第55話 参妃、推参!④

「ここです。停めてください」


 ――キキイ、と。

 住宅街の中で、タクシーは止まった。

 かなたは、すぐにタクシーから降りた。

 軽くタクシーの運転手に一礼して走り出す。

 この場所は、セーフハウス近くの住宅街だった。

 流石に、セーフハウスに直接タクシーで乗り込む訳にもいかない。

 どこに敵がいるのか分からないからだ。


 かなたは、周囲を警戒しながら、足を速めた。

 そして遠くに古びた一軒家を見つける。

 何の変哲もない家。

 エルナが幾つか所有するセーフハウスの一つである。

 指示通りなら、あそこに真刃がいるはず。


(真刃さま)


 かなたは警戒度を上げつつ、さらに急いだ。


(今、参ります)




 真刃が入室を許可されて、五分後。

 真刃は、パイプ椅子の上に、足を組んで座っていた。

 その傍らには、猿忌と蝶花が浮かんでいる。

 そして目の前には、ベッドに腰かける長い髪の少女。

 シーツを纏っただけの姿の刀歌がいた。


「お前は何者だ?」


 そう告げる刀歌の表情を険しい。

 現状を考えれば、当然の態度ではある。

 なにせ、裸同然の格好で見知らぬ男と対面しているのだ。

 しかも、真刃は今、上着を脱いでいるのだが、その下のシャツにも乾燥した血――刀歌の血がこびりついている。疑わしいことこの上ない。

 真刃は、改めて刀歌の顔を見据えた。


(だが、本当に似ておるな)


 あの男――御影刀一郎に。

 眠っている時もそう思ったが、起きている姿を見ると一層強く思う。

 しかし、彼女――刀歌が男顔という訳ではない。

 それどころか、素晴らしいほどの美貌の持ち主である。

 あの頃、周りも言っていたが、やはり刀一郎の方が女顔だったのだろう。

 まあ、あの男にそれを言えば、激怒しそうだが。


(御影の……子孫か)


 あの男も、もうこの世にはいない。

 そのことには、やはり寂しさを感じた。

 部隊においては、大門を除けば、あの男だけが自分を対等に見ていた。

 その男が、もういない。

 真刃は、微かに視線を伏せた。

 すると、


「おい。何故黙る?」


 刀歌がそう告げる。声も少し刀一郎に似ていた。

 真刃は、あの男の残影がここにあることに少しだけ喜びを覚えつつ、


「まず言っておくが、己はお前を襲った連中とは無関係だ」


 それを宣言する。刀歌は無言だった。

 真刃は、言葉を続ける。


「己があの場にいたのは、ただの偶然だ。己は別の仕事をしていた。そこに、お前たちの乱闘と出くわしたのだ」


「…………」


 刀歌は未だ無言だった。真刃は嘆息する。


「事情は分からんが、流石に捨て置けんと思った。だから、お前を助けたのだが――」


 と、告げた時、


「……私は」


 おもむろに、刀歌が口を開いた。


「私は死にかけていた。自分でも分かっている。お前に刃を向けた時、私はもう助からないと自覚していた。なのに……」


 自分の腹部に手を当てる。そこに痛みはない。先ほど確認した時は、うっすらと傷痕こそ残っていたが、完全に治癒していた。


「どうして助かった? お前が――いや、貴方が助けてくれたのか?」


「……確かに助けたのは己だ。だが」


 そこで、真刃は気まずげに顔をしかめた。

 そんな主人の様子を、猿忌たちは楽しそうに見物していた。

 一方、刀歌は眉根を寄せる。


「どうした? 何か言いにくいのか?」


「……いや」真刃は一瞬躊躇うが、「流石に黙っておくことは出来んな」と呟き、


「お前の傷は致命傷だった。もはや手遅れの損傷だった。お前を助ける手段を、己は一つしか持ち合わせていなかった」


 一拍おいて。


「すまない。己はお前に《たまむすびの儀》を行った」


 ………………………………。

 ………………………。

 ……長い沈黙。

 そして、


「……………え」


 刀歌は、唖然とした声を零した。

 真刃が古風な言い方をしたこともあったが、数瞬ほど言葉を理解できなかった。

 真刃は、気まずげな様子で言葉を続けた。


「お前を助けるには《魂結び》しかなかったのだ」


「――何故そうなる!?」


 刀歌は、立ち上がって叫んだ。


「どうして《魂結びソウル・スナッチ》が私を助けることに繋がるんだ!?」


「……魂力は」


 真刃は訥々と語る。


「身体能力に大きな影響を与える力だ。それは自然治癒力においてもだ。魂力を注げば注ぐほど爆発的にその能力は跳ね上がる」


「それは知っている! だからこそ《魂結び》が推奨されていることも! だが!」


 刀歌は、涙さえ滲ませて真刃を睨みつけた。


「確かにあの場で私はお前に負けた。お前が《隷属誓文ギアスレコード》のアプリでも持っていれば、契約は可能だっただろう。けど、それによって私が助かるのはおかしいだろ!」


 彼女は左手で胸元を抑えつつ、右腕を横に振るった。


「お前は私を隷者ドナーにした! 魂力を徴収する隷者にだ! どうして魂力を分け与えることなんて出来るのだ!」


 その台詞に、真刃は深い溜息をついた。


「……やはり、その特性についても失伝しておるのか」


「え……」


 目を瞬かせる刀歌。そんな彼女に、真刃は告げる。


「確かに《魂結び》には隷主と隷者の差がある。施術者と被施術者の違いだ。しかし、本来あの術は心と心を繋げるもの。魂同士の一部を繋ぎわせて、魂力の通路を構築することを目的としておるのだ。それはすなわち――」


 真刃は、はあっと息を零した。


「隷主が望めば、自分の魂力を隷者に与えることも出来るということだ」


「……………え」


 刀歌は、目を見開いた。


「かつての――今から百年ほど前の引導師たちは、総じて低かった魂力の量を補うため、信頼する者同士の間で魂力を共有していたのだ。それが《魂結び》という術だった」


 それこそが、元々の《魂結び》の在り様だった。

 親友。兄弟。主従。恋人。夫婦。親子。

 様々な形はあったが、本来は互いの魂力を共有することを目的としていたのである。

 今でこそ、一方的な徴収という形に歪んでしまったが。


「また、当時から複数者と《魂結び》を行う者が多かったのにも理由がある。全員の魂力を一人に託す。そのような戦況が多かったからだ。今代に比べると、第一段階の者の方が圧倒的に多かったのも特徴だ。隷主――施術者を決闘の勝者が担うのも、より強い者の方が、生存率が高いからというのが起源だった」


 一呼吸入れて。


「《隷属誓文》が術式に組み込まれているのも、互いを裏切らない。互いを信じるという誓いを立てるためだった。相手を一方的に服従させるためのものなどではなかったのだがな」


 ふと、エルナの異母兄を思い出した。

 あの男も《魂結び》を盛大に曲解していた。


 確かに当時も、優秀な引導師には、数人の妻がいた。

 だが、それは、死亡率が今代よりも格段に高かったからだ。

 優秀な次代を残すための半ば義務だったのである。

 かくいう真刃も、親友の大門や、総隊長などに強く勧められたこともあり、当時、二人の女性を愛している。

 まあ、あの頃、相当にひねくれていた自分がそこまで至ったのは、あの二人に押し切られた結果のような気もするが、それでも心から愛した二人だった。


 閑話休題。

 いずれにせよ、あの術は、別に好みの女を手に入れるための儀式ではないのだ。


「そのこと自体は己も落胆もしているが、ともあれ、お前を救うには、己の魂力を注ぐしかなかった。お前の心と体に相当な負担がかかるとは分かってはいたが……」


 真刃はそう告げるが、刀歌はもう何も聞いていなかった。

 想定外の《魂結び》の成り立ちにも驚いたが、それ以上に理解したのだ。

 自分が助かったのは、間違いなく《魂結び》のおかげだと。

 だが、そうなると改めて、自分が今、どうなったのかも理解した。

 説明するまでもなく、《魂結び》には二段階ある。

 ただ決闘に負けただけの場合と、その後に性行為を行う場合だ。

 果たして、自分はどちらなのか……。


(………うう)


 刀歌は、内心で唸った。

 それを考えると、うなじ辺りまで熱くなってくる。

 あの時、自分は相当な重傷だった。

 隷主側からも魂力が送れるという話が本当だとしても。あの傷を自然治癒させるなど、相当な量の魂力が必要なはずだ。


 仮に、目の前の青年の魂力が、破格の規模で300だったとしよう。

 その一割は30だ。少なくはないが、それぐらいの量ではとても足りない。

 恐らく、その四~五倍近くは必要なはずだ。


 だとしたら、やはり――。


(………あ)


 その時、刀歌は、直前まで見ていたあの夢を思い出した。

 とても痛くて……だけど、心地よかった夢。

 もしかして、あれは――。


「~~~~~~ッ!」


 ――カアアアアァ、と。

 刀歌の顔が、一気に赤くなった。

 口元を片手で押さえる。

 そうとしか考えられない。多分、は自分を助けるために――。

 刀歌は、目を見開いて青年を見つめた。


「……? どうした? 御影?」


「――――あ」


 刀歌は、微かに唇を開いた。

 その声は、紛れもなく夢の中のの声だった。

 刀歌の顔は、もう耳まで真っ赤だった。

 そんな彼女に、真刃は立ち上がり、頭を下げた。


「……すまない」


「――え」


 真刃は、言葉を続ける。


「己自身が言った通り、本来 《魂結び》とは信頼を置く者同士が行うものだ。それを無断で行った。それについては言い訳も出来ん」


「そ、それは……」


「《魂結び》はすぐに破棄しよう。それで許されるとも思わんが……」


「ちょ、ちょっと待って!」


 話を進めていく真刃に、刀歌は声を張り上げた。

 真刃は、刀歌の顔を見つめた。

 視線がぶつかり、刀歌の顔はますます赤くなる。

 鼓動が、この上なく高鳴っていた。


「………………」


 長い沈黙が、訪れた。

 それは十秒、二十秒と続いた。

 真刃も刀歌も、従霊たちも何も語らない。

 刀歌は、おもむろに瞳を閉じた。

 それから、さらに一分ほど経ち、


「……ああ、そうだな」


 おもむろに瞳を開く。

 そして、表情を改めた刀歌は、その場で正座した。

 揺るぎない正中線。まさに武家の娘だ。

 凛々しい眼差しを以て、刀歌は真刃を見据える。


「……改めて、貴方の名を窺ってもいいか?」


「……ああ。そういえば、まだ名乗っていなかったな」


 真刃も、その場に正座をする。

 二人は、正面から見つめ合った。


「己の名は久遠真刃と言う」


「私の名は御影刀歌だ」


 二人は、初めて互いに自己紹介をした。


「……《魂結びソウル・スナッチ》の破棄」


 刀歌は、告げる。


「有難い申し出だが、破棄する必要はない」


「……なに?」


 真刃は、眉根を寄せた。


「だが、それではお前が」


「……私は」


 刀歌は、真っ直ぐな眼差しで真刃を見据えた。


「恋愛経験など皆無だ。好きな男もいない。だが、それでもこう思っていた。私の剣と……純潔は、愛する唯一人の殿方に捧げようと」


 ……………………………………。

 ……………………………。


「………………ん?」


 真刃の呟きには、長い間があった。


「そして、貴方は私に勝った」


「……勝った? いや、確かに一撃だけは付き合ったが……」


「私の生涯最強の一撃だ。それを貴方は容易く受け止めた」


「……………いや待て。それはお前が致命傷を負っていたこともあって」


 何やら嫌な予感をひしひしと感じて、真刃は言葉を選び始めた。

 しかし、刀歌に迷いはない。


「私は貴方に敗れた。敗者は勝者に従う。《魂結び》は当然の結果だ。負ければ自害するなどと息巻いていた自分は何様だったのだろうと思う」


 そこで嘆息してから、彼女は微かに頬を朱に染める。


「何より《魂結び》が本来は信頼の証を司る術だと知った今では、むしろ光栄とも言える。その、確かに寝ている間にというのは結構ショックだったけど、私に勝った貴方にとっては、それは当然の権利だし、いつ行うのも自由だし、何より、私を助けるためだった訳で……」


 言って、刀歌は深く俯いて、自分の腹部辺りに両手を置いた。

 彼女のうなじや耳は、真っ赤に染まっていた。


「――待て!?」


 流石に、真刃も察した。

 何かにつけて人擬きと自分を卑下する真刃だが、人の心に疎い訳ではないのだ。

 手を突き出して、刀歌を諫めようとする。


「お前は恐らく盛大な勘違いをしておる! 己はそこまではしておらん! そこまでする必要はないのだ! お前は己の魂力の総量を知らんのだ!」


「久遠真刃殿。貴方は私の命の恩人だ」


 刀歌の口上は止まらない。

 その身に燃えるような熱を帯びさせて、真刃を真っ直ぐ見つめていた。


「うん。私は決めたぞ」


「だから待て!? それは恐らく安易に決めてはいけないことだろう!?」


 真刃は必死に止めるが、心まで熱に包まれた少女はもう止まらない。


「我が主君――真刃さま」


 刀歌は、三つ指をついた。


「今宵より、刀歌は主君のものです。我が身と我が心。そして我が剣を貴方に捧げます」


「この上なく重い宣言をするな!? 己の話を聞かんところまであいつに似とるのか!?」


 真刃は絶叫した。

 ――が、同時に歓喜する者たちもいた。


『やったっスよ! 参妃のGETっス!』


『うむ! しかも正真正銘 《魂結び》を行った上でだ!』


『うわあ! 刀歌ちゃん! 積極的イイ!』


 響くのは、従霊たちの歓喜の声だ。

 刀歌が「参妃?」と小首を傾げていたが、すぐにコホンと喉を鳴らした。


「ま、まあ、こうして無事主従の関係と成った訳だが……」


「いや。本当にやめてくれ……」


 と、真刃は願うが、刀歌にとってはもう確定事項だ。

 それよりも、重要なことを告げる。


「じ、実は、いや、主君も気付いたと思うが……」


 一拍おいて。


「その、私は今日が初めてだったのだ。けど、負傷のせいもあってよく憶えていない」


「……いや、そもそも、そんな事実自体がないのだが」


 真刃のツッコミにも、刀歌は耳を貸さない。

 というより、彼女自身、この上なくテンパっているのだ。


「け、けど、私も女だから、その、初めては思い出として大切にしときたいのだ」


「……おい。御影?」


「と、刀歌と呼んで。そ、その、だから主君……真刃さま」


 そこで彼女は膝から上を軽くあげて、両手を横に広げた。

 ――はらり、と。

 彼女の上半身を覆っていたシーツが開けた。

 エルナにも並ぶ大きな果実がたゆんっと揺れて、素晴らしい張りを持つ肌が露になる。


「――おい!? 刀歌!?」


 真刃が顔を引きつらせる。と、


「お、お願い……です。真刃さま」


 刀歌は、真刃から顔をそむけて告げた。

 目尻には涙。体はプルプルと震えて顔は真っ赤だ。

 もう恥ずかしくて仕方がないのだろう。

 それでも、ギュッと目を瞑って、


「リ、リテイク。お願い。もう一度だけ。刀歌、頑張るから。今度はしっかり憶えるから」


 そんなことを告げてきた。


『おお! 参妃はすげえ積極的っス!』


『据え膳くわねば男の恥だぞ、主よ!』


『きゃあ! きゃあ! きゃあ!』


「やかましいわ! お前たちはもう黙れ!」


 真刃が、額に青筋を浮かべて叫んだ、その時だった。

 ――不意に。

 部屋のドアが開かれたのだ。

 刀歌を覗く全員が瞬時に警戒した。

 今、この家にいるのは、ここにいる者だけだ。他には誰もいないはずだ。

 ――が、その警戒は瞬時に霧散する。

 開かれたドア。

 その先に立っていたのは、かなただったからだ。


「おお! かなた! よく来てくれた――」


 と、かなたに声を掛けようとしたところで、真刃の言葉は途切れた。

 理由は簡単だ。

 かなたが、いつぞやの朝に見た時と全く同じ顔をしていたからだ。

 目尻に涙を溜めて、頬を膨らませているのである。

 彼女は真刃と、ほぼ全裸状態の刀歌を、何度も何度も見返した。


 そして、


「真刃さま。やっぱりいじわる。嫌い」


「――かなた!?」


 リュックだけはその場に置いて、いきなり脱兎のごとく走り出したかなたに、真刃は目を見開いた。止める暇さえもない速さだ。


「え? 今のはかなたか?」


 刀歌が、目を瞬かせていた。

 彼女とかなたが知り合いなのは驚いたが、真刃はそれどころではない。


「己はかなたを追う! 猿忌! お前は刀歌に食事や衣服を与えておけ!」


 そう命じて、かなたを追った。

 そうして、数えて三度目の我儘モードに入ったかなたを宥めるのだが、どうにか彼女が機嫌を直してくれた頃には、真刃はもう疲れ果てていた。


 いずれにせよ。

 ――参妃。御影刀歌。

 ここに推参である。

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