第六章 迫る悪意
第96話 迫る悪意①
そこは、星々が瞬く世界。
全面が流れ星で満たされた空間だ。
けれど、それらは本物の夜空ではない。
星々は世界に散らばる『端末』。流星は『回線』を表す。
ここは電脳空間。いわゆるネット世界をイメージ化したものだった。
『……う~ん』
その世界で、雷の体躯を持つ巨大な羊が唸っていた。
従霊の一体。金羊である。
彼の傍らには、数百体の小さな金羊が集まっていた。
この無限の世界を駆け抜ける金羊の分身体だ。
『……マジで候補がいないっス』
長から命じられた肆妃の選別。
それは、遅々として進まなかった。
『……はァ』
思わず溜息が零れる。
壱妃から参妃までが順調すぎたのだ。
そして、あの子たちのおかげで、肆妃のハードルが跳ね上がってしまった。
『魂力は最低でも180以上。容姿は……まあ、引導師は綺麗な子が多いからいいっスけど、年齢は二十二歳以上。しかも、しがらみの少ない子っスか……』
そんな人物がいるのだろうか?
金羊は頭を悩ませた。
『せめて年齢制限だけは解いて欲しいっス。そしたら……』
そう呟いたところで思い出すのは、赤い髪の少女だ。
あの少女は、まさに逸材だった。
もしかしたら、彼女の世代は、エルナたち以上の黄金世代なのかもしれない。
『う~ん、あの子の周辺をちょいっと調べてみるっスかね~』
そんなことを考える。
あの子以外であの子に近い逸材がいれば、年齢以外はクリアできる可能性がある。
それを材料に長を味方につけれれば、ご主人と交渉も可能かもしれない。
『それに、やっぱり気になるっスからね』
金羊は顔を上げた。
あの娘――燦を肆妃に迎えることは出来ない。
金羊自身の心情的にも抵抗がある上、ご主人の説得はまず無理だろう。
ただ、気になるのは火緋神家。
そしてあの家が保有していたという神刀――《
かつて、ご主人を追い詰めた神威霊具。
恐らくは、最強たるご主人の命に届く唯一の刃だ。
あの危険な霊具は、果たして今も現存しているのだろうか……。
『…………』
金羊は、双眸を細めた。
真刃に仕える従霊の一体。金羊。
彼には前世――人間としての記憶はない。
これに関しては、他の従霊たちも同じだった。
従霊としての特性……というよりも、これは死者としての特性だった。
人は死ぬと輪廻の輪へと戻る。
しかし、すぐに転生する訳ではない。
生前の記憶を失い、微睡のような意識だけを残して、ただただ宙空を漂うのだ。
声も出せない。
何も出来ず、どこにも行けない。
眠ることさえも出来ないのである。
ただ、世界の中を漂うだけ。
それは、途方もない苦痛だった。
まさしく停滞の牢獄である。
そうして、心が摩耗しきって意識が消えた時、初めて転生できるのである。
それには、およそ百年かかると言われている。
だが、それは、あくまで平均的な年月だった。
意志の強い者は、百年経っても解放されないことが多い。
今いる従霊たちは、等しく百年以上、停滞の地獄の中で存在し続けた者たちだった。
中には数百年の者さえもいる。
――果たして、自分はいつ転生できるのか。
――その時、自分の心はどうなっているのか。
恐怖と絶望、終わらない孤独が、常に胸の裡を灼いていた。
そんな彼らを救ってくれたのが、真刃なのである。
そういった者ほど、彼の声はよく届くのだ。
あの無間の牢獄の中で聞こえた彼の呼びかけに、どれほど救われたことか。
多くの同胞たちに囲まれた今が、どれほど幸せなことか。
従霊たちは、誰もがご主人に感謝していた。
ゆえに、その忠義心は揺るがないのだ。
だからこそ、見過ごせなかった。
(……仮にあの霊具が今も現存していて)
金羊は、想像する。
(……火緋神家が、今もご主人の討伐を考えていて)
今の状況から鑑みると、あり得ない。
けれど、可能性だけならば、あり得ること。
(……すでに『彼女』が死んでいても、あの娘がいる……)
新たなる、火緋神の娘。
魂力においては『彼女』さえも大きく上回る娘。
間違いなく、神刀に適合できるであろう赤い髪の少女。
(……あの子が、ご主人に刃を……)
元気いっぱいなあの子の笑顔が脳裏をよぎる。
……馬鹿馬鹿しい考えだとは思う。
だが、その可能性は、ないとは言い切れないのだ。
何より、先代の『彼女』は、その道を選んだではないか。
『……そうっスね』
その可能性がある以上、看過も出来ない。
もはや肆妃候補など関係なかった。
『……あの娘。今の火緋神家の内情を探ってみるっスか』
金羊は呟く。
従霊たちの情報の要。それが自分だ。
近代戦においては、情報こそが最も強力な武器である。
まずは、今代の火緋神の娘。燦の素性。
そして《
あの神刀の所在は、何としてでも確認しておきたい。
『よし!』
金羊は決断した。
『ちょいっとあの娘を探るっス! いくっスよ! チビたち!』
『『『メエエェェエェェッ!』』』
小さな金羊たちは、一斉に鳴いた。
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