第114話 太陽を掌に⑧

 ……ボオオオオオ。

 船が進む。

 多くのコンテナを乗せた船舶。

 その甲板の上で、ワンは港を見据えていた。

 彼の片腕にはアタッシュケースを握られている。

 しかし、そこにはもう手錠はない。


「……ボス」


 その時、一人の男が声を掛けてきた。

 部下の一人だ。


「……エボンさんは……」


「……あいつは」


 ワンは、ポツリと呟く。


「やると決めたら最後までやる男ダ。昔からそうだっタ」


「…………」


「……ビアンの奴は、クズで、馬鹿で、女の扱いに関しては馬が合わなかったガ……」


 ふっと口角を崩す。


「それでも、俺の頼みだけはいつも必ず果たしてくれたヨ」


「…………」


 部下は無言だった。

 そしていつしか、そこには他の部下たちも集まっていた。


「……俺は、あいつらのボスだったんだな」


 ワンはそう呟いた。

 すると、


「ああ。その通りだ」


 拳を固めて、部下の一人が言う。


「あの二人だけじゃねえ。あんたは俺たちのボスだ。俺たちの『おう』なんだ」


「……ボス」「ボス……」


 他の部下たちも、前に進み出る。

 あの女が《黒牙》に居座ってからは、呼ぶことを禁じられていた名称で呼ぶ。

 ワンは、自嘲の笑みを見せた。


「……覇道、カ」


 手を空にかざした。

 日が落ちた夜の空。そこには月が輝いていた。


「……俺の道は、まだ続くんだナ」


 グッと月を掴む。と、その時だった。


「………ッ!」


 ワンは、目を剥いた。

 突如、轟音が響き、夜が照らされたのだ。

 ワンも部下たちもハッとし、視線を輝きの先――港へと向けた。


「お、おい!」「なんだありゃあ!」


 次々と部下たちが驚きの声を上げた。

 そこには夜でありながら、太陽が輝いていたのだ。

 コンテナ倉庫の上空。

 そこで、燦々と小さな太陽が天地を照らしてた。


「……おいおイ」


 異常事態に、ワンも驚きを隠せなかった。


「ありゃあ、もしかして模擬象徴デミ・シンボルなのカ?」


 一人残ったエボン

 その最期の戦いが、果たして、どういったものになったのかは分からない。

 だが、事態は、最終局面を迎えたのだとそう感じ取った瞬間だった。


 ――ドォゴンッッ!

 突如、大地が噴火したのである。


 大量の土砂、岩石、そして溶岩流が天へと向かって柱となる。

 あまりの事態に、誰もが言葉を失った。

 そして――。

 大地の柱の中から見える巨大な影。

 その姿に、ワンたちは唖然とするのだった。



       ◆



「――燦ちゃん!」


 その時、月子が叫んだ。

 一方、燦は、


「……ああ、あ、うああァ……」


 喉元を両手で押さえて、苦しそうに喘いでいる。

 バチバチ、と全身からは雷が奔っていた。

 徐々に後ずさっていく。


「――燦ちゃん!」


 離れていく親友の元に、月子は駆け出そうとした。が、


「――月子!」


 それは、真刃の手によって止められた。

 次いで、真刃は月子を片腕で抱きかかえて、後ろに跳躍した。

 その直後だった。


「……ああ、ああああああああああッッ!」


 燦が絶叫を上げた。

 そして彼女の全身が発光し、衝撃波が全方向に放たれた。


『……ぬうッ!』


 猿忌が全身を盾にして、主と少女を庇う。

 真刃も両腕で月子を抱え込んで、衝撃波から守っていた。

 衝撃波自体は、数瞬程度のものだった。

 月子は顔を上げて唖然とする。


 そこには、燦がいた。

 宙空に浮かぶ、燦がいたのだ。


 背中には、黄金の火の粉を散らす日輪。

 その肢体には、同じく黄金色のドレスを纏っている。

 燦の炎のドレスを実体化させたような衣装だ。

 実際のところ、それは精緻な炎なのだろう。ドレスの先端が微かに揺らめき、全身からは火の粉も散らしていた。


 ――模擬象徴デミ・シンボル

 そう呼ぶには、その姿は、あまりにも神秘的だった。


『……あの老害に倣って名付けるとすれば……』


 猿忌が呟く。


『《天壌無窮天都テンジョウムキュウアマトノ乙女》といったところか……』


『……うわあ』


 金羊が、苦笑を浮かべた。


『猿忌さまのネーミングセンスも……その、なかなかのもんスね』


『……まあ、猿忌さまのセンスはともあれ』


 刃鳥も、警戒するように翼を広げて呟く。


『燦さまのお姿。これはもう象徴シンボルと呼んでも差し支えないのではないでしょうか』


 と、その時。


「――燦ちゃん!」


 月子が、燦に手を伸ばして叫んだ。


「しっかりして! 燦ちゃん!」


 そう声をかけるが、燦には届かないようだ。

 月子には見向きもせず、無表情のまま、さらに上空へと上がった。

 そして――。


 ――カカッ!

 雷光が全方位に迸る!


 それらは倉庫内を灼き、天井を撃ち砕いた。

 燦はそのまま、日が昇るように空へと浮かび上がっていった。


「待って! 燦ちゃん!」


 月子が叫んだ。


「……やられたな」


 月子を片腕で抱えたまま、真刃が小さな声で呟いた。


「まさか、自爆の裏で、燦の暴走を狙っていたとはな……」


 命を賭けた者の執念を侮っていたか。


「おじさま!」


 月子が、蒼い瞳に涙を浮かべて真刃を呼ぶ。


「燦ちゃんが! 燦ちゃんが!」


 彼女は、パニックを起こしていた。


「どうしよう! どうしよう! 燦ちゃんが!」


「……落ち着け」


「けど、燦ちゃんが!」


 一向にパニックが収まらない少女に、真刃は目を細めた。


「……落ち着かんか。月子」


 真刃は両腕で月子を抱え直して、彼女の額を指で軽く突く。

 月子は「……あ」と呟いた。


「あの娘を見捨てるつもりはない。そう言ったはずだ」


 真刃は、月子を見つめた。


「……オレの言葉を信じられぬか?」


「……おじ、さま」


 トクン、と鼓動が高なった。


「月子」


 真刃は尋ねる。


「お前の願いは何だ? お前が今、心から望む我儘とは何だ?」


「わ、私の願いは……」


 月子は、キュッと唇を噛んだ。


「さ、燦ちゃんを……」


 そして心からの願い。我儘を告げる。


「助けてあげて。お願い。私の友達を助けて」


「……うむ」


 真刃は、優しい眼差しを見せた。


「よく言ったぞ。月子。後はオレに任せよ」


「……はい。おじさま」


 微かに頬を朱に染めて、頷く月子。

 真刃はふっと微笑みつつ、


「……さて」


 一呼吸入れて、天井を見上げた。

 その時には、すでに燦の姿はかなり上空にあった。


『……主よ』


 猿忌が口を開く。


『あの娘を見捨てない意向は承知した。しかし、どうするのだ? 今のあの娘は、我らでも手を焼くぞ』


「……分かっておる」


 真刃は、自嘲の笑みを浮かべた。


「刃鳥の言う通り、あれはもはや象徴シンボルだ。象徴シンボルには象徴シンボルで対抗するしかあるまい」


 そう告げた時。

 ――フオンッ、と。

 その場に、無数の流星が降りた。

 百を超える流星。真刃の従霊たちだ。


「月子」


 真刃は、腕の中の少女に声を掛ける。


「これから少々怖い目に遭わすかもしれん。良いか?」


 そう尋ねると、月子は真刃を見つめた。


「……はい」と頷く。


「大丈夫です。おじさまの好きなようになさってください」


「……お前は、本当に良い子だな」


 真刃は口元を綻ばしつつ、月子をその場に降ろした。

 次いで、くしゃくしゃと月子の頭を撫でて。


「だが、今後は、もっと素直に我儘を言ってもよいと思うぞ」


「……はい」


 月子は、微笑んだ。


「これからは、おじさまにだけは、もっと甘えるつもりです」


 真刃は「そうか」と破顔する。

 それから天に浮かぶ太陽――燦を見据える。

 そして、


「では、行くぞ。お前たち」


 火と大地の王は、臣下に命じる。


「すべての従霊に告ぐ。オレに器を与えよ」

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