第七章 ブライド・ハント

第316話 ブライド・ハント①

 この異常事態に困惑していたのは、真刃たちだけではなかった。

 この街にいるすべての引導師。

 全員がこの異常事態に巻き込まれていた。

 当然、それは引き籠っていようが関係ない。


「な、なにこれ……」


 キングサイズのベッドの上にて、彼女は茫然と呟く。

 自室ではあるが、ゴシックロリータ風の白と黒のドレスで着飾り、サラリとした菫色の髪をツインテールに纏めた北欧系の血を引く少女。

 実年齢は二十六になるのだが、全くそう見えない小柄で華奢な人物。


 桜華の相棒。ホマレである。

 調査や捜索を得意とする電脳系の彼女も引導師ボーダーである。

 この異常は肌で感じることが出来た。


 慌てて、窓辺に駆け寄って外を見やる。

 いつもと変わらない光景。違うとしたら月が赤く染まっていた。


「こ、これって結界領域? なんでホマレが?」


 目を瞬かせて困惑する。

 引導師ボーダーとはいえ、彼女は完全な非戦闘員だった。

 本来、電脳系の系譜術は、代表的な非戦闘系である治癒系や修復屋と違って、戦闘系である雷術から進化した術式が多いため、それなりの戦闘手段も持っているものだ。

 しかし、ホマレは中学校時代にハッカーとして生計を立てると決めてからは、完全に戦闘は放棄していた。家名を捨てて実家とも縁を切り、株や情報売買で儲けた資産でタワーマンションの一室を購入してからは、ほとんど部屋に籠りっきりだった。もう十年以上、体術の訓練さえもしたことがない。


 その貧弱ぶりはまさに筋金入りである。

 我霊エゴスはおろか、普通の中学生にも勝てないと自覚していた。


「なんで? なんで? なんで!?」


 徐々に動揺が激しくなっていく。

 ここは、すでに彼女が閉じ籠っていた鉄壁の居城ではない。

 いきなり戦地へと放り出されたのである。

 と、その時だった。



『――ご機嫌いかがかな? 親愛なる引導師ボーダーども』



 天上から声が降ってくる。

 男の声だ。ホマレは、ビクッと肩を震わせた。

 声はさらに続く。


『俺の名は《死門しもん》のジェイ。まあ、それなりに名は知られていると思ってるから、知ってる奴は知ってるかな?』


「……し、《死門しもん》? もしかしてあの《死門デモンゲート》?」


 ホマレはシーツを掴むと、頭からかぶってそう呟いた。

 死体遣いとして悪名高い名付き我霊ネームド・エゴスの名だった。


『今回、君たちを俺の世界に招待したのは他でもない』


死門デモンゲート》は言葉を続ける。


『まあ、俺を知らねえ奴もいるだろうから説明するが、俺は死体遣いで名が知られてんだけどよ、ちょいと最近のストックが結構腐りかけでさ』


 一方的に、化け物は語り続ける。


『つうか、今の駒にはもう飽きたってのが本音かね。そこで、いっそ刷新することに決めたんだよ。この街には良質な引導師も多いしさ』


 クツクツ、と笑う声が聞こえる。


『ここまで言えばもう分かるよな? 要はお前らには死んで欲しいんだよ。そんで俺の新品でフレッシュな駒になってくれ』


 疑いようもない宣戦布告をしてくる。

 ホマレは、目を見開いて肩を震わせた。


『ああ。それと俺って我霊エゴスになる前から女は犯してから殺すのが趣味でさ。気に入った女は攫って堪能してから殺す予定なんでそこんとこもヨロシク』


 最後に化け物はそう告げた。

 それ以降、言葉は何も聞こえなくなった。

 シーツにくるまったまま、ホマレは一気に青ざめた。


「なにそれ!? この街すべての引導師ボーダーに喧嘩を売ったの!?」


 こんな話は聞いたこともない。

 ましてや、この街には東の大家である火緋神家と天堂院家が居を置いているのだ。

 その二家さえも歯牙に掛けないほどの自信があるのか。


(――いや、違う……)


 歯を鳴らしつつも、ホマレの聡明な頭脳が状況を分析する。

 先程の言葉を聞く限り、あの男の目的は死体だ。

 この街の引導師を殺してその死体を持ち帰ること。

 特定の誰かを狙う訳でもなく、ただ死体と殺し合わせるだけだ。

 恐らくあの男自身は表には出てこない。

 安全圏から見物して、頃合いを見計らって逃走でもする気なのだろう。

 結果的に返り討ちにあったとしても、失うのは廃棄予定の手駒だけ。

 それを見越してこの暴挙に出たのである。


(どうしよう、どうしよう、どうしよう……)


 先程から歯が鳴りやまない。

 戦闘力は皆無に等しいホマレが、突如、殺し合いの舞台に立たされたのである。

 怯えるのは当然だった。


「そ、そうだ! 桜華ちゃんに助けを――」


 そう考えた時だった。

 ホマレは凍り付いた。


 ――一体いつからそこにいたのか。

 シーツにくるまったホマレの顔を覗き込む女がいたのだ。


「………ひ」


 ホマレは息を呑んだ。

 髪の短い女。かなり若い。十代か。紺色の道着を着崩して身に着けていた。

 ただし、眼差しは虚ろだ。

 そして明らかに首がおかしな角度で折れている。

 間違いなく死人だ。


「―――ひィ!」


 ホマレは逃げようとするが、腰が抜けて動けない。

 すると、死人女は両手をホマレの頬に添えた。

 恐ろしく冷たい手だった。

 死人女は、じっくりとホマレの顔を見据えている。

 そしてホマレの胸元に手を掛けて、上から下に力任せに引き裂く。


(―――ひ)


 ホマレの瞳孔が開く。

 服どころか下着まで引き裂かれた。幸いかボトムスだけは辛うじて無事だったが。

 死人女は、ペタペタと冷たい手で露になったホマレの白い肌を触る。

 邪魔に思ったか、大きな袖を引きちぎると、浮いたあばらや乳房にも触れる。乳房には指先も沈み込ませた。裂いたスカートも剥ぎ取り、剥き出しになった太股にも手を伸ばした。

 ホマレの全身を這う死人女の手は、まるで品定めするような動きだった。


 ホマレは恐怖で全く動けない。

 ガチガチと歯を鳴らしていると、


 ……ズズズ、と。

 いきなり体が沈み始めた。

 死人女を中心に影が広がり、ホマレの体を呑み込もうとしているのだ。


「やだやだやだあッ!」


 ホマレは身を翻して逃げようとする。

 だが、体を支える手も足もどんどん影の中に沈み込んでいく。


「助けて桜華ちあああゃんッ! 誰か、誰かあああ――」


 必死になって手を伸ばすが、その腕も後ろから掴まれた。

 死人女に口も抑え込まれる。

 瞳に涙を浮かべて、ホマレは目を見開いた。

 徐々に天井が遠くなっていく。

 そうして、悲鳴を上げることも出来ずに。

 影の中へと、彼女は消えていくのであった。




 一方、別の場所では――。

 ……ズズズ。

 次々と影の中から現れる引導師ゾンビども。

 その数はおよそ二十にも至った。


「……チィ」


 目的地を目前とした場所で、ビアンは舌打ちした。

 車で近隣まで来て、気付かれないように徒歩で近づいていた矢先だった。

 まさかの闖入者である。

 全く予期していなかった事態に困惑は隠せない。

 隣にいる蘭花ランファも、十数名の仲間たちも険しい表情だった。


「……ビアンさん」


 その時、仲間の一人が神妙な口調で口を開いた。

 その声は微かに震えている。


「……あそこに李の奴がいます」


 立ち塞がる引導師ゾンビの一人を指差す。

 他の仲間たちも、目を見開いて確認した。

 そこにいたのは確かに行方不明中の李だった。


「……あの馬鹿野郎が」


 ビアンが眉を逆立てる。


「つまんねえ死に方してんじゃねえよ……」


 拳を強く固める。

 ここにはいないが、李の仲間たちも死んだと考えるべきだった。

 この状況を作り出した化け物に殺されたのだろう。

 李たちとは、そこまで仲間意識が強かった訳ではない。

 むしろ、何かにつけて反抗的な連中であり、互いに敵愾心も持っていた。


 だが、それでもだ。

 流石に死んで欲しいとまで思っていた相手でもなかった。


 ましてや殺された後に道具にされるなど――。


「……やってくれるじゃねえか」


 ビアンは歯を軋ませた。


「死にぞこないの我霊エゴスごときがよ」










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