第212話 薄幸姫の願い④

『ご主人って幸薄い子には本当に甘いっスよね~』


 料亭からの帰り道。

 送迎のタクシーを断って、歩道を一人歩く真刃に金羊がそう言った。


『それともあの子が好みだからっスか? 見事な黒髪ロングっスから』


 そこで『う~ん』と唸る。


『人妻なのが残念っス。まあ、黒髪ロングはともかく、おっぱいとか、足の肉付きとかは流石に「彼女」には遠く及ばないっスけど』


「……握り潰されたいか? 金羊」


 スマホを取り出して足を止め、淡々と告げる真刃。

 金羊のスタンプが慌てて画面にポップアップしてきた。


『じょ、冗談っス! それより驚いたっス! 特にあの子っス!』


 言って、画面を変える。代わりに表示されたのは天堂院六炉の画像だ。


『……ああ。その娘か』


 スマホの画像を、猿忌が覗き込んできた。


『何度見ても見事な美貌だな。伝説の雪妖かと見紛うばかりだ。天堂院七奈もそうだが、父に似なかったのは救いだな』


『ええ。確かに美しき娘ですわ』


 ボボボッと。

 珍しく刃鳥が孔雀姿の霊体で姿を現した。


『本当っスね』


 画面の隅にスタンプをポップアップさせて、金羊も頷く。


『スタイルはエルナちゃんや刀歌ちゃんよりも凄いっス。二年前って話っスけど、胸の大きさは見たところ90は確実っスね。この時点で「彼女」よりも大きいっスよ』


『……ふむ』


 猿忌が、あごに手をやった。


『美貌は申し分ない。魂力に至ってはもはや別格。主に近いほどだ』


『そうっスね。天堂院家ってのは気になるところっスけど、この子は出奔してるって話っスからね。これはもう当確っスか』


『ええ。年齢も十九。初の適齢期ですわ。魂力オド的にも問題なく、すぐにでも真刃さまの愛を受け入れられます。他の従霊たちも納得するでしょう』


「……おい。待て」


 不穏な密談に、真刃が眉根を寄せる。


「まさか、この娘まで妃にすると言い出す気ではないだろうな?」


 そう告げる主に、従霊たちはキョトンとした表情を見せた。


『いや。それは当然であろう』


魂力オドは1000越え。おっぱいは90越えなんスよ』


『金羊のセクハラ発言は後で叱るとして。やはり逸材かと思われますが』


「……お前たちは」


 従霊たちの返答に、真刃は深々と嘆息した。

 が、すぐに表情を改めて。


オレは、別件でこの娘に用があると言ったであろう」


 淡々とした声でそう告げる。次いで従霊たちに問うた。


「分からぬか? この娘を見て」


『え? どういう事っスか?』


 金羊が小首を傾げた。猿忌と刃鳥は改めて画像に目をやる。

 そして、


『……ああ。そういうことか』


 最初に気付いたのは猿忌だった。


『……なるほど。これは気になりますわね』


 次いで刃鳥も呟く。


『ええ? どういう事なんスか?』


 金羊は、スタンプをクルクルと回転させていた。


「……この娘の瞳だ」


 双眸を細めて、真刃は言う。


「琥珀の眼差し。このような瞳の人間がそう多くいると思うか?」


『琥珀の……あッ!』


 そこで金羊もハッとする。


『あの男の! 悪魔デビルが残した詩っスか!』


「……そうだ」


 真刃は頷く。


「ただの符丁に過ぎんかも知れんが、この機会でこの娘が現れた」


『……裏にあの男がいるやも知れんと?』


 神妙な声で猿忌が言う。


「それも分からんが……」


 真刃は、スマホをポケットにしまった。


「会ってみる価値はある。そう判断した」


『なるほどな』


 猿忌が頷く。


『確かに天堂院九紗に会うよりも先に会ってみる価値はあるな』


「そういうことだ」


 再び歩き出す真刃。

 同時に刃鳥も姿を消した。ペーパーナイフに戻ったのだ。


『そうっスね!』


 ポケットの中で金羊が言う。


『この子を味方にすれば、天堂院九紗にも面通し出来るっス! 何よりも!』


 誰も見ていないが、金羊は親指のスタンプをポップアップさせた。


『いよいよ伍妃もGETっスよね!』


「……だから妃にするな」


 真刃は、疲れ切った様子で嘆息した。


「そもそもこの娘の魂力は1000越えだぞ。オレの魂力を偽装するためなのが、お前たちのいう妃たちではなかったのか。オレにも届きそうな娘を隷者れいじゃにしてどうする」


『いや。それは違うぞ。主よ』


 猿忌が言う。


『確かに妃たちには偽装の役目もあるが、最たる目的は主を幸せにすることだ。その資格を持つ娘たちを妃に選んでおるのだ』


『そう言う意味では、彼女はまだ最終選考……性格の確認は出来ていませんわね』


 と、ペーパーナイフに宿った刃鳥も言う。


「……お前たちは」


 真刃は再び溜息をついた。


「まあよい。いずれにせよこの娘とは会うぞ」


 強く拳を固めた。


「あのふざけた男を見つけ出すためにもな」



       ◆



 一方、同時刻。


「クワックワックワッ」


 その男は、とある山中にいた。

 明らかに登山に向かない黒衣。ランタンを片手に険しい山道を登っている。

 周囲は暗いが、悪魔デビルと名乗る男がランタンを灯すことはない。


「クワ。そろそろか」


 悪魔は山道を抜けた。

 視界が開ける。目の前にあるのは古びた祠だった。

 木々の中に埋もれるように朽ちた建造物。

 恐らく管理もされていない。

 地元の人間でさえも、何を祀られているのか知らない祠だった。


「クワワ。これでようやく最後か」


 悪魔デビルは、心底疲れたように肩を落とした。


「他の海中深くや、活火山の中などよりはマシではあるが、山登りも堪える」


 額に指先を当てて、悪魔デビルはかぶりを振った。


「私は全知であるが全能ではないのだ。寝床にするならば場所の配慮を要求する」


 と、愚痴を零しつつ、祠へと近づく。

 そして、


「目覚めよ。王の守護者よ」


 指先で祠の扉に触れた。

 直後、祠が倒壊した。土煙が上がって黒衣の男を呑み込む。

 十数秒後、


「クワワ。これで三つ」


 土煙が晴れた時、悪魔デビルの指先には蒼い宝玉が収まっていた。


「ようやく揃ったな。出来れば最後の一つも……」


 と、呟いたところで、黒衣の男はブルブルと震えた。


「いや、あれを奪うのは怖い。今の彼女は昔よりも怖いからな」


 ふう、と嘆息する。


「私は全知だが全能ではないのだ。迂闊に怒らせて首でも刎ねられたら死んでしまう。そもそもあれは彼女への正式な贈り物プレゼントだ。正当なる所有者だ。私が奪ってどうするのだ」


 そう結論付けて、悪魔は虚空を開いて蒼い宝玉を保管した。

 そして結構堪える山道を、今度は下り始めた。

 数分ほど進むと、木々の間から月光が差し込んできた。


「クワワ。よい月だ」


 足を止めて、空を見上げた。

 今夜は三日月だった。

 悪魔デビルは、しばし月の輝きを見つめていた。

 そして「クワクワ」と鳴いて、


「ふむ。久遠真刃が、天堂院六炉に出会うのももうじきか」


 再び、歩を進め始める。


「しかも舞台は西の魔都。かの『強欲都市グリード』だ。これは騒がしくなるな」


 かくして。

 悪魔デビルは山道の中へと消えた――。

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