第266話 それぞれの対峙➂

 ほぼ同時刻。

 自動車の車内にて。


「……止めて」


 後部座席に座る六炉は、唐突に声を上げた。

 住宅街を走っていた自動車は、周囲に気を付けつつ停車する。


「いかがなされましたか? 六炉さま」


 運転席の山岡が尋ねると、六炉は「ん。降りる」と答えた。そして座席に掛けていた和傘も手に取って車外へと出る。

 山岡も彼女に続いて外に出た。


 燦たちの元へといち早く向かった山岡たちだったのだが、迎えということで車を使用したのが失敗だった。運悪く渋滞に巻き込まれて普段時よりも遅れてしまっているのだ。


 これは完全に想定外だった。挽回するためにも先を急がねばならない。

 しかし、それでも停車したのは、六炉の表情から只事ではないと察したからだ。


 彼女は静かな眼差しで遠方を見据えていた。


「……六炉さま?」


 山岡が声を掛けると、


「たぶん、誰かが封宮メイズを使ってる」


 独白のように六炉が答えた。


「……封宮メイズですと?」


 山岡は引導師ではないが、その術のことは聞き知っている。

 しかし、封宮メイズに限らず引導師ボーダーの術の発動は感知できないとも聞いているが……。


「六炉さまは引導師ボーダーの術を感知できるのですか?」


「ううん。出来ない」


 六炉はかぶりを振った。


「これはただの勘。ここら辺がチクチクするの」


 そう告げて自分のうなじを擦った。

 一方、山岡は真剣な表情のままだった。

 勘というモノは決して馬鹿には出来ない。

 何故ならそれらの多くは経験則が体感として現れたモノだからだ。

 ましてや、彼女は超一流の引導師ボーダー

 時には生死も懸けた経験則を軽視など出来るはずもない。


「もしやおひいさまたちの身に……」


 表情をより険しくする。

 前回の事件でも奴らは封宮メイズを利用して誘拐に及んだと聞いている。

 有効な手だ。今回も使う可能性は大いにある。


(やはり急がねば……)


 山岡が危機感を募らせた時、


「山岡さん」


 六炉が、山岡に視線を向けた。


「ムロはこのまま走ってく。封宮メイズが気になるから。山岡さんは車で燦たちの所に行って」


「承知いたしました」


 山岡は即座に応じる。


「何があるか分かりません。六炉さまも充分にお気をつけて」


「……ん。山岡さんも気を付けて」


 六炉は頷いた。

 山岡は再び車上の人となると再び車を走らせた。

 六炉は数秒の間だけ車を見送っていたが、


「じゃあムロも行く」


 言って、彼女は空高く跳躍した。



       ◆



「ひゃっはああああはははははははははははははははあぁ―――ッ」


 湿地帯に狂気じみた笑い声が響く。


「月子ッ! 月子ッ! 月子ッ! 月子オオオォ―――ッ‼」


 心からの歓喜の声。

 天を仰いでビアンが叫ぶ。


「マジで逢いたかったんだぜえええええェ――ッ!」


 そうして泥で靴を穢しながら、狂気の男が近づいて来る。

 対する月子の顔色は真っ青だった。


「月子ォ……」


 ビアンの笑みに凶悪さが増していく。


「お前のことを考えるだけでもう何回イッタことかぁ……」


 完全に獲物を前にした獣の目で言う。

 そしてビアンが両手を大きく広げた。


「さあああ! 月子オォ! あの夜の続きをしようぜええェ!」


 そう叫んで、いよいよ駆け出そうとする!

 ――が。


「……まあ、待てヨ。ビアン


 ビアンを止める男がいた。ビアンは「うぐッ!」と足を止めた。

 意外にも、自分の欲望よりもその男の声の方が優先されるようだ。

 その男の方には、燦の方が表情を険しくした。


「……あんたは」


「おウ」


 その男――ワンは苦笑を見せた。


「久しぶりだナ。火緋神家のお姫さマ。俺のことを憶えているみてえだナ」


「……あんたがそいつを逃がしたの?」


 燦は、狂犬のようなビアンを睨みながら問い質す。


「おウ。そうサ」


 一方、ワンは笑った。


「色々と性格やら性癖やらを拗らせているがこいつは俺の右腕だしナ」


「……性格や性癖は余計なお世話だぜ。ワン


 お預け状態にされてビアンが不満そうにそう告げる。

 しかし、それでも彼のボスであるワンの意向を無視したりはしなかった。


「今更あたしたちに何の用よ」


 委縮する月子を庇って燦が前に出る。


「また神威霊具でも造るつもりなの?」


「ああ。そいつはもういいんダ」


 燦の設問に、ワンは頬をかいた。


「あん時は迷惑をかけたナ。だガ、今回、用があんのはお前自身サ。お姫さマ」


 言って、ピストルスタイルで燦を指差した。


「……あたし?」


 燦は眉をひそめた。


「どういうことよ? 月子は関係ないってこと?」


 出来れば月子だけでも逃がしたい。

 そんな想いから出た質問だが、ワンは苦笑を浮かべて答えた。


「俺的にはナ。けどこいつがなァ……」


「てめえなんぞどうでもいいんだよッ! 俺の目的は月子だけだッ!」


 と、ビアンが吠える。

 月子がビクッと肩を震わせた。


「……最悪だわ」


 燦は不快感を隠さずに言い放つ。


「このヘンタイめ」


「まあ、こいつが変態なのは事実だから否定はしねえガ」


 そこでワンは双眸を細めた。


「お前、『火緋神杠葉』って知ってカ?」


「誰よそれ」


 燦は即答した。月子も眉をひそめている。

 これは誤魔化しでもブラフでもない。

 燦も月子も御前さまの本名までは知らないのだ。


「……そうカ」


 ワンは鍛え上げた洞察力で燦たちが嘘をついていないと判断する。


「直系のお前でも知らねえのカ……」


 あごに手をやった。

 ワンが《未亡人ウィドウ》から開示された情報は『火緋神杠葉』という名前と、その女があの《未亡人ウィドウ》よりも強いと言うことだけだった。容姿や年齢すら分からない状況なのである。


(こいつが知ってたら話は早かったんだがナ……)


 改めて燦の方を見やる。

 ワンが立てた計画は実にシンプルだった。

 あの《未亡人ウィドウ》に自分よりも強いと言わしめる怪物に正面切って挑む必要などない。

 どんな実力者であっても子供相手には油断する。

 ましてや身内なら尚更だ。


 ワンは燦を人形にして『火緋神杠葉』を暗殺するつもりだったのである。

 しかし、肝心のターゲットが分からないとあっては……。


「……仕方がねえナ」


 ワンビアンに近づいて「おい、ビアン」と肩を叩いた。

 お預けが長いためか、ビアンがかなり苛立った様子で「なんだよ」と視線を向けた。


「お目当てのついでで構わねえから、あっちのガキの方も堕としてくレ」


「……は?」


 ビアンが目を瞬かせる。ワンは構わず言葉を続けた。


「あのガキを駒にすることにしタ。火緋神家に探りを入れさせる。流石に人形には無理な仕事だからナ。自分の意志は残しておいてくレ。《隷属誓文ギアスレコード》も使っていいガ、ちゃんと自分から服従させてくれよナ」


「おい!? ちょい待て!? ワン!?」


 ビアンがギョッと声を荒らげた。


「そいつは無茶な注文だぞ!? 流石にあんな凹凸もねえガキには勃たねえよ!?」


「おいおイ、ビアンよ」ワンは苦笑を浮かべた。


「頭ん中がエロいことだらけになってんゾ。堕とし方なんぞ他にも色々あんだロ。例えば薬物ヤク漬けにするとかナ」


「……ああ。そういうことか。まあ、それなら構わねえが……」


 と、ビアンは渋々といった感じで承諾する。


「ふざけないでよッ!」


 一方、それに対して気炎を吐くのは燦である。

 本気で青筋を立てている。


「誰が凹凸なしよ! 少しぐらいはあるもん! ぶっ殺すわよッ!」


 大きく息を吸って、


「ぶっ殺すわよッッ! つうか、なに勝手なことばかり言ってんのよ! ヘンタイどもめッ!」


 そう叫ぶと、「……まあ、そうだな」とワンは嘆息した。


「俺まで変態扱いになったのは異論があるが、まずはお前らを捕えてからの話だナ。おイ」


 パチンと指を鳴らす。

 すると、周囲の男たちが無痛注射器を取り出した。

 燦にとってはこれもまた見覚えのある光景だ。

 みるみる内に男たちが怪物に変わる。


「さ、燦ちゃん……」


 月子が強張った声を零す。

 いつしか二人は様々な姿の怪物に囲われていた。

 変化していないのはワンビアン蘭花ランファの三人だけだった。


「全員が象徴者シンボルホルダーダ。そんで」


 ワンはふっと笑って、ビアンの肩を離した。


「GOダ。ビアン


「OKだぜェ! ボォスッ!」


 ようやく解き放たれたビアンは駆け出した!

 もちろん狙いは月子である。迫るその動きは本当に獣のようだった。湿地帯が邪魔に感じたら、今にも四つん這いにもなりそうだった。


「……ひっ!」


 月子は完全に委縮していた。

 剥き出しの狂気の前に動けなくなっている。


「――月子!」


 そんな月子を燦が庇おうとして両手に炎を纏う――が、その時。


「後ろがお留守よ。お姫さま」


 背後に立つ蘭花ランファが拳銃を構えていた。

 その銃口は燦の左足へと向けられている。


「……あ」


 燦は振り向くがすでに遅い。


「悪いわね」


 蘭花ランファは自嘲の笑みを零した。


「あんたたちには同情するけどさ。私ってもうそいつの女なんだよ」


 そう告げて。

 ――パァン。

 軽快な音が湿地帯に響いた。






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