エピローグ
第377話 エピローグ
それは火緋神家の御前の葬儀から三日経った日だった。
昼過ぎの休日。
久遠真刃は一人、展望フロアにいた。
この街を遠くまで一望できるタワーの上階だ。
休日ということもあって、親子連れや若いカップルの姿も見える。
一人で来た真刃ではあるが、実質的には近衛隊の護衛付きだ。
真刃の休暇の邪魔にならないように遠くにて気配を消している。
(
そう思いつつも、眼下の光景に目をやっていると、
――ボボボッ。
と、鬼火が現れた。
霊体なので周りは騒がない。
それはすぐに骨の翼を持つ猿に変化した。
猿忌である。
「上手くいったか?」
真刃は猿忌を一瞥して問う。
猿忌は『うむ』と頷いた。
『神刀同様に、骨壺の遺骨も無事入れ替えることに成功した』
猿忌は直前まで火緋神家の本邸にいた。
……と言うよりも、骨壺に入っていたのである。
『しかし、流石に骨が折れたぞ』
少し疲れた様子で猿忌は語る。
『死体に擬態することもそうだが、火葬されるなど初めて経験だったからな』
――先日、火緋神邸の離れで見つかった老婆の遺体。
それは猿忌が擬態したモノだった。
その上、猿忌は葬儀、さらには火葬まで行い、焼け残った遺骨にまで化けたのである。
すべては杠葉の死を偽装するためだった。
前日には大枚をはたいて準備した神刀の
流石に本物には大きく劣るが、千堂が作製した最上級と呼んでもいい霊具だ。簡単には偽物だと気付かれることもないだろう。そもそも神刀・《
そして念のために遺骨まで千堂作と入れ替えたのである。
『何故、
と、珍しく猿忌が愚痴を零す。
「そう言うな」
真刃は苦笑いを見せる。
「これほどの擬態。お前以外には誰にも出来ぬ」
『……ぬう』
猿忌はまだ不満そうだった。
が、そこで『ふむ』と小首を傾げた。
『そう言えば、主の気配を頼りにここに来たが、何故このような場所におるのだ? 一通りの偽装が完了する今日は杠葉を他の妃に紹介する日ではなかったのか?』
杠葉は今日まで火緋神家の御前の死去という騒動から避けるため、とあるホテルに身を隠していた。だが、それも偽装が完了すれば終わる予定だった。
『ああ、それっスか』
それに答えたのは、真刃のスマホに宿る金羊だった。
『そこは予定通りっスよ。いま山岡さんが杠葉ちゃんを案内してるっス。ただご主人は桜華ちゃんに追い出されたんスよ。ご主人がいたらややこしいことになるって』
『わたくしも同感ですわ』
と、真刃の胸ポケットにあるペーパーナイフ――刃鳥も言う。
『なにせ、新たな――いえ、最古参の妃の登場。修羅場は確実でしょうから。特にここ数日、真刃さまはまだ少し意固地になっておられていた杠葉さまが再びデレデレになるまで、とてもとても念入りに愛されたご様子ですし』
「…………」
真刃は無言だ。ただ渋面を浮かべている。
『日ごとに杠葉さまの心奥の罪悪感や、百年の矜持さえも甘く
女性ゆえか、身も蓋もないことを言う刃鳥。
真刃は深々と嘆息し、
「……そういうことらしい」
そう告げた。
猿忌は『やれやれ』とかぶりを振った。
『事情は理解したが、しかし刃鳥の言葉を借りるのならば』
一拍おいて、猿忌は遠い目をした。
『今頃、フォスター邸は少なくとも修羅場にはなっておるということなのだな』
◆
――そう。修羅場だった。
正確に言えば、修羅場の一歩手前ぐらいなのだが、現時点でもフォスター邸のリビングの空気は張り詰めている。
ここに居るのは、コの字型のソファーに座る壱妃から漆妃までの八人の正妃たち。
そして少し離れてテーブル席に座る準妃隊員たち。
強引に参加を名乗り出たホマレと、護衛の名目で居る茜と葵だ。
三日前に曾祖母を亡くしたばかりの燦は流石に気落ちした表情をしているが、彼女以外は緊張した面持ちを見せている。
「……桜華師」
そんな中、腕を組んだ刀歌が問う。
「本当に今日、新たな妃が来るのですか?」
「ああ」
それに対して同じく腕を組んだ桜華が首肯する。
「もうじき山岡殿に案内されて来るはずだ」
「……こないだの女性かしら」
エルナが悩まし気に呟く。
足を抱えて俯く燦以外の全員がエルナに注目する。
「ほら。燦のひいお婆さまのお葬式に参列するために
まだ準備があるらしくすぐに帰ったが、その艶やかさは強く印象に残っていた。
「ああ~、綾香ちゃんね」
すると、芽衣が苦笑を浮かべた。
「それは違うと思うよォ。綾香ちゃんには
その台詞に誰が来るのか知っている桜華と、曾祖母の話が出てきてまた涙ぐみそうになった燦以外は少し安堵した表情を見せた。
「――はいはいっ! 準妃からの昇格の説っ!」
ホマレが手を上げてそう叫ぶが、全員が無視した。
と、その時だった。
――コンコン、と。
リビングのドアがノックされた。
全員の視線がそちらに向いた。
「山岡です」
ドア越しに老紳士の声が届く。
「お客さまをご案内いたしました」
全員が緊張した面持ちを浮かべる。
「はい。通してください」
と、エルナが代表してそう返した。
すると、ドアがゆっくりと開かれた。
「では、どうぞ」
山岡がそう促されて室内に入ってきたのは緋色の和装の女性だった。
年の頃は十八か、十九か。
群を抜いて整った鼻梁に、やや勝気そうな眼差し。白い鈴蘭の髪飾りを差した黒髪のショートヘアがよく似合う美しい少女だった。
彼女の姿を見て、準妃、正妃ともにほとんどの者が警戒する表情を浮かべた。
まさしく名家の令嬢の佇まい。
若さに似合わず和装を見事に着こなす和服美女だったからだ。
「……ウチらと同い年ぐらいかな? 年長組だね」
「……うん。たぶんそう思う」
と、芽衣と六炉がヒソヒソ話をしている。
ただ、三名だけ。
渋面を浮かべる桜華と、目を見開く燦と月子だけは例外だったが。
「――ひいお婆さまあッ!」
そして燦が飛び出した!
砲弾のような勢いで和装の少女――杠葉に抱き着く。
月子も遅れて駆け寄った。
「御前さまっ!」
胸に片手を当てて、とてもホッとした様子で杠葉の顔を見つめる。
「良かった。もしかしたらって思ってました。やっぱりご無事だったんですね」
「ええ。ごめんなさいね。燦。月子ちゃん」
杠葉は燦と月子の頭を撫でた。
「月子ちゃんはともかく、燦は顔に出ちゃう気がしたから。今日まで黙っていたの」
「ふええェ……良かったよォ」
涙でくしゃくしゃになった顔で燦が言う。
「ひいお婆さまが、しわしわのくちゃくちゃの乾燥わかめになったと思ったあ……」
「……その表現はどうかと思うわ。燦」
若干頬を引きつらせてツッコむ杠葉。
すると、
「……燦さん? 月子さん?」
かなたが訝し気な様子で口を開いた。
「もしかして、彼女とお知り合いなのですか?」
その問いかけに燦と月子は振り返った。
ただ二人は互いの顔を見合わすと、何とも答えにくそうな表情を浮かべた。
「……ええ。その通りです」
代わりに答えたのは杠葉当人だった。
そして他の妃たちに深々と頭を垂れてから、
「初めまして。私の名は火緋神……いえ」
真っ直ぐ他の妃たちを見据える。
「
そう告げた。
数秒の間が空いた。
そして、
「「「………………え?」」」
桜華、燦、月子を除く全員が呆気にとられた声を零した。
まあ、燦と月子も『久遠』の名に驚いてはいたが。
そうして十五分ほど経過した。
コの字型のソファーの一角には新たに杠葉が座っていた。
準妃たちも含めて全員がずっと沈黙している。と、
「……えっと」
エルナがようやく口を開いた。
「本当に、あなたが火緋神家の御前なんですか?」
「ええ。もう引退したけれど……」
そう答える杠葉だが、頬に人差し指を当てて、
「少し違うかしら。私は火緋神家から真刃に攫われてしまったから、無理やり引退させられたというのが正しいのかしら」
そこで視線を逸らし、若干顔を朱に染めて指先を唇に当てる。
「真刃に攫われてただの杠葉に戻ったあの夜。本当に思い知ったわ。私の心なんてとっくの昔に止まっていると思ってたのに、自分がまだあんなにも女だったなんて……」
思わず瞳を前髪で隠してしまう。
流石に自分の年齢を考えると、とてつもなく気恥ずかしいことだった。
その詳細なんてとても他人には話せない。
ただ、そんな今日までの幾度もの愛の営みを経て、杠葉の心は明らかに変化していた。
元々若々しい杠葉だが、今はその上に溢れるほどの瑞々しさがあるのだ。
枯れたはずの心が愛で満たされていた。
「……女って愛されれば百年経っても女なのね」
熱い吐息と共にそう呟く。
「おい。お前やめろ」
同じ年代、同じ立場の桜華が少し赤い顔で言う。
「露骨に女の顔を見せるな。それにその台詞は自分まで恥ずかしい」
一方、他の妃たちは全員、渋面を浮かべていた。
例外は「わあわあっ」と口元を抑えて顔を赤くする葵ぐらいか。
「……あなたは」
そんな中、かなたが尋ねる。
「赤蛇に見せてもらった記憶で見たことがあります。火緋神の巫女。大正時代に帝都で真刃さまと戦い、倒した本人ですよね」
「……ん」六炉が首肯する。
「ムロもテテ上さまからそう聞いている。火緋神家の御前は真刃を殺した人だって」
「ええ。そうよ」
杠葉は、かなたと六炉に目をやった。
特に六炉の方をじっくりと見やり、
「あなたは天堂院九紗の娘ね」
「……ん。そう」
六炉が頷く。杠葉は小さく嘆息した。
「確かに私にはあなたたちが思う以上の因縁がある。一度は真刃を裏切ったのだから。真刃はそんな過去も受け入れて私を変わらず愛してくれたけど……」
一呼吸入れて、
「私はすでに真刃の
頬に片手を当てながら、杠葉はにっこりと笑って告げる。
「
「明らかに壱妃よりも特別な称号だしてきたっ!」
エルナが立ち上がって叫んだ!
「零妃って完全に裏番じゃない! 意外と図々しい人だったわ!」
「……確かにそうですね」
かなたも無表情のまま、明らかに不機嫌そうだった。
「ああ。そうだな」
常ならば年長者を敬う刀歌も不満そうだ。
「ただでさえナンバーに関してはナイーブな問題になっているというのに」
「……ひいお婆さま。それずるい」
まだ少し涙を残す燦まで半眼になった。
「御前さま、それはいささか吹っ切れ過ぎていると思います……」
月子さえも上目遣いでジト目を向けている。
一方、
「う~ん、ウチは別にナンバーには拘ってないかなあ。だって、ナンバーに関係なくシィくんはウチを凄く愛してくれてるしィ」
芽衣が大きな胸を自慢げに張ってそう言い、
「ん。ムロも『陸』のままでいい。その数字が好きだから」
と、六炉が続く。この二人は上位ナンバーにさほど執着していなかった。
「……お前」
ただその傍らで、最も不満そうなのは桜華だった。
「本当に太々しいな。自分だって妃の番号には気を遣ったのだぞ。なにせ、弟子の刀歌が参番で、師の自分が漆番だからな。流石に思うところはある」
「……やっぱりそうなんですか? ですが、桜華師とて参妃の座は譲りません」
と、刀歌が珍しく桜華相手に強気に出る。
「はいはーいっ! ホマレはナンバー気にしないから正妃に上げて欲しいです!」
と、ホマレが両手を大きく振って騒ぎ、茜はとても小さな声で「……出来れば上位が……」と独り言を零していた。
妹の葵は他人事のように「うわあ、妃は大変だぁ」と感想を述べていたが。
いずれにせよ、拒絶的な反応が多い。
杠葉にとっては想定内の反応だ。
数日前の杠葉なら、負い目からここで引いていたかもしれない。
だがしかし、今は――。
「あら。じゃあ、これから私が零妃に相応しいか試しましょうか?」
にこやかに笑ってそう告げた。
愛を思い出したこの胸の炎はもう消せない。
譲れないモノが出来たのだ。
杠葉の明らかな挑発に、エルナたちの眼差しに闘志が灯った。
ついさっきまで泣きじゃくっていた燦さえも鼻息を荒くしていた。
かくして、あまり乗り気ではなかった芽衣と六炉、敬愛する杠葉相手に少し躊躇っていた月子も巻き込んで、三度目となるお妃さまバトルロイヤルが勃発したのである。
地獄に化すことを懸念して席を外した真刃だったが、結局、戻って来たら来たで、そこにはしっかりと地獄が待っていただけの話だった。
それも物理的な阿鼻叫喚である。
何はともあれ。
火緋神杠葉改め、久遠杠葉はようやく納まるべき場所へと戻ったのであった。
第9部〈了〉
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
読者のみなさま。
本作を第9部まで読んでいただき、誠にありがとうございます!
しばらくは更新が止まりますが、第9部以降も基本的に別作品との執筆のローテーションを組んで続けたいと考えております。
これで一応、正妃たちは全員揃ったことになります。
まあ、私も想定してなかった準妃たちもいるので、まだまだ増える可能性もありますが(笑)
第10部は短編集的なバトル少なめの日常編にチャレンジしてみようかと考えています。
もし、感想やブクマ、『♥』や『★』で応援していただけると、とても嬉しいです!
大いに執筆の励みになります!
今後とも本作にお付き合いしていただけるよう頑張っていきますので、これからもよろしくお願いいたします!m(__)m
追記。筆休めの象徴一覧に杠葉の象徴を追記しました。
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