第376話 天を照らす紅き炎⑧

「種を明かすと《絶禍冥獄ぜっかめいごく》とは封印術だ」


 それが真刃の第一声だった。

 流石に疲れたのか、腰を下ろして片膝を立てている。


 一方、杠葉は裸だった。腰を地面にペタンと下ろして両手をつき、真刃に貸してもらった軍人時代の黒い外套マントだけを肩の上から羽織っている。

 傍らには地に突き刺さった神刀の姿もあるが、完全に戦闘状態を解いた姿である。

 今いる場所も、元の火緋神邸の月光の差し込む森の道だった。


 あれだけの死闘がまるでなかったかのような変わらない静けさだ。

 ただ変化もあった。

 真刃の右腕の袖が灼け落ちて剥き出しになっていることや、杠葉の長かった髪がかなり短いショートボブになっていることだ。

 杠葉の髪型が変わったのは、彼女が一度死にかけた結果だった。

 至近距離から《災禍崩天》の業火に呑み込まれた彼女は、焼死体にしか見えないほどの重傷を負った。だが、彼女は神刀の契約者。神刀がある限り死ぬことはない。瞬く間に再生していった。その際、灼け落ちていた髪も同時に伸びていったのだが、首筋に当たる程度の長さの時に杠葉が完全復活したので、そこで止まったのである。


「……封印術?」


 杠葉はどこか不満そうな顔で真刃を見据えていた。

 真刃は「ああ」と頷いた。


「お前との戦い。やはり鍵になるのは《災禍崩天》だ。だが、まともに放ってもお前が攻撃範囲から退避するのは分かっていた。ゆえにいかにお前に避けさせないかが肝要だった」


 少し嘆息して、


「そこでオレは《災禍崩天》を一度封印することを考えたのだ。お前の意識から《災禍崩天》を消し去り、必殺の間合いにて解放する。そのために創ったのが――」


「……あの黒い星ってことね」


 そう続ける杠葉に真刃は再び「ああ」と頷いた。


「パンドラという女の神話を知っているか? あれを参考にした」


「ああ。パンドラの箱ね」


 杠葉は大きな胸を揺らすほどに肩を落として深く嘆息した。


「ギリシャの神話だったかしら? そんなの知ってたんだ。けど、災いを封じ込めた箱を解き放つって、本当に神話通りの結果じゃない。まんまとしてやられたわ」


 杠葉は真刃を睨みつける。


「それに、私も知らない重力操作なんて真似までして」


「……重力操作に関しては苦肉の策だぞ」


 真刃は少し気まずいような様子でそう返した。


オレにとって『大地』の力はやはりあの灼岩の巨体だ。重力操作に関してはお粗末なものだ。なにせ規模だけは大きく見えるが、宙に浮かべる程度の稚拙な操作しか出来ん。あれ以上の速度も出せんからな」


 普通に歩いた方が遥かに速い。

 と、真刃は言葉を続けた。


「え? そうだったの?」


 杠葉は少し驚いた顔をした。が、すぐに苦笑を零して、


「けど、まあ、結果的に効果は抜群だったわね。実態はただの封印術だったのに、私、本気で焦ったもの。重力操作を見せつけられた直後のことだったから、てっきり極小の黒穴ブラックホールをけしかけられたと思ったわ」


 自分の間抜けさに呆れたように語った。

 すると、真刃はそこで視線を少し逸らした。

 杠葉は「……ん?」と眉根を寄せた。


「どうしてそこで視線を逸らすの? 真刃?」


 少し腰を浮かせて前のめりになる。


「……真刃?」


 ジト目で真刃を睨みつける杠葉。

 かつての恋人の圧力に、真刃は「う、ぬ」と呻いて、


「……実はそれも参考にしておる」


 そう白状した。

 杠葉は、ジト目のまま何も答えない。


「たまたまオレの書棚にあったのだ。そうして神話と現象を重ねて生み出したのが《絶禍冥獄》だ。初めて封宮メイズ内で試行した時は我ながら上出来と思っていたのだが……」


「のだが?」


 ジト目を一切崩さずに杠葉は問う。

 真刃は「う、む」とますます気まずそうな顔をして、


「最初の四十秒ほどまでは良かったのだ。意図通りだった。しかし、それを過ぎたら徐々に周辺まで呑み込み始めてな」


「…………」


「一分経ったところでオレの制御から離れた。徐々に浮上し、封宮ごと術者であるオレさえも呑み込もうとした。流石にまずいと思ってな。封宮を強制的に解くことで事なきを得たが」


 一拍おいて、真刃は言う。


「仮にあと数秒ほど放置していたら極めてまずいことになったと思う」


「――やっぱり黒穴ブラックホールじゃない!」


 バシンッと地面を両手で叩いて杠葉は叫ぶ。


「なんて危険な術を創るのよ! 完全に禁術指定じゃない!」


「いや、四十秒ぐらいまでは間違いなく封印術なのだぞ?」


 気まずげに頬をかいて言う真刃。


「《災禍崩天》のみならず、お前の象徴シンボルさえも完全に封じる強力な封印術なのだが、禁術指定というのも納得は出来る。今後は極力、使わぬようにしよう」


 そこで「さて」と呟いて、真刃は立ち上がった。

 腰に着いた土埃を払い、


「ともあれ、これで種明かしは終わりだ。杠葉よ」


 真刃は座ったままの杠葉を見つめた。


オレの勝ちだ。異論はないな」


「…………」


 杠葉も真刃を見つめ返した。

 そうして、


「……ええ」


 ゆっくりとその場で正座し直して前を向く。


「あなたの勝ちよ。真刃」


 静かな眼差しで彼女は告げる。


「私は全力を尽くしたわ。その上で負けた。だから」


「ああ」


 真刃は頷く。


「では、オレの目的を果たすことにしよう」


 そう告げる。

 同時に少し進み、地面に刺さっていた神刀を引き抜いた。


 因縁深き神刀・《火之迦ひのか具土ぐつち》。


 この手に取るのは初めてのことだった。意外と手に馴染む。

 真刃は、しばしその紅い刀身に目をやった。

 そうして再び杠葉に視線を向けた。

 彼女は正座をしたまま、瞳を閉じていた。

 断罪の時を待っているのだろう。

 長き時でも、猛き炎でも、彼女の命は奪えない。

 だが、この神刀ならば、彼女の命を絶てるのかもしれない。

 真刃は神刀を手に、杠葉の前に立つ。


 そして神刀をゆっくりと薙いで、


「……え?」


 杠葉が目を開けた。

 真刃に両肩を掴まれたからだ。

 神刀は、すでに虚空の中に回収されていた。

 真刃は彼女を立たせると、肩に担ぐように抱き上げた。


「し、真刃?」


 真刃の肩の上で困惑する杠葉に、


オレは火緋神杠葉ではなく、火緋神家の長を殺しに来たのだ」


 真刃は言う。


「そう言ったはずだぞ。杠葉」


 そのまま歩き出す。


オレが殺すのはお前の立場とその責務だ。元よりお前自身を殺す気はない。最初からお前を連れて帰るつもりだった」


 一呼吸入れて、


「お前がオレに罪悪感を抱く必要など一切ない。それがオレの本音なのだが、それでも罰を望むと言うのなら、死ではなくお前から火緋神家を奪うことを以て罰にすると決めていた」


 そう告げた。

 すると、


「――やめてッ!」


 杠葉は叫んだ。

 泣き出しそうな顔で真刃の肩を掴み、


「殺してよォ……真刃なら出来るでしょう? さっきの黒い星を使えば……」


「…………」


 真刃は足を止めた。


「お願いだから、私を殺して。真刃……」


 まるで懇願するような杠葉の声に、真刃は彼女を地面に降ろした。

 正面から互いの視線がぶつかる。杠葉は瞳に涙を溜めていた。

 そんな彼女を見やり、


「やはり、そういうことか」


 おもむろに、真刃は口を開く。


「お前の心を苛むのは罪悪感だけではないのだな」


「……私は……」


 ポロポロと涙を零して杠葉は語る。


「真刃ならそう言ってくれるって思っていた。だけど、それが一番怖いの……」


 肩を震わせて、強く拳を固める。


「巌さんもいずれ死ぬ。今は幼い燦と月子ちゃんもいつかは死ぬわ。いま生きている一族の者たちも必ず死ぬ。私一人を置いて。凄く悲しいことだけど、それには耐える覚悟があった。今までもそうだったから。けれど……」


 そこで視線を伏せる。


「あなたと再会して、許してもらって、もし一緒に過ごしたらもう無理なの。私だけが時間に置いていかれてあなたの死を看取る。それが、それが……」


 杠葉はくしゃくしゃに歪んだ顔を上げた。


「どうしようもなく怖いの。耐えられないの。それが、私にとって一番恐ろしい――」


「……罰ということか」


 真刃が杠葉の言葉を継いだ。

 杠葉はもう何も語らず、涙と嗚咽を零していた。


「……泣くな。杠葉」


 真刃はそんな彼女の頬に触れて、親指で涙を拭った。


「すまぬ。まずはオレの覚悟をお前に伝えるべきだったな」


 一拍おいて、


オレはお前の契約を解くつもりだ」


「…………」


 杠葉は頬を触れられたまま、涙目で真刃を見つめた。


「容易なことでない。最も高い可能性は神刀の破壊なのだろうが、《災禍崩天》を以てしても傷一つつかぬ。暴走した《絶禍冥獄》ならばあるいは可能かもしれんが、それにさえも耐えた場合、神刀は手の届かない異空間へ消えてしまうことになる」


「……契約解除なんて無理よ……」


 杠葉は疲れ果てた声で言う。


「私だってそれは考えた。けど、この百年、どれだけ調べても分からなかった。あらゆる方法を試しても無駄だった」


「ああ。そうだろうな。だが、オレは探すつもりだ。もしそれでも届かないのならば」


 真刃は強い眼差しで告げる。


「もう一つの覚悟を果たすだけだ。確実に実行可能な覚悟をな」


「……真刃?」


 杠葉は未だ涙の零れる顔で眉をひそめた。


「もう一つの覚悟ってなに?」


「こちらは容易な話だ」


 そう返して真刃は皮肉気に笑う。


オレもお前と同じになればいい。いずこかにまだあるはずの神威霊具と契約する。それが見つからないのならば、龍泉を呑み干せばいい」


「――――え」


 杠葉は目を見開いた。


「どちらであっても、この怪物の体にはよく馴染むことだろうな。まあ、これはあくまで次案ではあるがな」


 真刃は再び杠葉の頬を撫でた。


「いずれにせよ、オレはお前を置いて死ぬつもりはない」


 そう告げて、唖然とする杠葉を強く抱きしめた。


「もっと、早くこうすべきだったのだろうな」


 真刃は囁く。


「あの日、あのような失態をする前に。お前も、紫子も攫ってしまえばよかった……」


 杠葉は言葉もなく硬直した。


「すまない。お前に百年の呪いをかけたのはこのオレだ。本当にすまなかった」


「ち、違う……」


「杠葉。オレが望む言葉はそれではない」


 真刃は杠葉のうなじに手を置いて唇を重ねた。

 杠葉は目を瞠る。

 訪れる静寂。

 ややあって、唇は離される。


「……オレの」


 彼女の柔らかな唇に親指で触れて、


「望む言葉は一つだけだ。杠葉」


 真刃は願う。


「お前を決して一人にはしない。だからオレと共に生きてくれ」


 それに対し、杠葉は困惑し、何より躊躇していた。

 すると、


「だが、そもそも嫌とは言わせんがな」


 真刃は不敵に笑った。杠葉は「え?」と目を瞬かせる。


「前回は負けたが、今回の勝者はオレなのだ。ゆえにお前がここで何と答えようとも攫ってしまうからな。勝者の特権としてお前に拒否権はない。むしろそのために戦ったのだ」


「……なにそれ」


 杠葉は呆気にとられていた。

 が、ややあって、


「あはは、あはははははははっ!」


 腹部を両手で抱えて大らかに笑った。

 つられるように真刃も珍しく「はははっ!」と大きな声で笑った。

 そうして、


「杠葉」


 真刃は最後に問う。


「お前を攫うぞ。火緋神家からお前を奪う。いいな」


 それに対して杠葉は、


「……はい」


 ゆっくりと頷いてそう返答した。


「私は敗者だものね。今も昔も我儘ばかりでごめんなさい。けど」


 そして彼女は言った。

 泣き笑いの顔で、あの頃のように。


「真刃、大好き」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る