第263話 エンカウント➂

 時は十分だけ遡る。

 ――カラン、カランと。

 ドアが開かれて、軽快なベルの音が鳴った。

 場所はとある純喫茶。

 出てきたのは黒い中華服チャイナドレスを着た美女。久遠桜華だ。


 彼女は大通りを歩き出す。

 街路樹なども並ぶ近代的な商店街通りだが、平日であることもあって人通りは少ない。


(……《DS》のオリジナルか)


 その道を、桜華は店内での話を思案しながら歩く。

 それがあれば、桜華はもう一つ上の段階に至れるかもしれないとのことだ。

 だが、流通品ならワンたちが幾らでも持っているだろうが、オリジナルとなると……。


(流通元を突き止める必要があるな)


 足は止めず「ホマレ」と桜華は口を開いた。


「流通元に当てはあるか?」


『うん。いま可能性が高いのリストアップしたよ。けど厄介そうなのばかり』


 耳飾りからホマレが答える。


『アジア圏が流通のメインってことから推測するとバックス商会カンパニー。中国の四神旅団。あとつい最近現れた強欲都市の王グリード・キングって奴も怪しい。いきなり流通止めたって話だし』


「……強欲都市グリード?」


 眉をひそめる桜華。


「あの西の魔都か? あの地は無法地帯だと聞いていたが……」


『最近ボスが現れて遂に統治されたんだって。そのボスの通称がキング。まあ、ホマレたちには関係ない話だけど。それよりホマレが思う本命が……』


 一拍おいて。


『東の大家。天堂院家だよ』


「な、に」


 思わず足を止めて桜華は目を瞠った。

 聞き覚えのある名前だ。いや、この国の引導師なら誰もが名を知っているだろう。

 それほどの名家であるが、桜華にとってはさらに深い縁のある名前だった。


(総隊長殿の家か)


 何とも懐かしい名前だった。

 ――天堂院九紗。

 かつて彼女が所属していた部隊の総隊長を担った人物である。

 とは言え、それは百年近くも前の話だ。

 疎遠となって久しく、恐らくもう亡くなっているだろうが。


(縁があると言えばあるのだろうが……)


 こんな形でその名を聞くとは思わなかった。


「ホマレ」


 耳に手を当てて桜華は問う。


「どうして天堂院家が本命なのだ?」


『いや、そりゃあ天堂院家だからだよ。あの家、えげつないぐらいブラックなんだよ?』


 と、ホマレは当然のように言う。


『ちょいと調べただけで拉致とか人体実験とかもうボロボロと。しかも存在は匂わせても証拠は残さない。ブラック確実のグレーっていうのが正しいのかな? ともかく』


 一拍おいて。


『当主からして化け物なんだよ。信じられる? 天堂院家の当主って今年で――』


 と、言いかけたところで、


「待て。ホマレ」


 不意に桜華が台詞を止めた。

 彼女は耳を抑えたまま、空を見上げていた。


『どったの? 桜華ちゃん?』


 ホマレがそう問うと、


「いや、春雷か? 雷の音が聞こえたような気がしてな」


『え? 雷って……桜華ちゃんが今いる場所って快晴だよね?』


「ああ。そうなのだが……」


 桜華は目を細めた。

 すると、その時、


(……なに?)


 一瞬だけ。

 ほんの一瞬だけ。空を切り裂くように雷が奔るのを目撃したのだ。

 しかも同時に黒い何かの姿も見えた。


(あれは……)


 桜華は刹那の間だけ茫然とした。

 ……どうしてか。

 先程の一瞬だけ見えた黒い影。

 全貌は桜華の動体視力を以てしても確認できなかった。


 しかし、どこかで。

 とても遠い記憶のどこかで見たことがあると感じたのだ。


 そう思った時、桜華は走り出していた。

 いや、走り出すというのは的確な表現ではない。

 ――跳躍。

 瞬間移動にも等しい跳躍を繰り返していた。


『桜華ちゃん!? どうしたの!?』


 ホマレがそう叫ぶと、桜華は「あれを追う」と答えた。


「あれには見覚えがある。だが思い出せない。確認する」


『え? 桜華ちゃん?』


 困惑するホマレをよそに、桜華はさらに加速する。

 ザワザワと胸騒ぎがしていた。

 あれを見失ってはいけない。

 彼女の中の何かがそう告げていた。

 桜華は住宅街に移った。屋根から屋根へと跳び移っていく。

 目標の姿は時々視認できた。

 どうやら何かしらの術で透明化――いや、迷彩を施しているようだ。

 そして、その一瞬の隙間から見えるのは……。


(あれは尾か?)


 その全容は巨大な黒い蛇か。

 しかし、その尾は鳥を思わせるようで――。


(あれは、まさか龍なのか?)


 鼓動が跳ね上がっているのを感じていた。

 この程度の動きで桜華の心臓が悲鳴を上げることはない。

 これは彼女が緊張しているためだった。


(あれは、あの姿は――)


 少しずつ分かってきた全貌。

 あれは龍。黒い龍だ。

 もはやどこかで見たどころの話ではない。

 確実に見たことのある姿だった。


 月が輝くあの夜に。

 刃の王と対峙したあの夜に。


 あの黒龍は確かにそこにいたはずだ。


(……莫迦な)


 喉が微かに鳴る。

 跳躍しながら、桜華は自分の胸元を片手で強く掴んだ。

 ――正しくはそこに下げている水晶の首飾りを。


『桜華ちゃん! ホマレの声聞こえてる!? どうかしたの!』


 ホマレが心配する声を上げるが、それも聞こえない。

 確かめなければならない。

 しかし、あの龍は速い。

 地を駆ける自分が天を舞う龍に追いつける道理はない。

 ましてやあの黒龍はあいつ・・・の乗騎なのだ。

 ならば、


(捕えるしかない)


 あれを使う。

 何度かは見たことはあるが、自身では使う機会がなかった術。

 あれならば、あの龍を捕えることも出来るはずだ。

 魂力の調子を確かめる。

 問題ない。魂力の量も充分。

 今の自分ならば、あの術も使えるはずだ。


(……よし)


 そして桜華はこう呟いた。


「――開け。封宮メイズよ」



       ◆



 同刻。

 ブロロロロ……。

 ゆっくりとその車は歩道寄りに停車した。

 街路樹が並ぶ歩道。瑠璃城学園の通学路だった。

 学園の正門からは少し遠いが、その姿は見える。

 一般的な学校と同じく警備員たちがいる。

 ただその質は全く違う。

 彼らは教師陣同様に選ばれた護衛者たちだ。

 全員が一流の引導師ボーダーなのである。

 正面突破はよほどの戦力を投入しても難しいだろう。

 校門横に二人陣取り、今も鋭い眼光を見せている。


「…………」


 その様子を車上から見つめる。

 車の後部座席のドアが開かれた。

 長く黒い髪が揺れる。

 彼女は校門へ向かって歩き出した。


 果たして。

 最初に辿り着いた者とは、誰なのか――。







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