第293話 王と妃と精兵と➂

 とある一室。

 彼女は一人、準備をしていた。

 準備といっても自室で着替えるだけだ。

 ベッドに机。クローゼット。最低限な物しかない殺風景な部屋。

 専属従霊を一旦部屋から追い出した彼女は、すでに下着だけの姿だった。

 烏の濡羽色のような髪。常に冷静さを崩さない眼差しと美貌。


 とても美しい少女だった。

 その肢体も立ち姿もまた美しい。


「…………」


 彼女は、無言でベッドの上に置いておいた服に目をやる。

 そこにあるのは二種類の服。ドレスと制服のような衣服だった。

 まずはドレス。これは首元を押さえて肩を露出する黒のワンピースドレスだった。丈は大腿部の半ばほど。他にも同色の長靴ブーツ。黒いストッキングも用意されている。

 制服としては白いジャケットだ。丈は腰に少し届くほど。少し大き目のサイズであり、袖口がやや広く、襟や袖の縁取りは金色で彩られていた。


 彼女はまずストッキングを手に取った。

 腰を屈めて、重心を崩すことなく足に通す。次いでワンピースドレスを纏う。その上にジャケットを羽織って、前を閉じる。最後に長靴ブーツを履いた。

 なお、余談ではあるが、住人が多くなったフォスター邸は、芽衣と六炉がさらに同居した時点で修復屋に依頼して大幅な改装がされていた。それ以降、この家では靴を履いて移動することが多くなった。いざという時には靴を履いていた方が良いと考え直されたためだ。


 閑話休題。

 続けて彼女は机の方へと向かうと、そこに置いていた腕章を手に取った。

 左腕に通して腕章を固定する。

 その腕章には『弐』の数字が刺繍されていた。


 ――そう。彼女は弐妃。

 杜ノ宮かなたである。


「…………」


 かなたは無言で腕章に手を添えた。

 静かに唇を噛む。

 ややあって、特別な服――今後増えるかもしれない公の場用に、エルナが用意した妃たちの礼服――に着替え終えた彼女は自室を出た。


『お。着替え終わったか。お嬢』


 部屋から出ると、早速声を掛ける者がいた。

 赤い蛇である。正確にはぬいぐるみなのだが、とてもリアルな蛇だ。

 かなたの専属従霊である赤蛇だ。

 赤蛇は、しゅるるっとかなたの足から這い上がると、途中で赤いチョーカーへと姿を変えて彼女の首に巻き付いた。


『やっぱ元気がねえな。お嬢』


 チョーカーと成った赤蛇が言う。


『まだへこんでんのか?』


「…………」


 かなたは無言だ。

 そのまま歩き続ける。

 無表情なので分かりにくいが、不機嫌さは伝わってくる。


『ありゃあ仕方がネエよ』


 赤蛇は嘆息した。


『相手はあの御影刀一郎……御影桜華なんだぜ。ご主人さえも一目置くほどの天才剣士で、引導師ボーダーとしてのキャリアも桁違いだ。しかも、何かの方法で魂力オドまで爆上げしていた。ありゃあ勝てっていう方が無茶だろ』


「…………」


『結局、あの後、怪我を心配してくれたご主人に甘えることも出来たんだろ? ならプラマイゼロって考えてもう忘れようぜ』


「…………」


 かなたは強く拳を固めた。

 そうして、


「……私は……」


 重い口を開いた。


「最近、真刃さまのお役に立てていない」


『…………』


 今度は赤蛇が黙り込む。


「真刃さまに大切にされるのは嬉しい」


 かなたは、チョーカーに触れて言葉を続ける。


「だけど、妃の役目はそれだけなの? 愛されることだけなの? 違う。真刃さまを支えてこその妃のはず」


 赤蛇はまだ何も答えない。


「なのに私は弱い。六炉さんや、桜華さんを見て痛感した」


『……流石にあの二人は別格だと思うが』


 赤蛇は言う。


『他の嬢ちゃんたち相手なら、そこまで負けてねえだろ?』


「妃同士でのランキングは意味がない」


 かなたは早足で歩く。


「あれは訓練だから。実戦で勝てないと意味がないの。今回は桜華さんに殺す気がなかっただけ。本来なら私はあそこで死んでいてもおかしくなかった」


『……むう』


 赤蛇は唸る。


「私は強くなりたい」


 いつになく、かなたは強い声で告げる。


「真刃さまの妃として相応しくなりたい」


『……何か考えがあんのか?』


 赤蛇がそう問うと、


「《DS》を使いたい」


 かなたは即答した。


『……おいおい』


 赤蛇は体の一部を蛇に戻して目を剥いた。


『なんでまた? 《DS》で得られる魂力は1000程度だ。お嬢には必要ねえだろ?』


 真刃と《魂結び》を行っているかなたは、いつでも1200規模の魂力を真刃から借り受けることが出来る。真刃から魂力を奪ってしまうことを気遣うとしても、真刃は真刃でいつでも従霊たちから魂力を供給できるので問題はない。


 そのことは、すでにかなたにも伝えているのだが……。


「魂力の増加よりも、私は模擬象徴デミ・シンボルの方に興味がある」


 廊下を進みながら、かなたは答える。


「もしあれが発現するのなら、私の戦術の幅は大きく広がるはず」


『……そういうことか』


 赤蛇は得心する。

 確かに《DS》には模擬象徴デミ・シンボルの発現を促す効果もあった。

 いや、むしろそのための薬物なのだろう。


『だが却下だな。ご主人が許してくれるはずがねえ』


「…………」


 かなたは、首にしがみつくようになっている赤蛇に目をやった。


『今回の芽衣嬢ちゃんは特例なんだよ。芽衣嬢ちゃんだけはまだ《魂結び》が出来ねえからそれまでの暫定対応だ。ご主人はお嬢たちに《DS》を絶対に使わせねえだろうな』


 かなたは足を止めた。

 感情が読めない眼差しで赤蛇を睨み据える。

 赤蛇は『……はあ』と嘆息した。


『だったら一体どうしろって言うんだって目だな。けどまあ、実はオレとしても二つほどアイディアがあるんだよ』


「……本当に?」


 かなたが、訝しげに眉をひそめた。

 赤蛇は『ああ』と頷く。


『一つは《DS》に頼った模擬象徴デミ・シンボルなんかじゃなく象徴シンボルの発現だ。ご主人から魂力を借りてまずは封宮メイズから習得するんだ。そんでそっから象徴シンボルの発現を目指す。だが、これはたぶん相当な訓練が必要だ。時間がかかるだろうな』


「…………」


 再び無言になるかなた。

 眼差しがそんな時間はないと訴えている。


『まあ、それでも訓練はすべきだな。引導師ボーダーにとって恐らくこれ以上の切り札はねえだろうからな。習得できたらこの上なく戦力アップになる。そんでもう一つだが、これも訓練は必要だろうが、象徴シンボルよりもずっと早く習得できるはずだ』


 そう切り出して、赤蛇はもう一つのアイディアを告げた。

 かなたは少し驚いた。


「……それは私に出来るの?」


『……多分、な』


 赤蛇は赤い舌を見せてそう答える。


『まあ、後で試してみようぜ。それより今は……』


「うん。分かっている」


 かなたは再び歩き出す。赤蛇はチョーカーの姿に戻った。

 すでに他の妃たちも礼服に着替えて集まっているはず。


(急がないと)


 先を急ぐ。

 強くなることも重要だが、今は妃の務めも果たさなければならない。

 なにせ、これから王の謁見が始まるのだから。









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