第91話 懐かしき、初対面②
ほぼ同時刻。
場所は変わって、フォスター邸。
キラリ、と。
鋭い刃が輝く。
――おい、やめろ! やめてくれ!
その時、彼は、目でそう訴えかけていた。
しかし、体は動かない。声も出せない。そもそも言葉を知らない。
その眼差しも、すでに意志のないものだった。
何故なら、彼の命は、すでに尽きているからだ。
けれど、それでも、彼は目でそう訴えかけているように見えた。
だが、彼女は無情だった。
一切の容赦もなく、断罪の刃は振り下ろされる。
煌めく刃は一瞬の停滞もなく体を切断した。
それも一度ではない。三度に渡ってだ。
彼――まな板の上の魚は、瞬時に四つにぶつ切りされた。
「いや、あのね。かなた」
エプロン姿のエルナが嘆息した。
「三枚おろしの練習でしょう? どうしてぶつ切りにするの?」
「……いえ。何となく」
包丁を片手にかなたが言う。
「何故か、少し苛立ったので」
「え? そこまで料理が嫌なの?」
エルナが目を丸くすると、かなたは少し困惑したような顔を見せた。
「いえ。そうではありません。ですが、ただ……」
一拍おいて、弐妃が告げる。
「何故か、私の特権が脅かされたような気がしたのです」
◆
お妃さまの一人が、凄まじい女の勘を発揮している頃。
真刃たちは『百貨店』の九階――飲食店エリアにある喫茶店に移動していた。
同行しているのは、猿忌だけではない。
二人の少女の姿もそこにはあった。
「……改めて、ごめんなさい」
赤い髪の少女が、ぺこりと頭を下げた。
場所は喫茶店のテーブルの一つ。
真刃が座る席の向かい側に、二人の少女が座っている。テーブルの上には、真刃が注文したホットコーヒーと、少女たちが望んだ、鮮やかな色のパフェが並んでいた。
互いの自己紹介はしていない。
真刃が止めたのだ。
初対面の大人と子供。互いにあまり深入りはよくないと考えたのである。
ただ、それでも分かったことがある。
制服を着ているので二人とも学生。恐らくは小学生であること。
そして、彼女たちの名前である。
これに関しては、少女たち自身が互いを名前で呼んでいるので分かった。
赤い髪の少女の名は『燦』。
恐らくは、火緋神家の直系。杠葉の子孫だと確信している。
蒼い瞳の少女の名は『月子』というらしい。
彼女に関しては、それ以上は推測も出来なかった。
一時は防犯ブザーを鳴らされる寸前だったが、今は和解している。
あの後、自分が引き起こした事態に青ざめた燦だったが、幸いにも、人的にも、商品的にも被害は奇跡的に少なく、お詫びも兼ねて『反羊反』と、壊した幾つかの商品を買い取ることで店主は許してくれた。
『まあ、こんな商売だと、こういったこともあるからねェ』
と、老店主は語った。
ともあれ、後は真刃たちの話だ。
初対面の人間相手に雷光をぶつけまくった燦は、本当に気まずそうだった。
「気にすることではない」
真刃は、苦笑を零して告げる。
実際のところ、真刃が受けた損傷はほとんどない。一番の損害としては、流石に服がかなり焦げてしまったので、老店主の店で替えの服を購入したぐらいか。
「
言って、月子の方を見やる。
彼女は、もじもじとした様子で真刃は見つめていた。
「そ、そうよね!」
燦が顔を上げて瞳を輝かせた。
「いきなり抱き上げられたらああなるのも当然よね! うん! あたしは悪くない!」
「え、えっと、燦ちゃん、それは……」
月子が何とも言えない表情を見せた。
真刃は嘆息する。
「お前の未熟さが原因であり、切っ掛けなのは変わらんぞ」
若い世代のために容赦なく告げる。
燦は「う」と呻いた。
「
「し、仕方がないじゃない!」
しかし、燦はなお言い訳をする。
「あたしの魂力は333もあるのよ! 制御が難しいの!」
『……ほう』
その台詞に驚いたのは猿忌だった。
『驚いたな。まさに麒麟児だったのか。「あの女」でさえ185だったというのに』
「え?」「喋れたの? あなた?」
月子と燦が驚いた顔をする。
喋る式神というのは、かなりレアな存在なのだ。
『逸材……ではあるが、年齢的にな。それに「あの女」の血筋というのは気に入らん』
だが、当の猿忌は何も答えることもなく、小さな声でブツブツと呟いている。
そんな従者を一瞥しつつ、
「暴走に魂力の量自体はさほど関係せんぞ」
真刃は、さらに指摘する。
「魂力の量が影響するとすれば損害の差ぐらいだ。結局のところ、あれは昂りやすい性格から来る悪癖にすぎん。ゆえに直すことも可能だ」
「え? あれって直せるの?」
パチクリと燦が目を瞬かせた。
途端、
「………む」
真刃は、少し困ってしまった。
確かに直す方法はある。悪癖が出ないように心掛けることが出来ればいいのだ。要は、気持ちが昂るような状況を繰り返して、心と体を慣らすのである。
(う、む……)
かつての時代を思い出す。杠葉のことだ。
出会った頃の杠葉は、何かある度に発電していた。
けれど、ある夜を境に、彼女からその悪癖は完全に消えたのである。
間接的にだが、真刃が彼女の悪癖を直したことになる。
(……杠葉)
真刃は、小さく嘆息した。
……あれは状況的には当然であり、仕方がないことだった。
なにせ、あの時、杠葉は、この上なく緊張していたのだから。
真刃は気にしなかったのだが、それでも彼女的には申し訳なかったのだろう。
あの夜。杠葉は、何度も真刃の腕の中で謝っていた。そして必死になって克服しようとした甲斐もあってか、夜が明ける頃には、もう発電することもなくなっていた。
「ねえ? どうやるの? あたし直したい」
杠葉とよく似た顔で燦が尋ねてくる。
真刃は「う、む」と言葉を詰まらせた。
真刃が知る方法は、とても純粋無垢な少女に告げられるような内容ではない。
将来、この少女と結ばれる男が頑張るしかない方法だ。
愛の強さを、その身で示すしかない。
ただ、今日の出力を見る限り、それは相当命がけになるような気もするが。
「……まあ、今は出力を抑えるように心掛けることだな」
今はその程度のことしか言えない。
「ええ~」と、燦は不満そうに声を上げた。
「お前も引導師ならば師と呼べる者もいるであろう。そういった者に相談すればいい」
続けて、真刃がそう告げると、燦は「う~ん」と唸った。
「分かった。けど、おじさん」
「……いや、そのおじさんは止めてくれんか?
と告げるのだが、実のところ、これは真刃の実年齢ではなかった。
年齢を誤魔化した訳でなく、そもそも、自分が誕生した日を知らないのだ。
あの外道な父が息子の誕生した日を祝うような真似をするはずもなく、真刃は物心ついた頃ぐらいから、元旦を基準にして年数を数えていた。
おかげで、大体ながらも自分の年齢を把握していたのだが、紫子に誕生日を知らないと告げた時、彼女が早とちりして、今の年齢を決めたのである。
『それじゃあ、二十七、六……いえ。二十三にしましょう』
それが紫子の言葉だった。
結果、当時、十八か十九だった真刃は、二十三歳にされてしまった。
どうも達観しすぎていた真刃の雰囲気から、かなり年上だと思い込んだらしい。まあ、真刃としても、そこまで年齢に拘ってもいなかったので否定もしなかったが。
ただ、最近、鏡を見て思うが、自分はあの頃から容姿が全く変わっていない気がする。
実質的に、十八、十九で変化が止まっているようなのである。
もしや、自分はこれ以上歳を取らないのだろうか、と、内心で少し慄いているのだが、それとは別問題で、流石に子供に『おじさん』と呼ばれることには抵抗があった。
実年齢的にも、せめて『お兄さん』と呼んで欲しいところだった。
しかし、小学生たちは、
「充分、『おじさん』よね」
と、燦が月子の方を見て言う。
「ダメだよ。燦ちゃん」
真刃は、大人しい少女のフォローに期待した。が、
「『おじさん』は失礼だよ。『おじさま』と呼ぼう」
そんなことを答えた。
「……まあ、構わんか」
真刃は嘆息する。ちなみに、隣では猿忌がくつくつと笑っていた。
「……謝罪についてはもうよい」
真刃は、少し冷めたコーヒーを一気に呑み干した。
今日は本当にコーヒーの日だなと苦笑しつつ、
「ここの代金は己が持とう。これからは気をつけよ。
伝票を手に、そう告げて立ち上がった。
「あ、待って! おじさん」
そこで、燦が立ち上がって声を掛けた。
真刃が振り向くと、燦は勝気な表情に少し不安を乗せて。
「今日はごめんなさい。助けてくれてありがとう。それと、あの……」
一呼吸入れて、躊躇いがちに尋ねる。
「おじさん。また会える? どこかで……」
一拍の間。
「え? 燦ちゃん?」
月子が燦の横顔を見て、目を瞬かせていた。
「…………」
一方、真刃は沈黙した。
上目遣いにこちらを見る少女に、
「……縁があればな」
そう答えた。
「ホ、ホント!」
燦は表情を輝かせた。名前通りに太陽のような笑顔だ。
その眩しさが直視できないように、真刃は背中を向けた。
そうして真刃は、店から出て行った。
燦は、トスンと椅子に座り直した。
それからパフェを口にし始める。鼻歌も口ずさんでいる。かなりご機嫌な様子だ。
月子も同じくパフェを口にしながら、
「ねえ、燦ちゃん」
おもむろに、燦に尋ねた。
「どうして最後、あんなことを聞いたの?」
見知らぬ男性に声を掛ける。それは子供にとってはタブーのようなものだ。
あのおじさまは悪い人には見えないが、警戒を怠るのはよくない。
「う~ん、そうねぇ……」
燦は長いスプーンを口に咥えて、両手を前に伸ばした。
そして手をギュッと掴み、そのまま自分の肩を抱きしめた。
「初めて会ったの」
燦は言う。
「発電してるあたしを抱きしめてくれる人」
「……あのおじさまは」
月子が呟く。
「電雷系の
「そうかもしれない。けど……」
そこで燦は一拍おいた。
そして、
「あたしの直感が告げているの」
燦は再びパフェを口にして、にこりと笑った。
「あのおじさんとはまた会える。きっとそういう運命なんだって」
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