エピローグ

第116話 エピローグ

『……というのが、アッシの結論っス!』


 緊急従霊会議。

 長だけが不在の中で、そう語るのは金羊だった。


『アッシは「蓬莱月子」を肆妃に推薦するっス!』


 いつものごとく、真刃の私室に集まった鬼火たちはゆらゆらと揺れた。


『確かに逸材』


 ポツリ、と老人の声が呟く。


『この娘が肆妃になれば、主の寵愛を受けることは間違いないな』


『いや、ちょっと待ってよ』


 今度は女性の声が響く。


『逸材って言うのなら、燦ちゃんの方こそだよ。この子、魂力オドにおいてなら間違いなくトップだし、あの日の戦いは皆だって見たでしょう。天性の才能は桁違いだよ』


『まあ、才能で比べるなら、火緋神燦に軍配が上がるよな』


 と、男性の声も響く。


『けど、やっぱ月子ちゃんの方がよくねえか? 特に性格が良い』


『スタイルもな。この子、マジで十二か?』


『いやいや。燦ちゃんも将来的には分かんねえだろ。なにせ、まだ十一だしな』


『ちょっと。スタイルだけで決めないでよね』


 次々と挙がる声。

 すると、


『おいおい。待てよ』


 その時、口を開いたのは赤蛇だった。


『忘れてねえか? 二人とも年齢がアウトだ。ご主人が指定した条件を満たしてねえよ』


『……むむ』『それがあるなあ……』


『けどさ、赤蛇兄さん』


 と、今の赤蛇同様に、鬼火状態の蝶花が言う。


『二人とも本当に凄い逸材なんだよ。真刃さまにも懐いているし、何より真刃さま自身が何だかんだで二人を大事に思っているよ。あの子たちだって、すぐに成長するだろうし、今の年齢だけでダメだしするのは惜しすぎるよ』


『う~ん、そうなんだが……』


『……なら!』


 その時、金羊が声を上げた。


『アッシに秘策ありっス! 月子ちゃんに燦ちゃんも足すんスよ!』


『は?』『いや、どういうこった?』


 疑問の声を上げる従霊たち。

 対する金羊は『ふふんっス!』と、鼻を鳴らしてた。


『肆妃「月姫つきひめ」・蓬莱月子。そして――』


 金羊は高らかに告げた。


『肆妃「星姫ほしひめ」・火緋神燦! 二人で肆妃! 二人の歳を足せば二十三歳っス!』


 一瞬の間。


『『『オオオオッ!』』』


 歓声が上がった。


『その発想はなかった!』『まさかの二人セットとは!』『え? それってありなの?』『いやいや、確かに足せば、二十二を超えるけどさ?』


 賛否両論が飛び交う中、


『四天王がいつから四人だと錯覚していた? っス!』


 金羊は自信満々に語る。


『『『いや。四天王は四人だから四天王だろ』』』


 十何体かの従霊が、ツッコみを入れる。


『ともあれっス!』


 金羊は、言葉を続けた。


『二人を肆妃候補にする。そこに異論はないっスよね』


『まあ、その点はね』『特に異論はないな』『まあ、火緋神家ってのは少し引っかかるがな』『それはそうだけど、だからって絶対にダメだって訳でもないでしょう?』


 と、概ね肯定の言葉が返ってくる。


『そう! 後はご主人次第っス! アッシは!』


 金羊は、声高らかに叫んだ。


『必ずご主人を説得して! 月子ちゃんを肆妃に内定させてみせるっスよォ!』


『『『いや。燦ちゃんもだろ』』』


 と、声を揃えて、ツッコみを入れる従霊たちだった。



       ◆



 その頃。久遠真刃はとある屋敷に訪れていた。

 身に纏うのは仕事用の紳士服。その上に着てきたコートは、入り口で待っていたこの屋敷の従者の一人に預けて、板張りの長い廊下を渡る。

 時折、ギシリと廊下が鳴る。

 縁側でもあるその場所からは、屋敷も庭園も見えた。


(……変わらんな。この屋敷は)


 真刃にとって、この屋敷に訪れるのは、百余年ぶりとなる。

 真刃が生きた時代でも、すでに築百年を超えていたこの火緋神家の本邸は、さらに百年経過しても変わらず健在のようだ。


「ん? どうかしましたかぁ? 久遠氏」


 と、間延びした声を掛けられる。

 先導して本邸を歩く大門紀次郎の声だ。


「いや。何でもない。それよりも」


 真刃は大門に告げる。


オレとしては、あまり長居するつもりはない。それを忘れんでくれ」


「ええ、そこは承知していますゥ」


 大門は苦笑を浮かべた。

 今日、真刃がこの屋敷に訪れたのは、先日の火緋神燦と蓬莱月子の誘拐事件での謝礼を受け取るためだった。

 真刃としては、あまり火緋神家の本家とは関わりを持ちたくない。

 だが、本家の娘の救出に一役買ってしまった以上、完全に関わらないのも無理だった。

 ならば、あえて簡単な謝礼を受けて、あっさりと打ち切ろうと考えた。

 そのことは、事前に大門にも伝えてある。


 在野の引導師には、大家と関わりを持ちたくないという者も多い。

 大きなメリットと同時に、多くのデメリットも背負うことにもなるからだ。


 それを察した大門は、真刃の意志を承諾してくれた。

 後は本日、これから『御前さま』という火緋神家の長と面会して、後日に真刃の口座に謝礼金を振り込んでもらえば、この件に関する対応は終わりだった。


「ああ。そう言えば……」


 真刃は歩きながら、大門に尋ねた。


「廃ホテルで捕えたあの男。何か吐いたのか?」


「いえ。何も」


 大門はかぶりを振った。


「座敷牢の中で完全にだんまりですよォ。あなたに粉砕されたあごも、とりあえずは治療したのですがねえ。分かったことと言えばぁ……」


 大門は双眸を細めた。


「どうやら、彼は日本人ではないようですねえ……」


「日本人ではない?」


 真刃は、少し驚いた。


「くすんだ金の髪をしていたが、あれは地毛だったのか?」


「いえ。あれは染めているだけですよォ。どうやら中国辺りの人間のようですゥ」


「……大陸の引導師だと?」


 眉をひそめる真刃。

 ますますもって素性が分からない輩だった。

 まあ、もう自分とは関係のない連中ではあるが。


「ともあれ、警戒はしておくことだな」


「ええ。もちろんですともォ」


 大門は頷く。と、その時だった。


「――おじさん!」


 不意に、後ろから元気な声が響いた。

 真刃と、大門は、声の方へと振り向いた。

 すると、そこには、


「おじさん!」


 輝くような笑顔の燦が立っていた。

 その傍らには、寄り添うように立つ月子の姿もある。

 二人とも制服姿だった。


「ああ。燦。月――」


 と、真刃が二人の名を呼ぼうとした時。

 ――ボフンッと。

 真刃の視界が奪われた。

 暗闇の中、微かにだが、柔らかな感触がある。


「おじさん! おじさん! おじさぁん!」


「……おじさんを連呼するでない」


 そう告げると、ぎゅうっと頭を抱きしめられる感じがした。

 どうやら、燦が一足飛びに跳んで、真刃の顔に張り付いたようだ。

 胸で頭を抱え込んで、両足で真刃の背中をホールドしている。

 真刃は嘆息して、燦の襟首を掴んで引き離した。


「ああっ! もっとギュッとさせろ!」


 ブラブラと子猫のように片手で吊らされた燦が、両手を伸ばして叫ぶ。


「……相変わらずの元気娘だな」


 呆れたように、真刃が溜息をつくと、


「……おじさま」


 少し遅れて、月子が傍に寄ってきていた。


「一週間ぶりです。お元気でしたか?」


「ああ。月子も変わりないか?」


「はい」


 こくんと頷く月子。

 と、そこで真刃は月子が、少しもじもじしていることに気付いた。

 真刃は、ふっと微苦笑を浮かべて、


 ……くいくい、と。

 指先を使って、招き寄せた。


 月子は、視線を泳がせて恥じらいながらも、


「……おじさま」


 そう呟いて、真刃の傍に駆け寄ってきた。

 真刃は、そんな彼女の頭にポンと片手を乗せる。


「――ああっ! ずるい! 不公平だ!」


 すると、燦が騒ぎ出した。


「あたしにも構って! もっと公平に愛せ!」


「いや。公平とは何だ?」


 言って、真刃は腕をさらに伸ばして、燦を遠のけた。

 バタバタと手足を動かす燦。

 一方、月子は耳まで赤くして、真刃に頭を撫でてもらっていた。


「……いや。久遠氏」


 その様子に、大門が眉根を寄せた。


「……随分と、火緋神の『双姫』と仲良くなられたようで?」


 それから、少し頬を引きつらせて。


「まさか、彼女たちまで隷者ドナーに?」


「何の冗談だ?」


 真刃は嘆息して、燦を廊下に降ろした。


「この娘たちはオレに懐いているだけだ。それよりも」


 大門を見やる。


「『御前さま』とやらのいる部屋は、まだなのか?」


「……え?」


 月子が顔を上げた。


「おじさま。御前さまにお会いに来られたのですか?」


「ああ。少々挨拶をな。すぐに済む」


 そこで片膝を屈めて。


「月子。後でゆっくり話を聞かせてくれ。本当に困ったことはないか?」


 優しい眼差しで、そう告げる。

 自分のことを心配してくれる真刃に、月子の鼓動は高鳴った。

 頬に朱が差し、蒼い瞳も微かに潤んでくる。


「はい。おじさま」


 そうして、真刃の首筋に両腕を絡めてギュッとした。


「燦ちゃんのお部屋で待っています。後で来てくださいますか?」


「ああ。分かった」


 真刃が頷くと、


「だから、不公平だって!」


 その傍らで、燦が少し涙目になっていた。

 かなり感情が高まっているのか、髪がバチバチと発電しかけている。燦の悪癖だ。

 月子が「……あ」と呟いて、慌てて真刃から離れた。

 真刃は、燦の方を見やり、


「……まったく」


 そう呟いて、くいくいと指先を動かした。

 燦は、表情を輝かせて、真刃の首筋に跳びついた。

 そして、スリスリと頬ずりをしてくる。

 発電の悪癖も、すぐに収まった。

 まるで猫のような娘だと真刃が思っていると、


「……おじさま」


 月子が、真刃の前に立って口を開いた。


「じゃあ、私たちは燦ちゃんのお部屋で待っています。燦ちゃん」


「……ふえ? あ、うん」


 燦は少し呆けていたが、すぐに表情を改めて月子の隣に並んだ。


「おじさん!」


「おじさま」


 二人の少女は告げる。


「その時、大事な話があるからね!」


「その、聞いてくださいね」


「……ん? まあ、構わんが」


 そう呟いて、真刃は立ち上がった。


「悩み事なら幾らでも聞こう。それより大門」


「ええ。そうですねえ……」


 大門は二人の少女を一瞥した。


「守護四家の私としては、彼女たちの心境も気になるのですがぁ」


 一拍おいて、


「これ以上、御前さまをお待たせする訳にも行きませんのでェ、先を急ぎましょうかぁ」



 一方、その頃。

 場所は変わって御前の間。

 その場には、大門を除く守護四家の当主たちと、燦の父親である火緋神巌。

 そして、薄布の囲いに覆われた御前さま――火緋神杠葉の姿があった。


(いよいよね)


 杠葉は、少し緊張していた。

 遂に『久遠真刃』と対面する時が来たのだ。

 ただ、まさかこんな形になるとは思っていなかったが。


(まさか、燦が言っていた『おじさん』が『久遠真刃』だったなんて)


 その事実には、自嘲の笑みを浮かべるしかない。

 この一週間。燦は実に『おじさん』のことを熱く語っていた。


 いかに『おじさん』がカッコいいのかをだ。

 燦自身、記憶が途切れ途切れなので、内容的には、いまいち具体性に欠けていたが、どうやら『久遠真刃』は式神遣いということだけ分かった。


 その様子を、杠葉と月子は、苦笑を浮かべて聞いていた。

 ただ、その時、杠葉はもう一つの事実に気付いた。


 ――燦だけではない。

 多くは語らないが「おじさま」と呟く月子の心もまた、大きく変化していることに。


(……やれやれね)


 これには嘆息するしかなかった。

 どうも可愛い孫娘たちは、二人揃って『久遠真刃』に心を奪われたらしい。


(見極めなければならないことが増えたようね)


 今代の『久遠真刃』。

 本当に彼の血族なのか。まずそれを確かめなければならない。

 そして燦と月子に関してもだ。

 前者は、ただの同姓同名の可能性が高いため、むしろこちらの方が重要だった。

 孫娘たちを助けてくれたことは心から感謝するが、もしも幼き少女に欲情するような悪しき者ならば、厳粛に対処しなければならない。

 たとえ、孫娘たちに恨まれてもだ。


 まあ、話を聞いている限り、その心配もないと思うが。


(どちらにせよ、まずは対面ね)


 着物を纏う杠葉は、自分の豊かな胸元に手を当てた。

 トクン、トクンと、鼓動が早くなっていることが分かる。

 やはり少し動揺している。


(……相手は真刃じゃないのに)


 彼と同じ名を持っている。

 ただ、それだけのことだというのに。


(……真刃)


 と、杠葉が双眸を細めた、その時だった。


「……失礼いたします。お客さまがお越しになられました」


 不意に襖の奥の従者が声を掛けてきた。

 いよいよのようだ。

 そうして、まず入室してきたのは大門だった。

 彼は杠葉たちに一礼すると、空席だった守護四家の一席にて正座した。

 一拍の間。

 続けて一人の青年が現れた。

 守護四家の当主たち、火緋神巌が彼に注目した。

 当然、杠葉も青年の方を見やり――。





 時が、止まった。





 ドクン、ドクンと心音だけが高鳴った。

 杠葉は、ただただ瞳を見開いていた。

 薄布越しに、彼の姿だけに魅入っていた。


(………あ)


 思わず、膝を立ち上がらせる。


(うあ、ああぁ――)


 彼は、ゆっくりと室内に入って来た。


「御前さま」


 その時、大門が杠葉の方を見やり、こう告げた。


「彼が、久遠真刃氏です」


 ――ドクンっ、と。

 全身の血流が、発火したかのようだった。

 言葉が出せない。

 けれど、灼熱のような想いだけは溢れ出てきた。

 遠き日の数多の思い出と共に。

 血族とか、生き写しとかなどではない。


 自分には分かる。

 心から、彼を愛した自分には――。


(ああぁ、あああぁ……)


 つう、と。

 静かに、一筋の涙が頬を伝った。

 彼はある程度室内を進むと、その場に座った。

 正中線がとても美しい正座だった。


「お初にお目にかかる」


 そうして、彼は告げた。

 あの日と変わらない姿。変わらない声で。


オレの名は、久遠真刃と言う」


 ――と。



       ◆



 魔都・香港。

 複雑で怪奇な運命に翻弄された都市。それゆえに、混沌とした因縁が集まるその大都市を、引導師の界隈ではそう呼んでいた。


 そんな魔都の一角。

 大きな料理店の一室を貸し切りにして、彼女は舌鼓を打っていた。

 身長は百六十半ば。歳の頃は十九か、二十歳ほどか。

 肩辺りで切り揃えた黒髪。

 真っ直ぐにカットされた前髪の下にある、闇を思わせる黒い眼差し。

 そして紅を引く赤い唇。

 大輪の華とも呼ぶべき見事な美貌と、抜群のプロポーションを持ち、無数の赤い異形の刃を刺繍した、漆黒の中華服チャイナドレスを着た女だった。


 彼女は最後の一品である小籠包をれんげで掬い、箸で口元へと運んで上品に咀嚼した。


「……あんたは」


 その時、室内の端から声がした。


「何をしても絵になるナ」


 そう告げたのは、アタッシュケースを片手に下げたワンだった。

 黒い女は箸を置き、ワンの方へと視線を向けた。


「戻ってきたか。ワン


「ああ。《未亡人ウィドウ》」


 ツカツカ、と歩く。

 ワンはアタッシュケースを女――《未亡人ウィドウ》が座るテーブルの上に置いた。


「すまねえナ。任務は失敗ダ」


 一拍の間。


「そうか」


 それに対し、《未亡人ウィドウ》は興味もなさそうに呟いた。

 次いで、アタッシュケースを開ける。

 そこに納まっていたのは、刀身のない七色に輝く宝剣だった。


「ほう。これだけは持ち帰ったのか」


「……ああ」


 ワンは双眸を細めて答える。


「あんたから預かったこれだけは替えがきかねえからナ」


「……ふん」


未亡人ウィドウ》は刀身のない宝剣を手に取った。


「ヒヒイロカネの武具。確かに貴重ではあるが、今の『私』ならば、時間をかければ用意できなくもないがな」


 言って、席を立って歩き出す。

 どうやら、もうワンには興味がない様子だった。


「……あんたは」


 ワンは、彼女の背に疑問をぶつけた。


「任務に失敗しても、何も言わねえんだナ」


「……任務、か」


 足を止めて、彼女は答える。


「お前たちには、この国での宿を借りているだけだ。『私』の戦いは『私』だけのもの。今回の一件は、お前がどうしてもというから与えたものだ」


「……最初から、俺には何も期待してネエと?」


「そこまでは言わん。仮にもヒヒイロカネの武具を預けたのだぞ。少しは期待もしていた。だが、それ以上に困難であろうなと思っていただけだ」


 そう告げて《未亡人ウィドウ》は、再び歩き出した。

 すると、


「《未亡人ウィドウ》。改めて尋ねル。あんたの目的を教えてくれ」


 おもむろに、ワンがそんなことを願った。


「……ほう」


 再び足を止めて、《未亡人ウィドウ》がワンを見やる。


「知ってどうするつもりだ?」


「……俺が叶えル」


「……面白いことを言う」


 冷めた眼差しで《未亡人ウィドウ》はワンを見据えた。


「『私』より弱いお前がか?」


「……ああ。だが、条件があル」


 一拍おいて、ワンは告げた。


「俺が目的を遂げた暁には、あんたを俺にくれ」


「……なに?」


未亡人ウィドウ》は眉をしかめる。


「俺はあんたが欲しイ。あんたのすべてが欲しイ。俺の女になってくれ」


「……世迷言を」


 黒衣の女は、双眸を冷たく細めた。

 そして、ヒヒイロカネの宝剣から、熱閃が噴き出した。

 それは黒い炎の刃だった。

未亡人ウィドウ》は、黒炎の刃をワンの顔に突きつけた。


「もう片方の瞳も潰されたいのか?」


「…………」


 ワンは無言だった。

 ただ、黒炎の刃に晒されても、その眼差しはずっと《未亡人ウィドウ》を見据えていた。


「……ふん」


 切っ先をわずかに下げて、《未亡人ウィドウ》は鼻を鳴らした。


「牙を失った狗と思っていたが、狼に戻ったか」


「……色々と思い出したのサ」


 一度も視線を逸らさず、ワンは告げた。


「いいだろう」


 黒炎の刃を収めて《未亡人ウィドウ》は告げる。


「本来ならば『私』の心も体も、亡き『夫』だけのモノなのだが、狼に戻った貴様にも一度ぐらいは機会を与えてやろう」


「……マジか……」


 ワンは、拳を静かに固めた。


「ああ」と《未亡人ウィドウ》は頷いた。


「『私』の目的は、ある女を殺すことだ」


「……殺しカ」ワンは、双眸を鋭くした。「それなら得意だゼ」


「ふん。あの女を侮るなよ」


 恐るべき事実を《未亡人ウィドウ》は告げる。


「あの女は、今の『私』よりも遥かに強いのだからな」


「な、に?」


 目を見開くワン。《未亡人ウィドウ》は言葉を続ける。


「あの女に対抗するために『私』は神威霊具を求めたのだ。あの女は最強だ。なにせ、あの女は『私』の『夫』さえも殺したのだからな。……そう。この『私』から」


 そこで、グッと肩を掴む。

 細い肩を震わせて、唇を強く噛む。


「『私』から永遠にあいつを奪った! 奪ったのだッ! あの女はッ!」


未亡人ウィドウ》は再び黒炎の刃を生み出し、虚空を薙いだ。

 空気は切り裂かれ、大気が震える。空間そのものが斬り裂かれたような一閃だ。


「『私』が得られなかったモノをッ! 心の奥でずっと望み続けていたモノをあの女はすべて持っていたというのに! だというのにあいつを殺したッ!」


 一条の光のように乱れがなかった黒炎の刃が、大きく荒ぶる。

 初めて見る《未亡人ウィドウ》の激情に、ワンは息を呑んだ。


「……『私』は、あの女を殺す……」


 瞳の奥に、暗い憎悪を宿して、《未亡人ウィドウ》は言う。


「あの女を――火緋神杠葉・・・・・を!」


「なん、だっテ……?」


 思いがけない火緋神の名に、ワンは目を見開いた。


「あの女を殺す。それだけが『私』の本懐だ。もし、それが叶うのならば」


 そう呟いて、《未亡人ウィドウ》はワンを一瞥する。


「『私』をくれてやろう」


 そして、妖艶な笑みを湛えて告げた。


「お前が本当に『私』の本懐を遂げてくれるというのなら、この『私』――『久遠くどう桜華おうか』を、喜んで差し出してやろうではないか」




第3部〈了〉



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


読者のみなさま。

本作を第3部まで読んでいただき、誠にありがとうございます!


第4部以降も基本的に別作品の『クライン工房へようこそ!』『悪竜の騎士とゴーレム姫』と執筆のローテーションを組んで続けたいと考えております。


第4部は今のところ、過去編を予定しております。

舞台は大正時代。男装の百年乙女と、人擬きを自称するひねくれた青年の物語です。


もし、感想やブクマ、♡や☆で応援していただけると、とても嬉しいです! 

大いに励みになります!

今後とも本作にお付き合いしていただけるよう頑張っていきますので、これからもよろしくお願いいたします!

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