第265話 それぞれの対峙②
――世界が変わった。
エルナがそれに気付くのには数秒もかからなかった。
九龍は猛スピードで飛翔していた。そんな中で景色に気を配る余裕などない。
しかし、それでもこれには流石に気付く。
なにせ、いきなり夜の世界へと変わったのだから。
天には煌々と輝く満月。
地には見渡す限りの桜の並木。それも淡く輝く桜の木だ。
そこには草木も生い茂り、遠くには涼やかな小川も見える。
輝く桜の花びらは風で舞っていた。
あまりにも幻想的な月華の世界である。
流石に速度を落とした九龍の背中でエルナはその光景に魅入っていた。
……夜に輝く桃源郷。
そんな言葉がエルナの脳裏によぎる。
いや、桃ではないので桜源郷とでも呼ぶべきなのだろうか……。
「――エルナ!」
その時、刀歌が叫んだ。
「まずい! これは
「……え?」
エルナは振り向いて目を剥いた。
「……
かなたも振り向いて呟く。
彼女たちはエルナ、かなた、刀歌の順で騎乗していた。
「現実世界をコピーする我霊の結界領域とは違う、術者のイメージの世界を創り出す術式。初めて経験しましたが、一体誰が――」
『……アソコニ誰カイル』
かなたの台詞を遮って九龍が言った。
その指摘に、エルナたちは視線を地上に向けた。
そこには確かに人影があった。
まだ少し遠いが、恐らくは女性だ。
『行クカ。ヒメ』
「ええ。お願い。九龍」
エルナは頷いた。あの人影こそがこの世界の主だと思ったからだ。
「かなた。刀歌」
エルナは弐妃と参妃にも告げる。
「相手の目的は分からないけど戦闘になるかもしれない。そのつもりでいて」
「承知しました」「了解だ」
かなたと刀歌は首肯した。
そうして、九龍が長い体躯を揺らして件の人物へと近づいていった。
接近するにつれてその人物の姿も確認できるようになる。
やはり女性だった。
それも妖艶なほどに綺麗な女性だった。
中国出身なのだろうか、黒い
片手を腰に当てて、静かにこちらを見据えている。
大きな月と輝く桜のおかげで、夜であっても彼女の姿はよく確認できた。
「……あの女性」
ふと、かなたが口を開く。
「刀歌さんに似ていませんか?」
「……そうか?」
指摘された刀歌は眉をひそめるだけだった。
本人には分かりにくいかもしれないが、エルナもそう感じていた。
スタイルや美貌もそうだが、立ち姿や雰囲気が刀歌によく似ていると思った。
眉根を寄せる三人の妃たち。
が、従霊たちの反応は全く違っていた。
『……は? え? おい待て。は?』
『え? ちょ、え? なんで……』
唖然とした声で呟く赤蛇と蝶花。
そして九龍は、
『……ガウ。ナンダ。誰カト思エバ、
そう呟いて、さらに近づいていく。
そして件の女性の数メートル上空で滞空し、警戒するエルナたちと、信じ難い人物を前にしてほとんどパニックを起こしている赤蛇と蝶花をよそに、
『ガウ。ドウシタ御影。何カ用カ?』
親し気にそう尋ねた。
◆
(………な)
その問いかけに。
誰よりも茫然としたのは桜華だったのかもしれない。
ただただ目を見開いて、数メートル上空にいる黒龍を見つめていた。
近くで見て確信する。
間違いない。こいつは九龍だ。
従霊五将の一角。白冴の同胞である従霊だ。
――グッと。
我知らず、桜華は白冴が宿っていた水晶の首飾りを握りしめていた。
自然と視線も胸元に移す。
すると、
『ドウシタ? 御影。用ガアッタノデハナイノカ?』
九龍はさらに尋ねてくる。
桜華は軽く息を呑んで、改めて黒龍を見上げた。
「え? 九龍? 知り合いなの? それに御影って……」
と、九龍の背に乗っていた銀髪の少女が声を掛けてくる。
よく見ると、九龍は三人の少女を乗せていた。
どこかの学生なのか、同じ白い制服を着た三人だった。
桜華はその三人に目をやった。
一人目は銀髪と紫色の眼差しを持つ少女。
二人目は冷静さが窺える黒髪の少女。
そして三人目。
長い髪を白いリボンで結いだ少女を見て、桜華は驚いた。
彼女に見覚え――いや、厳密に言えば身内の面影を見たのだ。
「……御影だと? まさかこの女性は私の一族の者なのか?」
そんなことをその少女は言った。
台詞からすると、やはり彼女は自分と同じ御影家の者のようだ。
そして今の御影家であの年齢の者といえば――。
(まさか、刀歌なのか?)
かつて自分が剣術の手解きをした幼い少女を思い出す。
桜華は、ますますもって茫然とした。
封宮の展開によって、ホマレとの通信が途切れていてよかった。
もし今質問攻めにあえば、茫然どころか大混乱に陥っていたに違いない。
『ガウ。御影ハアルジノ友ダ。ダガ……』
九龍が首を傾げた。
『ナゼ女装ダ? マタ任務ナノカ? 御影』
と、呟いた時だった。
『――違う! 違うんだよ! 九龍の兄者!』
不意に別の声が響いた。青年らしき声だ。
桜華は表情を鋭くした。
声は、二人目の少女から発せられているようだった。
『兄者は起きたばっかで記憶が混在してんだ! そいつが御影のはずがねえ!』
『そうだよ!』
別の声も響く。少女の声である。
それは三人目の少女から発せられているように聞こえる。
『もう百年も経ってるんだよ! その人が「御影刀一郎」のはずがないんだよ!』
「………え?」
その台詞に目を瞬かせたのは三人目の少女だった。
「待て。蝶花」と彼女は自分のリボンの端を片手で掴んだ。
「それはどういう意味だ? 何故ひいお爺さまの名前がここで出てくる?」
――ひいお爺さま。
自分をそう呼ぶということは、やはりあの少女は本当に刀歌らしい。
予期せぬ形だったが、これで桜華は確信を得る。
こんな所で再会しようとは何という運命の悪戯だろうか。
そんなふうに思うが、今は――。
「……お前は」
対峙して初めて桜華は口を開いた。
「本当に九龍なのか?」
『……ガウ』
率直に尋ねてみたが、九龍は答えるのに逡巡しているようだ。
代わりに、ポツリと呟いた。
『……オレ、失敗シタカ?』
『……いや。こりゃあ流石に想定外だ。兄者が悪い訳じゃねえよ』
と、二人目の少女が言う。
しかし、桜華はすでに見抜いていた。
(……あれも従霊か)
恐らくあの青年らしき声は少女のチョーカーから発せられている。
刀歌の方は、リボンのようだ。
桜華は双眸を鋭くする。
(……何故、従霊が存在している?)
すべての従霊は、あいつの死と共に消滅したはずだった。
事実、白冴はあいつの死後、一度も桜華の呼びかけに応じたことはなかった。
(……何が起きている?)
桜華は一度小さく息を吐いた。
そうして、
「答えてもらうぞ。何としても。必要とあらば」
言って、虚空へと手を伸ばす。
取り出したモノはヒヒイロカネの宝剣。触媒である柄だ。
それを静か薙いで、
「力尽くにでも答えてもらうだけだ」
激しく動揺する鼓動は隠しつつ。
久遠桜華はそう宣告した。
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