第211話 薄幸姫の願い③

「……捕縛・・だと?」


 不穏な言葉に、真刃は眉をしかめた。


「姉に対して使う言葉ではないな」


「……力においては、それほどまでに彼女は危険な人物なのです」


 顔を上げて七奈が言う。


「私には七人の兄弟姉妹がいます」


 彼女は語る。


「一人はご存じの通り、末弟であり、私の夫でもある天堂院八夜。そして次期当主である長男の壱羽を筆頭に、長女の二葉。次男の三狼。三男の四我。四男の五蔵……」


 一呼吸入れて、少しだけ柔らかな眼差しを見せる。


「その次が、次女である六炉です。八夜と六炉は母親が同じらしいという話ですが、その他の兄弟姉妹は私も含めて母が違います。中にはとても『母』とは呼べない者もいます。父が試験的に自分と様々な遺伝子をかけ合わせたためです」


「…………」


 真刃は無言だ。

 猿忌が囁くような声で『変わらんな。あやつは』と呟いていた。


「……強者を」


 深く息を吐いてから、真刃が尋ねる。


「……いや。『久遠真刃』を生み出すためか?」


「……はい」


 七奈は頷いた。


「あなたがどうやって生み出されたかのは存じ上げませんが、天堂院家もまた『久遠真刃』の再現に注力してきました」


 ……迷惑な話だ。

 そう思うが、真刃は口にはしなかった。


「とは言え、私自身は失敗作です。いえ。唯一の駄作と呼ぶべきでしょうか」


 七奈は、真刃が初めて見る自嘲の笑みを見せた。


「他の兄弟姉妹は、全員、母体を由来にした独界オリジンに目覚めています。象徴化身シンボリック・ビーストにもです。ですが、私は結局どちらにも目覚めることはありませんでした」


「…………」


 真刃が沈黙する。と、七奈は頭を垂れた。


「失礼。どうでもよいことでした。ともあれ問題は六炉です。彼女は――」


 表情を険しくして、七奈は告げる。


「かつて父に反発して命令違反を犯しました。ですが、捕らわれることを拒み、その場にいた者たちを蹴散らし、さらには三狼お兄さまもねじ伏せて失踪したのです」


「……兄をねじ伏せてか」


 真刃は双眸を細めて尋ねた。


「相当に強いのか? その女は?」


 その問いかけに七奈は「はい」と頷いた。


「天堂院六炉と、八夜は別格です。彼らは研究所生まれの存在ですから」


「……研究所だと?」


 眉をしかめる真刃。対し、七奈の方も怪訝そうな表情を見せた。


「私には詳細は分かりません。その場所さえも。父が創設した施設としか……」


 ですが、と続けて。


「六炉が個人で有する魂力オドは1106。それだけでも彼女が別格だと分かると思います」


『……ほう』


 その情報に、興味深そうに呟いたのは猿忌だった。


『あの小僧をも凌ぐのか。確かに別格だな』


 猿忌はあごに手をやっていた。


『肖像はないのか? 年の頃は?』


 と、急に乗り気になる。

 真刃は、そんな従者に目をやって嘆息した。

 流石に猿忌が何を画策しているのかにも気付く。


「あやつの娘なのだぞ。流石にやめろ」


 と、手を払って従霊の長を嗜めてから、


「しかし、何故、お前は姉を捕えたいのだ?」


 率直に七奈に問うた。


「簡潔に言えば手駒が欲しいのです」


 七奈もまた率直に答えた。


「先程もお伝えした通り、私は駄作です。いつ処分されてもおかしくない人間です」


「………」


 無言の真刃。七奈は視線を伏せ、膝の上で拳を固めた。


「かつてはそれも仕方がないと思っていました。私は駄作だから。けど、私は彼と生きていくと決めました。決めたのです」


 前を向く。


「私は彼と生きたい。処分なんて嫌です。彼とずっと生きていきたい。だから、いざという時には天堂院家とも戦える力が欲しいのです」


「……なるほどな」


 真刃は苦笑を浮かべる。


「愛する者と生きたい。その願いは当然だ。だが、その話に何の役得がオレにある?」


 一拍おいて、


「あの男との面通しは、あくまでこの話の副次的な産物だ。お前の目的には組み込まれていない。お前の姉を捕られ、味方につけたとしてもオレには何の役得もなかろう」


「……メリットならばあります」


 七奈が言う。


「天堂院家の至宝。天堂院六炉・・・・・を貴方に献上・・・・・・いたします・・・・・


 大和撫子を体現したような、穏やかな雰囲気のままで。


「……なに?」


 眉をしかめる真刃に、七奈は言葉を続ける。


「異母姉はその美貌もまた別格です。その強さゆえに異性との経験もなく未だ生娘です。性格においても、経験においても、雪のごとく無垢な娘です。隷者ドナーとしても女としても、久遠さまも必ずやお気に召されることでしょう」


「…………」


 真刃は沈黙している。


「結局のところ、私が欲しいのは六炉の戦闘能力だけなのです。ですので彼女を捕られ、その後、手懐けること・・・・・・は久遠さまにお願いいたします。いかなる手法でも構いません」


 淡々とした声で彼女はこう告げる。


「穢れなき純白の雪を、久遠さまのお好きな色に染め上げてくださいませ。私としましてはいざという時に彼女をお貸し頂ければ有難いかと」


「…………」


 真刃は、まだ無言だった。


『(うわあ。仮にも姉相手にえげつないことを言う子っスね)』


『(静かに。真刃さまのご思考の邪魔をして行けませんわ)』


 と、代わりに、スマホとペーパーナイフが呟いている。

 真刃はしばし熟考した後、


「まずはその娘の情報をよこせ」


「……はい」


 真刃の要求に七奈は迅速に応える。

 真刃のスマホに異母姉の画像を送り、自身のスマホにも表示させる。

 それを机の上に置いた。真刃は彼女のスマホを手に取った。


『うわっ! 何スかこれ! もの凄い美少女っス!』


 と、早々と送られた画像を確認した金羊が言う。


「六炉は今年で十九になります。その写真は十七の頃のモノです」


 と、七奈が補足する。

 七奈のスマホには、一人の少女が映っていた。

 白銀の乱れザンバラ髪に、年齢差もあるだろうが、エルナや刀歌も凌ぐスタイル。何故か花魁のような派手な着物を羽織り、背中を見せつつ、顔だけをこちらに向けていた。


 確かに瞠目するほどに美しい娘だ。幻想的ですらある。

 ただ、最も気になったのはその眼差しだった――。


(………これは)


 真刃は双眸を細めた。

 そして、


「……いいだろう。気に入った」


 そう答えた。『ええッ!? ご主人ッ!?』と、金羊が驚きの声を上げる。


「……お気に召されて何よりです」


 と、返す七奈に、真刃は「ただし」とつけ加えた。


「確かにこの娘のことは気に入った。お前の望み通りに捕えることにしよう。捕縛した後はこの娘の身柄はオレが預かるぞ。よいな」


「……それはご随意に」


 元々の報酬だ。七奈は承諾した。が、


「では、この娘はオレの女にすることにしよう。従って、たとえお前が何を望もうとも、オレが認めぬ限り、この娘を天堂院家に関わらせるつもりは一切ない」


「…………え?」


 驚いて顔を上げる。一方、真刃は不敵に笑った。


オレの女になるとはそういうことだ。お前の都合など知ったことではないな。オレは自分の女を血の一滴さえも道具にする気などない」


「そ、それは……」


 言葉を詰まらせる七奈。

 緊迫した沈黙が降りる。と、


「そもそも『男』に対し『女』を餌にすることは危険だとは思わないのか?」


「……え?」


 目を瞬かせる七奈。真刃は嘆息する。


「そのような話をして、オレが姉ではなくお前の方を求めるとは思わなかったのか?」


「え? そ、それは……」


 七奈は唖然とした。それは考えたこともなかった。

 困惑しつつも目を泳がせた。


「わ、私は失敗作ですから。容姿も姉には遠く及びません……」


「それは流石に自分を卑下しすぎだと思うのだが……」


 と、呆れたように真刃が呟いた時だった。


「お料理をご用意いたしました」


 女将が仲居たちと一緒に豪勢な料理を運んできた。

 何ともよい匂いが室内に広がっている。


「まあよい。折角の招待だ」


 真刃は笑った。


「まずはご相伴に預かるとするか」



 ……そうして一時間後。

 食事は何事もなく終了した。

 すでに料理は片づけられており、久遠真刃の姿もない。

 この和室には、天堂院七奈だけが残っていた。

 静寂に包まれた室内。

 言葉が何も出てこなかった。

 彼女は、実に複雑な表情を見せていた。


(……全部見抜かれていた)


 冷たい汗が流れる。

 まさか、この後に自分自身を差し出さなければならないのか。

 そんな気が気でない時に、彼はこう告げたのだ。


『……そう身構えるな』


 小さく嘆息して。


『先程の話はあくまで例えだ。あのような交渉方法を用いてはそういった可能性もあったというだけの話だ。オレとしてはお前の迂闊さを警告したつもりだったのだが、少々意地が悪かったか。それと、その前の話もすべて嘘だぞ』


『……え?』


 目を瞬かせる七奈に対し、


『お前が自分を卑下しすぎであるというのは率直な意見だが、オレには、お前の姉を捕える気も手籠めにする気もないということだ』


 そう告げて、苦笑を浮かべた。


『しかし、どうもお前は正直すぎる性格のようだな』


 席から立ち上がりつつ、彼は言葉を続ける。


『相手を騙す時は虚実を混ぜた交渉をする。基本の心得はあるようだが、お前に姉を道具にする気などないのだろう?』


『……え?』


 七奈は驚き、顔を上げた。彼はなお言葉を続ける。


『姉のことを語る時、お前の目は時折穏やかになっていた。恐らくお前にとって優しい姉なのだろうな。親愛の情が隠しきれていなかったぞ』


『……あ』


 七奈は、口元を押さえて言葉を失った。


『察するに姉と共謀してオレの素性を探るか、もしくは、あの小僧を凌ぐという姉にオレを屈服させてもらおうとでも企んでいたのではないか?』


 言葉の出ない七奈に、彼はさらに指摘した。


『実際のところ、お前が手駒にしたかったのはオレの方なのだろう?』


『……………』


 本当に言葉が出ない。

 ただ七奈は強い危機感を覚えていた。

 ――そう。その通りだ。

 自分は彼を騙そうとしたのである。絶対服従の身でありながらだ。

 この場で殺されても、もはや文句も言えない状況だった。

 しかし、彼は、


『……阿呆あほうが』


 ただただ嘆息していた。

 そうして彼女の方へと近づき、軽く握った拳を向け、

 ――ゴツン、と。


『え?』


 目を丸くする七奈。いきなり彼の拳で頭を叩かれたのだ。

 少しだけ強めで心なしか痛い。

 七奈は唖然とした。

 すると、彼は静かな眼差しを七奈に向けて、


『いいか、七奈。今後はまどろっこしい真似をするな』


 軽く叱責する。


『お前たち二人に明日への道を示したのは他ならぬこのオレだ。その道が誰かに閉ざされようというのならば真っ先にオレに頼れ。いいな』


『……く、久遠さま』


 困惑する七奈に、彼は小さく嘆息した。


『困った娘だ。だが、お前の姉には別件で興味がある。会うことにはしよう』


 後で詳しい情報を寄こしてくれ。

 そう告げて、彼は料亭を去っていた。


 七奈は茫然としていた。

 まさか、あんな真似をされようとは……。

 思いもよらなかったのだ。

 かの『久遠真刃』の名を継ぐような怪物から、あんなにも親身で優しい言葉をかけられるとは考えもしなかったのである。


 もし心の中に愛する夫がいなければ、思わずときめいてしまったかも知れない。

 それぐらい不意打ちだった。


「……六炉お姉さま」


 少しだけ赤い顔で、七奈はため息交じりに呟いた。


「お気をつけて。あの人、想像以上に手強いです」

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