第113話 太陽を掌に⑦

『行くっスよ!』


 最初に動いたのは、金羊だった。

 黄金の雷羊が、バリバリッと発電する。

 無数の雷光は一筋に収束され、雷の矢となって泥人ダイダラボッチの脇腹を撃ち抜いた!

 泥人ダイダラボッチの腹部には大きな穴が開いた。


『どうスっか!』


 ふふん、と鼻を鳴らす金羊だったが、残念ながら効果は薄いようだ。

 泥人ダイダラボッチの腹部の穴は、みるみると泥で埋められた。

 泥の体は、伊達ではないようだ。


『ぬうんッ!』


 泥人ダイダラボッチは右腕を大きく横に薙いだ。

 その腕は、積み立てられたコンテナにぶつかり、礫のようにコンテナを弾き飛ばした。

 三体の従霊と、その奥にいる真刃たちに迫るコンテナ群。

 対し、刃鳥が動く。翼から無数の刃を上空へと撃ち出した。

 それらは宙空で巨大化。飛翔するコンテナ群の上に降り注いだ。


 ――ガガガガガッ!

 コンテナ群は、巨大な刃に縫い付けられることになった。


 だが、この攻防の隙に、ワンたちは動き出す。

 泥人ダイダラボッチの背を一瞥して撤退に入る。

 この港には、元々この国を脱出するための船舶を停泊させている。

 ワンたちは、そこへ急いだ。


『あッ! あいつら逃げる気っス!』


 金羊が叫んだ。

 そして逃げる男たちに雷光を放とうとするが、

 ――ズオオオ……。

 巨大な泥の手で、視界を覆われた。

 その掌が金羊に叩きつけられる――その直前に、


『油断するでない!』


 厳しい指摘と、咆哮が轟いた。

 黒鋼の巨熊のアギトから放たれた衝撃波は、泥人ダイダラボッチの体を強く打ちつけた。

 泥の体の何割かが、周囲に散っていく。


『今は、あやつらのことは忘れよ』


 従霊の長は命じる。


『こやつは弱敵ではない。そう言ったはずだぞ』


『うっス。申し訳ないっス』


 金羊は反省した。

 やはり、自分は戦闘が苦手だと思った。

 けれど、今は月子ちゃんも見ているのだ。ここは頑張らねば!


『ういっス! 行くっスよ!』


 バチバチバチッ、と全身に雷光を奔らせた。


『その意気ですわ。金羊』


 刃鳥も、銀色の翼を大きく広げて言う。


『我らが王と、未来の肆妃の御前で醜態はお見せできませんもの』


『意気込むのは良い。だが、油断はするなよ』


 猿忌が言う。

 そして刃鳥は飛翔し、猿忌と金羊は同時に駆け出した。



 一方、泥人ダイダラボッチの中でエボンは歯を軋ませていた。


(……くそッ)


 ――やはり強い。

 刃の嵐、雷光の乱舞。

 そして全身を激しく揺らす衝撃波。

 三体の式神の猛攻に晒され、泥人ダイダラボッチは完全に防戦状態になっていた。


(……はァ、はァ、はァ……)


 心臓が痛い。視界はすでに赤く染まっている。

 自分の命が凄まじい勢いで消耗されていることがよく分かる。

 これが、この力の代償だった。


(……だというのに)


 エボンは眉間に深いしわを刻んで、『敵』を見据えた。

 対峙する三体の式神ではない。

 その奥にいる、二人の少女を抱く黒いコートの男をだ。

 今の自分の魂力は、恐らく、3000を超えているはずだ。

 あの恐るべき毒婦と戦うために用意した力だ。生半可な力ではない。

 だが、そんな自分を相手に、三体の式神は互角以上に渡り合っている。


 その理由も分かっていた。

 奴らの攻撃を受ければ、嫌でも理解した。


 恐ろしいことに、この三体の式神、それぞれが当主クラスの魂力を有しているのである。

 そんな破格の式神を三体も操り、その上であの男は涼しい顔をしているのだ。


(本物の化け物なのか……)


 畏怖さえも覚える。

 ここまで脅威を感じたのは、『あの女』以来だった。

 ――バシンッッ!

 その時、再び雷の矢で腹部を撃ち抜かれた。

 損傷した部位はすぐに復元できるが、消費した魂力までは回復できない。

 このままではマズい。

 ワンたちが出航し、安全圏まで行く時間が稼げない。


(……どうする。どうすればいい)


 エボンは赤く染まった視界で、必死に考える。

 このまま戦い続けるのは愚策だ。いずれ押し切られる。

 ならば――。


(……ああ。そうだな)


 グググッ、と自分の顔を掴み、皮肉気に口角を歪めた。


(俺の人生の最期だ。華々しく散らせてもらうか)



       ◆



(……む)


 その異変に、最初に気付いたのは猿忌だった。

 不意に。

 泥人ダイダラボッチが動きを止めたのだ。

 両腕をだらりと下げて、棒立ちになっている。

 刃鳥の刃。金羊の雷光に撃ち抜かれても、再生する気配もない。


(……魂力オドが尽きたのか?)


 一瞬、そう考えたが、


(いや。違う)


 黒鋼の巨熊は、双眸を細めた。


『金羊! 刃鳥よ!』


 そして従霊の長は叫んだ。


『主の元に集え! あやつは何かを企んでおる!』


 そう命じて、自身は跳躍した。

 ――ズズンッッ!

 黒鋼の巨熊は、主の前にて着地した。

 超重量に軽い地響きが起きる。


「うわッ、うわッ!?」「きゃあッ!?」


 唐突な事態に、燦と月子が声を上げる。

 一方、真刃は冷静だった。


「何かをする気だな」


『……うむ』


 主の呟きに頷き、猿忌は両腕を広げて自身を防壁とした。

 遅れて刃鳥、金羊も真刃の傍らに駆け付けた。

 その直後のことだった。

 ――ドパンッッ!

 いきなり、泥人ダイダラボッチの巨躯が膨れ上がったのだ。

 そして、土砂のようになって周囲に広がっていく。

 ――いや、膨大な土砂で、世界を塗り替えていっているのである。

 コンテナ倉庫は、みるみる泥の世界へと変わっていった。


「……封宮メイズだと?」


 真刃は、眉をひそめた。


「今さら、何故そんなものを展開する?」


 そう呟く。と、


「おじさん! あれ!」


 小脇に抱えていた燦が前を指差した。

 その先にはこの世界の主。泥人ダイダラボッチの姿があった。

 膨れ上がる前と同じ姿だ。

 だが、その両手には、ある物が掴まれていて……。


『《御霊奉みたまほう》!? あれ、《御霊奉みたまほう》っスよ!』


 そう叫んだのは、金羊だった。


『あいつ、あんなモノで何を――』


 と、呟いた時。

 ――ガパリ、と。

 今まで口がなかった泥人ダイダラボッチが、大きな口を開けた。

 そうして、盃のように《御霊奉みたまほう》を掲げて――。


『はあッ!?』


 金羊は目を見開いた。

 燦と月子も目を瞬かせ、真刃も少し驚いた顔をしている。

 泥人ダイダラボッチは大口を開けて、《御霊奉みたまほう》の中の銀色の液体を呑み干したのだ。

 ガランッ、と空になった黒い坩堝を投げ捨てる。

 そして――。


 ボコリ、ボコリッと。

 巨大な気泡を全身に浮かび上がらせた。それは次々と生まれていく。


 その姿は、まるで……。


(そう来るか!)


 真刃は表情を変えた。


「猿忌よ!」


『御意!』


 そう応えて、猿忌は全身をさらに巨大化させた。

 刃鳥もまた体を巨大化させる。

 そして、ドームのように両翼で巨熊と主たちを覆った。


『アッシも!』


 金羊も体を丸く大きく膨れ上がらせて、刃鳥ごと覆う雷の防御膜を展開した。


「――燦!」


 真刃は、さらに叫ぶ。


「炎を解け!」


「え?」


 燦は目を瞬かせた。


「え? ええッ!? これ解くとあたし裸――」


「いいから解け!」


 そう強く命じられて、燦はコクコクと頷き、炎のドレスを解いた。

 絶世の美少女が、産まれたままの姿になった。

 真刃は膝をつき、その少女の腰を強く抱き寄せた。

 カアアアっと燦の顔が、一糸まとわぬ肌が赤く染まった。


オレの首にしがみつけ!」


「は、はいっ!」


 燦は赤い顔のまま、真刃の首に手を回す。

 真刃は、さらに叫ぶ。


「月子! お前もだ! オレに強く掴まれ!」


「――はい!」


 月子は頷き、燦と重なるように体を強く密着させた。

 真刃は二人を抱えると反転し、自分の背中を少女たちの盾にして衝撃に備えた。

 泥人ダイダラボッチは、もはや破裂寸前にまで膨れ上がっていた。

 そして一際巨大な気泡が頭部に生まれて――。


 ――カッ!

 刹那、世界は閃光に包まれた。


 遂に、泥人ダイダラボッチが大爆発を起こしたのだ。


「きゃあッ!」「わあッ! うわあッ!」


 襲い来る強い衝撃に、少女たちが悲鳴を上げる。

 真刃は、しっかりと彼女たちを抱きしめた。

 打ち上げられた岩石は、金羊の雷光も、刃鳥の翼も徐々に剥がしていく。

 衝撃は十数秒にも渡って続いた。


 そうして、


「お、終わったの?」


 真刃にしっかりと抱き着いた燦の呟きが零れ落ちる。

 衝撃は、すでになかった。

 だが、そこには、爆発の痕跡はなかった。

 そこは、元のコンテナ倉庫だった。

 猿忌たちの戦闘の跡はあるが、大爆発した様子はない。


『……ふむ』


 体が一部欠けた猿忌が呟く。

 黒鋼の巨熊は立ったまま、周囲を見渡した。


『……どうやら、封宮メイズが解けたようだな』


 完全に、元の世界へと戻っている。

 術者が自爆したことで、封宮も自然に消えたようだ。


『し、死ぬかと思ったス』『危ないところでしたわね』


 と、金羊と刃鳥も、安堵の声を零した。

 二体とも、かなり消耗している様子だった。


「自爆など愚かな真似を……」


 真刃が呟く。と、


「お、おじさん……」


 燦が、顔を真っ赤にして口を開いた。


「さ、流石に離して……」


「……ああ。すまん」


 言って、真刃は燦を離した。

 ついでに、少し放心状態の月子も、その場に降ろした。


「こ、こっちを見ないで!」


 全裸の燦は、慌てて叫ぶ。


「すぐに炎を纏うから! 見ないで! いずれは見てもいいけど今はダメなの!」


 燦は両手の掌で、真刃の視界を遮った。


「今日はまだお風呂も入ってないし! だからまだ見ないで!」


「ああ~、分かった、分かった。早く炎を纏え」


 真刃は、疲れきった様子でそう告げた。

 放心していた月子も、「あはは」と笑った。

 緊張していた空気が緩和される。

 真刃も、猿忌も、苦笑を零していた。

 金羊も、刃鳥も、すでに決着を確信していた。


 だからこその油断・・だった。


「うん。じゃあ、すぐに……え?」


 そう告げようとした燦は、不意に足元に違和感を覚えた。

 何かが、右足に触れたのだ。

 足元を見てみる。と、そこには……。


「……え?」


 無痛注射器を両腕で抱えた、小さな泥人形がいた。

 青い液体が入ってたその注射器の容器は、すでに空の状態だった。

 そうして、

 ……ニタリ、と。

 小さな泥人形は、不気味に笑って崩れ落ちた。

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