第五章 それぞれの対峙

第264話 それぞれの対峙①

 瑠璃城学園の保健室。

 清潔なベッドが三つ並ぶその場所で燦と月子は待機していた。


 今は授業中。体調不良で休んでいる。

 というのはただの名目だ。

 彼女たちの担任教師に連絡があったのだ。


 火緋神家が捕えていた罪人が逃げ出したこと。

 それが燦たちと因縁深い相手であること。

 燦と月子が自分のスマホを確認すると、その旨の詳細がびっしりと送られていた。

 その中には当然、真刃からの連絡もある。

 運悪く他県に遠征中とのことだ。

 急ぎ向かっているが、すでに山岡と六炉。エルナたち。火緋神家で選別された護衛者たちも燦たちの学校に向かってくれているそうだ。

 彼らと合流するまで燦たちはこの部屋で保護されているのである。


 無論、ここにいるのは燦たちだけではない。

 護衛として二人の人物が滞在していた。

 一人は二十代後半ほどの青年。燦たちの担任教師の逢坂幸二教諭だ。

 普段はスーツ姿なのだが、今は動きやすいように黒いジャージ姿になっている。

 彼は腕を組み、真剣な眼差しでドア付近に立って待機していた。


 もう一人は保険医だ。

 丸いパイプ椅子に座った、白衣を纏うおっとりとした女性。

 年齢は逢坂と同じほどか。長い三つ編みと細い目が印象的な女性である。

 彼女のことは、進学前から燦たちもよく知っていた。

 逢坂教諭と違い、初等部の頃からお世話になっているからだ。

 彼女は治癒系の引導師なのだが、おっとりした見た目に反し、手の付けられない――特に引導師の場合はあらゆる意味で――悪ガキを拳でねじ伏せる武闘派で知られていた。


 名前をはくどうささめと言った。

 二人とも学園の守護者として相応しい実力者である。


 しかし、彼らに守られていても燦たちの――特に月子の表情は暗かった。

 それも仕方がないことだ。

 今回逃げ出した罪人とは、月子が最も因縁深い。

 この上なく恐ろしい目に遭わされた相手なのである。


「…………」


 ベッドの縁に座る月子はスマホを両手で持ち、見つめていた。

 手には念のために反羊反の手袋グローブを着けている。

 月子の隣に座る燦は、そんな親友に声を掛けようとする。と、


『大丈夫っスよ。月子ちゃん!』


 月子のスマホが震えて語り掛けてきた。

 この危機に、急ぎ彼女のスマホにまで転送してきた金羊である。

 今代において、ある意味、金羊は最速の従霊だった。

 通信の届く場所であるのならば、即座に移動できるのである。

 圧倒的な月子推しである金羊が動かないはずがなかった。


『もしあのクズ野郎が現れたらアッシが今度こそ黒焦げにしてやるっス!』


 勇ましくそう告げる。


「……ありがとう。金羊さん」


 月子は少しだけ微笑んだ。


「うん! 安心して! 変態はあたしが黒炭にしてやるから!」


 と、燦も笑みを見せてそう告げる。

 そんな生徒たちに、逢坂と白道が優しい目をした。

 彼女たちを守るのは逢坂たちだけではない。

 他にも校内を手の空いた教師たちや警護員が巡回している。

 まさに警護は万全だった。

 だが、その時だった。


 ――ボォンッ!

 突如、爆発音が鳴り響き、校舎が少し揺れたのだ。


 全員が表情を険しくした。

 窓の外に駆け寄ると、何やら校舎の一角から黒煙が立ち昇っていた。

 それも数か所からだ。


「襲撃か!」


 逢坂が拳を握りしめて身構えた時。

 ――ガラガラガラッ!

 保健室のドアが勢いよく開かれた。

 これにも全員が反応した。

 そこにいたのは、白い制服を着たツインテールの少女だった。

 高等部の生徒のようだ。

 彼女は額から血を流し、ドアに手を添えて肩で息をしていた。


「大変なんです!」


 彼女は顔を上げて叫んだ。


「私、高等部三年の足立って言います! ついさっき私の教室でいきなり爆発が起きて! 私は廊下沿いで無事だったけど、沢山怪我人が出て――」


「クソッ! 無差別の襲撃か!」


 逢坂はスマホを取り出して片手で操作する。

 それから、


「陽動の可能性は高いが放置できない! 白道先生は生徒たちの治癒に向かって下さい! ここには応援を呼びます!」


「ええ! 分かりました!」


 白道はドアに向かった。が、進みながら途中で振り向いて。


「火緋神さん! 蓬莱さん! すぐに応援の先生方が来ます! それまで逢坂先生の指示をよく聞いて――」


「あ~らら。よそ見は危ないよ。先生」


 不意に足立と名乗った少女がそう告げた。

 白道が驚いて振り抜くが、次の瞬間、彼女のうなじに手刀が打ち下ろされた。

 白道はそのまま前のめりに倒れ込んだ。

 燦も月子も目を見開く。


「――貴様!」


 逢坂教師が表情を激変させた。


「偽装した襲撃犯か!」


「ビンゴよ」


 少女は不敵に笑った。

 逢坂は拳を構えて跳躍した。彼は近接戦が得意な引導師だった。

 しかし、

 ――パァン!

 軽快な音が響く。同時に逢坂の足が止まった。

 彼の腹部が赤く染まる。少女の手には拳銃が握られていた。


「時限式の爆薬に拳銃」


 彼女は手に持った銃に目をやり、嘆息する。


「人間相手には効果的だけど、やっぱり風情がないわね」


 そんなことを呟いた。

 そして腹部を撃たれてなお戦おうとする逢坂に、

 ――ドンッ!

 強烈な後ろ回し蹴りと喰らわせた。

 先程の銃撃に比べれば、これは砲撃にも等しい衝撃だ。

 逢坂は吹き飛ばされて窓を破壊。そのままグラウンドにまで投げ出される。


「「――先生ッ!」」


 燦と月子が窓から顔を出す。保健室は二階にある。

 グラウンドに突き落とされた逢坂は倒れたまま動く気配はなかった。


「まあ、引導師ボーダーだから死んじゃないわよ。きっと」


 と、少女が言う。

 燦と月子は険しい表情で振り返り、少女を睨み据えた。

 すると唐突に彼女の顔を歪んでいった。幻術だ。

 そうして現れたのは全く別の顔だ。

 制服は同じままだったが、彼女は高等部の生徒より少し年上に見えた。

 恐らく二十歳にまでにはなっていない。

 首に蛇の入れ墨を入れた少女である。

 彼女は拳銃を遊ばせながら、


「あんたが蓬莱月子?」


「は、はい。あなたは誰ですか?」


 と、素直に答える月子に、少女は肩を竦めた。


「私の名は蘭花ランファ。あんたの先輩よ」


「え? せ、先輩?」


 困惑する月子に、


「そ。同じく蛇に目を付けられちゃった最悪の運命のね」


 少女――蘭花ランファは皮肉気な笑みを見せた。


「正直、あんたのせいであいつはご立腹よ。私も随分と酷い扱いをされたわ。一晩中おもちゃにされたし。けど、あんたにも同情するからアドバイスはしてあげるわ」


 言って、自分の首に手を添えた。


「足掻くだけ無駄よ。さっさと受け入れることね。意地も誇りも捨てたら意外と気が楽になるものよ。後は素直に快楽に身を任せればいいわ。あいつはクズだけどDVだけはしないし、気分屋だから服従してみせれば今の怒りもきっとどこかに行くわ」


 少しだけ遠い目をしてから、


「まあ、堕ちたら堕ちたで私みたいに色々と仕込まれるでしょうけどね」


 顔の横に拳銃の銃身を持ってきてキスをし、艶めかしく舌を這わせた。

 月子も、燦までも不可解な寒気に体を震わせた。

 すると、


『月子ちゃん! 燦ちゃん! 逃げるっス!』


 重く妖しい空気を跳ねのけるように、スマホに宿る金羊が叫んだ。

 この女の仕草はわざとだ。明らかに二人の委縮を狙っている。

 しかし、


「もう遅いわ。ご招待の時間よ」


 蘭花ランファは口角を崩して宣告する。

 そして胸元に付けたインカムに告げた。


ビアン。ターゲットを視認したわ。二人とも私の前にいる。やっちゃって」


 そうして一瞬後。

 世界は移り変わった。

 保健室から広い屋外へと。

 ビシャリ、と足元が濡れる。そこは広大な湿地帯だった。

 泥沼と湿った土。枯れた木だけの光景がどこまでも続く薄暗い世界。

 ――異相世界・封宮メイズである。


「……あ」


 その時、月子は気付く。

 掴んでいたはずのスマホが無くなっていることに。

 恐らくスマホ――金羊は現実世界に置き去りにされたのだ。

 倒れていた白道先生の姿もない。

 拳銃を片手に蘭花ランファだけがここにいた。


「――月子ッ!」


 燦が叫ぶ。

 この世界にいるのは目の前の女だけではなかった。

 遠巻きではあるが、湿地帯の至る場所に人がいたのだ。

 二十人はいるだろうか。主に男性が多い集団だ。

 その中にとある人物の姿を見つけて月子は青ざめた。

 男性だ。それも見覚えのある男だった。

 そして、


「よォう! つうゥきこちぁゃんよォ」


 その男――ビアンは両腕を大きく広げて告げた。


「俺の封宮なかにようこそ! また会えて嬉しいぜえェ!」








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