第115話 太陽を掌に⑨

 天上さえも撃ち抜く、溶岩流と灼岩で造られた巨柱。

 その中から現れたのは、巨大な怪物だった。


 全高にして三十メートル。

 巨大な二本の角を持つ、羆に似た頭部。

 長く太い両腕に、ズズン、と大地を踏みしめる両足はひしゃげている。

 上半身は異様に大きく、爪状に割れた胸部内には大きな空洞があり、そこでは、赤い溶岩の海がたゆたっていた。肩回りも極めて分厚い。背中一面と、肩から二の腕にかけては、炎を纏わせる赤い巨刃が、墓標のごとく乱立していた。

 そして全身からは、黒い鎖が天と地へと伸びている。


 ――《千怪万妖センカイバンヨウ骸鬼ガイキノ王》。

 久遠真刃の象徴シンボルである。


『……サテ』


 灼岩の巨獣が、アギトを動かして呟く。

 途端、世界が移り変わった。

 宙空に浮かぶ《天壌無窮天都テンジョウムキュウアマトノ乙女》を取り込んで、独自の世界を展開したのである。

 乱立する灼刀と、溶岩流で覆われた世界だ。

 対する《天都ノ乙女》も、灼岩の巨獣を敵と見なしたのだろう。

 すっと指先を巨獣に向けた。

 直後、日輪から無数の光弾プラズマが撃ちだされた。


 曲線を描いて、次々と直撃する光弾。

 灼岩の巨獣は、黒煙に包まれた。


 しかし、この程度で怯みはしない。

 黒煙を切り裂いて、巨獣は《天都ノ乙女》へと迫った。

 巨大な手が迫るが、日輪を背負う少女は飛翔して回避する。

 その間も光弾を撃ち続けるが、やはり巨獣は怯まない。

 地響きを立てて、少女の後を追う。

 ――と、


「…………」


 無言のまま、《天都ノ乙女》は、さらに上空へと飛翔した。

 灼岩の巨獣の腕も届かない高さだ。

 まさしく、天上の座。

 そこで《天都ノ乙女》は、片腕を天にかざした。

 途端、暗雲が漂っていた空が輝き始めた。

 巨獣同様に、彼女が自分の世界を構築し始めたのだ。


 巨獣は顔を上げた。

 そして――。


「……なに?」


 巨獣の中で、真刃が眉をひそめた。

 輝く空。そこより黄金に煌めく巨大な何かが降りてきたのだ。

 暗雲を切り裂いて、ゆっくりと降りてくる『それ』。あまりにも巨大すぎて全容が掴めなかったが、最初に『それ』の正体に気付いたのは月子だった。

 暗闇の中、従霊たちの灯火で輝く世界で、真刃の傍らに立つ彼女が呟く。


「あれは……『都市』?」


 ――そう。

 それは無数の塔が乱立する巨大な『天上都市』だったのだ。


「……いやはや」


 真刃は、皮肉気に笑った。


「本当に《天都アマト》という訳か。これは存外、猿忌の感性も捨てたものではなかったか」


『……それはいささか失礼ではないか? 主よ』


 灯火の一つ。従霊の長が不満を口にする。

 しかし、あまり悠長に構えている余裕はなかった。

 突如現れた『天上都市』――《天都》から、無数の光弾が撃ちだされたからだ。

 ズズンッと、暗闇の世界が揺れた。


「お、おじさま!」


「大丈夫だ」


 ふらついて怯える月子の肩を真刃は支えた。

 だが、振動は止まらない。光弾を絶え間なく撃ちこまれているためだ。


(……大したものだな)


 真刃は、内心で舌を巻いていた。

 暴走し、《天壌無窮天都テンジョウムキュウアマトノ乙女》と化した火緋神燦。

 333という破格の魂力を、今は薬物で1000近くも底上げしている。


 だが、言ってしまえば、それでも1333だ。

 真刃個人の魂力と同程度の量に過ぎない。


 だというのに、いま燦は《千怪万妖センカイバンヨウ骸鬼ガイキノ王》を抑え込んでいた。

 制約によって縛られているとはいえ、骸鬼王の現時点の魂力の総量は、17000を超えているというのに。


 本当に、恐るべきことだった。


(……まさに麒麟児ということか)


 火緋神燦は、まごう事なき天才だということである。

 御影刀一郎のような、磨き上げられた技量による戦闘力の上昇ではない。

 もっと単純な、生まれもった天性によるもの。

 それによって、魂力オドの力を数倍にまで高めているのだ。

 真刃は知らないが、奇しくも、『今の自分はいつもの五倍強い』という燦自身が言っていた台詞を、正気を失っても体現しているのである。


(だが、子供相手に圧されるのも情けないことだな)


 真刃は、双眸を鋭くした。

 そして――。

 ――ゴウッッ!

 灼岩の巨獣が、アギトから赫い光を放った。

 赫光は《天都》の一部に直撃し、幾つかの塔を貫いた。

 ガラガラ、と塔の一角が崩れていく。

 だが、それにも構わず《天都》は光弾を撃ち続けていた。

 ――いや、さらに激しく光弾が襲い掛かってきた。


(………)


 真刃は、微かに眉をしかめた。

 どうやら、圧倒的な弾幕で反撃を許さないつもりのようだ。

 その上、

 ――カッ!

 一条の光が巨獣の肩を貫いた。

《天都ノ乙女》自身が放った閃光だ。

 炎の威力と、雷光の速さを併せ持つ一撃。これが相当に重い。

 灼岩の巨躯も、徐々に崩れている。

 このままでは、本当に押し切られる可能性があった。


(……見事だ)


 真刃は、日輪を背負う燦を見据えた。

 懐かしさを抱く。

 本当に、あの娘はよく似ている……。


(……杠葉)


 心の奥で、愛した少女を想う。

 あの日、真刃は敗北した。

 彼女が持っていた神威霊具。あれは確かに脅威だった。

 間違いなく、自分の命にも届き得る刃だった。

 けれど、それは決定的な敗因ではなかった。

 結局のところ、敗北の理由は、相手が杠葉だったからだ。

 真刃には、彼女が殺せなかった。


 ――紫子を失って。

 その上、杠葉まで失うことは、真刃にとって死よりも耐え難いことだった。

 ただ、それだけのことだった。


 だが、今は――。


『……アソビハ、オワリ二スルゾ』


 灼岩の巨獣が、告げる。

 ――ズズン、ズズゥン……。

 激しい弾幕にも怯むことなく、巨獣が大地を揺らして進む。

 そして巨大な右腕を大きく振りかぶり、

 ――ゴウッッ!

 爆炎と共に振り抜いた!

 連続して生み出される爆炎は、すべての光弾を呑み込んだ。

 さらには、衝撃波が《天都》をも揺さぶる。


『……サア、シュウマクダ』


 巨獣が、赤い眼光を光らせた。

 大きく胸を反らす。火口のごとき胸部が赤く輝いた。

 そして――。

 莫大な放熱閃が、胸部より溢れ出した。

 それは《天都》に直撃し、天上都市のおよそ三分の一を焼失させた。


 だが、骸鬼王の攻撃は、それだけでは終わらない。

 巨躯を動かし、放熱閃の軌道を変えた。


 その先にいるのは、《天都ノ乙女》だった。

《天都ノ乙女》は大きく目を見開き、日輪を拡大させた。

 日輪が神々しく輝き、彼女の体を球状に覆う。

 赫い放熱閃は、彼女を呑み込んだ。

 天上都市を溶解させた一撃。だが、彼女は炎雷に愛された姫君だ。

 どれほど強力な一撃であっても、それが炎である限り、致命傷には至らない。

 日輪による結界は、彼女を放熱閃から守っていた。


 しかし、


「―――ッ!?」


 黄金の乙女は目を剥いた。

 視界を覆う炎熱の濁流。その中から、巨大な掌が現れたのだ。

 彼女は日輪の結界ごと、その巨大な掌に掴まれた。放熱閃を叩きつけることで、自分の間合いにまで彼女を引きずり下ろしたのである。


「―――ッ!」


《天都ノ乙女》は、日輪の結界から炎雷を放出した。

 並みの我霊ならば、消し炭になる威力だ。

 雷と炎が荒れ狂う様は、まるで太陽が輝いているかのようだった。

 だが、巨大な掌は揺るがない。

 巨獣は、火の息を零し、《天都ノ乙女》を睨み据える。

 巨椀の握力はさらに増し、日輪の結界に大きな亀裂を奔らせた。

 そうして、


 ――パキイィイン……。


 遂には日輪の結界を圧壊させて、そのまま掌を握りしめたのだった。

 灼岩の巨獣は、その拳を天にかざした。

 そして、


『グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ――ッ!』


 勝利の雄たけびを上げた。




「――おじさま!?」


 その時、月子は青ざめた。

 当たり前だ。目の前で親友が握り潰されたのだから。


「どうして! どうして、燦ちゃんを!」


 目尻に涙を溜めて、真刃のコートの裾を掴んだ。

 すると、真刃は、


「案ずるな。月子」


 ポン、と月子の頭に手を置いた。


オレは約束を違えたりはせぬ。ましてや、あの娘を殺めたりはせぬ」


 そう言って、暗闇の中、前へと歩き出す。

 月子は「……あ」と呟き、真刃のコートを離した。

 真刃は十数歩ほど進むと、そこで自分のコートを脱いだ。

 しばらくすると、


「――あ!」


 月子が瞳を輝かせた。

 暗闇の宙空が突如眩しく輝き、そこから燦が姿を現したのだ。

 どうやら、燦は気絶しているようだった。

 黄金のドレスをまだ纏っていたが、それも消えかけている。

 おもむろに、月子は理解した。

 真刃は、燦を握り潰した訳ではない。

 この巨大すぎる式神の掌の中に取り込んだのだ。


「……まったく」


 燦を見上げて、真刃が苦笑を零した。

 ほぼ全裸の状態でゆっくりと降りてくる燦に、自分のコートをかけてやる。


「こうもお転婆なのは、やはりあいつの血なのだろうな」


 トスン、と。

 燦を、両腕で抱きとめた。

 真刃はうなじに手を置き、燦の顔を見て様子を窺った。

 すると、


「……………」


 うっすらと、燦が瞳を開いた。

 真刃と視線が重なる。


「……おじさん?」


「……痛いところはないか?」


 真刃がそう尋ねるが、燦の意識は、まだはっきりとしていないようだった。

 焦点が定まっていない眼差しで、ぼおーっと真刃を見つめて……。


「……えへへ」


 にへらと笑った。


「……おじさん。大好き」


 それだけを告げて、燦は再び瞳を閉じた。

 スゥスゥ、と寝息を立て始める。

 一方、真刃は、


「……………」


 少し困った表情を浮かべていた。


『……真刃。大好き』


 遠き日の夜。

 かつて、自分の腕の中でそう告げた少女のことを思い出す。


「……やれやれだ」


 本当に、どこまで似ているのか。


「――燦ちゃん!」


 月子がこちらへと走ってくる。

 真刃は燦を抱え直して、月子の元へと歩き出した。

 しかし、それにしても――。


「今日は何とも疲れたな」


 思わず、そう呟く真刃だった。

 かくして、火緋神燦と蓬莱月子が巻き込まれた事件は幕を降ろしたのである。

 ただ、実のところ。

 今日の一件には、まだ少しだけ続きがあった。



 ……………………………………。

 ……………………………。

 ………………………。

 ……十五分後。



「………………」


 目を覚ました燦は、身に纏う真刃のコートをキュッと掴み、夜の海を眺めていた。

 ザザザ、ザザザ……。

 さざ波の音が聞こえる。

 すると、


「……燦ちゃん」


 月子が、おもむろに声を掛けてきた。

 その声には、少しだけ、恐れのようなものが宿っていた。

 勘の鋭い燦は、親友の変化にすぐに気付いた。


「……ねえ、月子」


 燦は小首を傾げて、月子に尋ねる。


「おじさんのこと、好き?」


 実に燦らしい直球の問いかけだった。

 月子は言葉を失った。

 けれど、答えが分からない訳ではない。

 自分の気持ちには、もうはっきりと気付いていた。


「~~~~~ッッ」


 視線を伏せて、キュッと唇を噛む。

 そして、


「……うん。好き」


 素直な気持ちを、親友に伝えた。

 燦は瞳を細めて、


「どれぐらい好き?」


「……凄く好き。大好き」


 月子は、耳まで赤くしつつもそう答えた。

 燦は「そっか」と呟いた。


「ごめん。月子。あたし謝らなくちゃ」


「え……」


 月子は、ドキッとした。


「一緒に戦おう。支え合おう。そう約束したけど、それはもう無理なんだと思う」


「……燦ちゃん」


 月子は察した。

 これは、別れの言葉。

 相棒バディを解消する言葉なのだと。


「…………」


 月子は唇を噛んだ。ギュッとスカートを両手で握る。

 しかし、続く燦の言葉は、予想外のものだった。


「だって、あたしたちは運命に出逢ったんだよ。もう子供の夢は見れないよ。あたしたちには新しい運命が出来たの」


「え? さ、燦ちゃん?」


 月子は目を瞬かせた。


「あたしたちの新しい運命。あたしが想い描く未来。聞いてくれる? 月子」


「え、あ、うん」


 コクコクと頷く月子。燦は満面の笑みを返した。


「じゃあ、話すね」


 そう切り出して、


「あのね。月子。あたし思うの。あたしたちってやっぱり相棒バディなんだって。それも運命の。だって、あたしたちは、きっと二人とも――……」


 燦は新しい目標。新しい未来を月子に告げた。

 それをすべて聞いた時、月子は目を丸くして、パクパクと口を開いていた。


「……ダメかな? 月子」


 燦は、月子の手を取って尋ねた。

 月子は未だ動揺して唇を動かしていたが、ややあって、


「う、うん、いいよ。私もそれがいい……」


 うなじまで赤くしつつも、こくんと頷いた。


 この日の夜。

 少女たちが何を誓い合ったのかは、まだ真刃の知るところではない。

 この事件の後。この少女たちと出会った三人のお妃さまたちが、相当に荒れることになるのだが、それもまだ知ることのない未来の話だった。

 今、確実に言えることは、


 ……プルルルルルル。

 スマホが鳴る。真刃はそれを手に取り、「う……」と一瞬顔を強張らせる。

 しかし、


「……もしもし」


 見なかったことには出来ず、少し緊張した面持ちで通話に出た。


『――もしもし! もしもし! 真刃さんですか!』


 聞こえてきたのは、愛らしくはあるが、かなり怒った声だった。


「……エルナか」


『真刃さん!? やっと繋がった! 音信不通でこんな時間までどこにいるんですか!』


「いや、その、仕事が長引いてな……」


『仕事!? また私たちに内緒で仕事してたんですか!』


「いや、そのな……」


『エルナ。私に代われ。主君!』


「う、刀歌か?」


『こんな時間まで何をしていたのだ。折角、今日はかなたが夕食を作ったというのに』


「なに? かなたがか?」


『そうだ。かなたに代わるぞ』


「う、うむ」


『……真刃さま』


「む。かなたか?」


『……真刃さまのいじわる』


「――かなた!?」


 帰宅後の、少しだけ先の未来。

 三人のお妃たちに怒られることが確定している真刃の未来だけだった。

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