぐらいなら」


 そこで珍しく蒼火が口を開いた。


「そこまで珍しくもないだろう。何を驚いている?」


「い、いえ……」


 葛葉は、口元に片手を当てて視線を逸らした。


「その、思っていた人数と違っていましたので驚いただけです」


 そう告げる。

 そんな彼女に大門たちは訝し気な表情を見せていたが、葛葉はもじもじとするだけで、それ以上、何かを語る様子はなかった。


「……いずれにせよ」


 山岡が話を戻した。


「増援者の資料は送信しておきました。彼らは味方であるとご承知ください。ひとまずこれで人員は充分だと久遠さまは考えておられます。では、これにて失礼いたします」


 そう告げて、山岡は車外に出た。

 暗に火緋神家からの増援は不要とも告げられ、大門は苦笑を浮かべる。

 一方、山岡は、


「………………」


 黙々と歩き、ホライゾン山崎の敷地内に入る。

 と、そこには、


「……先生」


 一人の女性がいた。短い灰色の髪に、すらりとしたスレンダーな肢体。黒のスキニーパンツに、白いブラウスを着ている二十歳ほどの女性だ。

 火緋神家の護衛の一人であり、山岡の直弟子でもある篠宮瑞希だ。

 彼女は山岡の隣に並ぶと、


「どうでした? あの子は?」


 そう尋ねる。

 それに対し、山岡は微かに眉をひそめた。


「確かに瑞希君の言う通り、おひいさまにとてもよく似た女性でした。ですが……」


 足を止めて、山岡はあごに手をやった。


「私の直感ですが、巌さまのお子ではないと思われます」


「けど、燦さまにあんなに似てるんですよ?」


 眉根を寄せて瑞希は言う。


「やっぱり巌さまの隠し子の線ってありませんか?」


「いえ。瑞希君が知らなくても当然ですが、巌さまは――」


 一拍おいて、山岡は苦笑を浮かべる。


「意外と愛妻家なのです。それは妻を名乗れない隷者ドナーたちも例外ではありません。隷者ドナーを入れ替えることもよしとはされない方ですから」


「……確かにそうですね」


 瑞希は、あごに指先を置いた。

 一般的に、隷者は《魂結び》が出来る人数が限られているため、基本的には魂力の量の多い者――中には容姿が気に入ったなどの理由もあるが――と、入れ替わることが多い。

 若い世代ではたった一年で総入れ替えをした者さえいる。

 ただ、第二段階の上限数は三十人ほどだと言われている。隷者ドナーたちを騎士ナイトと称する女性隷主たちは最大限度まで契約して自分の王国キングダムを築くことが定番らしいが、意外にも男性側にはそこまでのMAXハーレムを築く者は皆無とまでは言わなくとも、かなり少なかった。今は十五人前後ほどが名家の当主クラスの人数である。残りの枠は第一段階の方へと割り振って上限まで部下や仲間と結ぶことが多かった。


 そして火緋神家の次期当主と呼ばれる火緋神巌の隷者は十五人。

 燦の亡き母を含めて十六人だ。


 巌が二十代の頃に揃った彼女たちは一度も入れ替わったことがないらしい。


「絶対とは言えませんが、やはり隠し子というのは考えられない……というよりも、火緋神君の性格からは想像が出来ませんね」


 と、かつての生徒でもあった巌の顔を山岡は思い浮かべる。


「率直に聞いた方が早いかもしれません。瑞希君がそこまで気になるのでしたら、後で私の方で巌さまに聞いておきましょう」


「……いや。先生ってそれを巌さまに直で聞けるんですか?」


 瑞希は少し顔を引きつらせた。

 山岡は「ええ」と苦笑いを浮かべながら頷く。


「当然、あなたの名前は伏せておきますよ。ただ、巌さまも流石に少しばかり不機嫌になられるかもしれませんね。もしくは呆れ果てられるか。まあ、いずれにせよ」


 そこで、山岡はコツンと瑞希の頭を叩いた。


「興味本位のプライベートの詮索はここまでです。今日はお客さまが大勢いらっしゃいます。忙しくなりますよ。手伝ってくださいますか?」


 言って、山岡はホライゾン山崎の入口へと進む。

 その足取りはとても力強い。

 瑞希は、そんな老紳士の背中に陶然とした眼差しを向けながら……。


「……はい。先生」


 そう返答して、彼の後を追った。








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