第375話 天を照らす紅き炎⑦
――一方。
杠葉は神刀を片手に静かな眼差しで炎の海を見据えていた。
爆発による衝撃は、しばらくして収まった。
骸鬼王は炎海の中へ沈んでいったようだが、これで終わりのはずもない。
煌龍たちも鎌首を上げて爆心地の様子を窺っていた。
すると、
……ゴゴゴゴゴッ!
炎の海が大きく鳴動する。
そうして灼岩の巨体が浮かび上がってくる。
やはり健在だったようだ。
煌龍たちが牙を剥き出しにして威嚇する――が、
(……え?)
杠葉は目を瞠った。
浮上してくる骸鬼王。
それが止まらないのだ。
胸部、腰、そして膝……。
これまで姿を見せていたのは上半身までだった。視認は出来なかったが、恐らく炎の海の中に足場となる外殻を造って立っていたのだろう。
それが、今は巨体の四肢すべてが炎海より浮上してきているのである。
(どうやって?)
杠葉は眉をひそめた。
そうしている内にも骸鬼王は完全に浮上した。
炎の海から解き放たれてもなお浮上は止まらない。
全身から伸びている黒い鎖も、すべて虚空へと移された。
ゆっくりと。
しかし、着実に天に向かって上昇し続けるその姿はまるで移動要塞のようだった。
(……そうか、あれは……)
そこで杠葉は思い当たる。
骸鬼王の最大の攻撃術である《災禍崩天》。
その言霊の一節に『火と大地の王』というものがある。
術威を最大に引き上げる言霊だが、その詠唱は術者が決めている訳ではない。
使用する術の本質が、自然と言葉にされて形に成るのだ。
(火と大地の王……私はあの灼岩の巨体を示してると思ってたけど……)
確かにあの灼岩の巨体は『大地』の力と呼ぶに相応しいだろう。
だが、骸鬼王が繰り出す術のほとんどは『火』を主体としたものだった。
骸鬼王は『火』に偏った存在ともいえる。
しかし、本質を表す言霊において、わざわざ『火』と並んで『大地』を冠している以上、『大地』に属するさらなる術式があってもおかしくないのだ。
そして『大地』の上位術式と言えば……。
「……重力操作」
杠葉は小さく呟いた。
重力を操ることで骸鬼王の巨体を浮かせているのだろう。
だが、あんな山にも等しい質量を動かすような術式は、杠葉も見たことはない。
「……真刃」
すると、杠葉は少し不満そうに眉根を寄せた。
「そんな力を持っていたなんて聞いてないわよ」
そう呟く。
骸鬼王の巨体を支えているのも、実は重力操作で補佐していたのかもしれない。
真刃にとって、これは秘匿にしておきたい切り札なのだろう。
引導師ならば誰にも語らない切り札を持っていてもおかしくない。それは分かるのだが、かつての恋人としては、今さら秘密を教えられたようで少し不満げな気分だった。
まあ、そんな感傷に浸ったのも数瞬だけのことだが。
「けど、これで切り札を全部切ってきたってことね」
未だ解かれていない《制約》の解除は切り札として懸念しているが、ここに至っても使わないということは解除の反動を恐れて使えないのか、使うつもりがないと考えていいだろう。
いずれにせよ、骸鬼王の巨体はすでに太陽から離脱している。
杠葉の目の前にまで迫り、巨腕を振り上げていた。
ふわふわと浮いていた杠葉は、両足から後方へ飛雷を飛ばした。
それに乗って退避する。
骸鬼王の巨腕は虚しく空を切った。
同時に煌龍たちが咆哮を上げて飛翔した。
太陽には繋がったまま、龍体をどんどん伸ばしていく。
数百にも及ぶ炎の龍の大群が骸鬼王の元へと迫っていった。
『ヤハリ、ハナレタテイドデハ、オサエキレンカ。ダガ』
骸鬼王は小さく呟き、右腕を薙いだ。
大爆炎が起き、煌龍たちを呑み込んだ。
それだけで殲滅は出来なくとも第一陣は一掃できた。
爆風に乗って骸鬼王はさらに間合いを広げる。
そして、
『ヨウヤク、ゼンヨウガ、シレタナ』
そう呟いた。
骸鬼王の眼差しの先には巨大な炎球――太陽が存在していた。
まるで本物の太陽のような杠葉の
その光景は大スクリーンを通して真刃の目にも映る。
そうして真刃は、
「地より出ずる灼熱よ」
片腕をかざして、必殺の詠唱を開始した。
「其は、怒りなり。
天の理に縛られし、人の子の怒りなり」
骸鬼王の様子から杠葉も詠唱を察する。
「其は、悪鬼に非ず。
其は、天魔に非ず。
其は、人界の憤怒なり」
しかし、杠葉はわずかに躊躇した。
この瞬間、彼女には二つの選択肢があったからだ。
煌龍の間合いはまだ遠い。
ここは彼女自身が特攻して詠唱の妨害をするか。
だが、その逆もある。
あえて最大の術を撃たせるのだ。
現在、杠葉は攻撃の範囲外にいる。
ゆえに真刃の狙いは太陽の破壊にあると考えてよいはずだ。
ならば、煌龍たちを防御に回して、あえて《災禍崩天》を受ける。
全損に近い大ダメージは免れないだろうが、杠葉にはまだ神刀・《
最大の術を放って消耗した骸鬼王ならば、太陽が使えずとも充分に勝算があった。
(――どうする)
杠葉は険しい表情を見せた。
詠唱はなお続く。
「刮目せよ。歓喜せよ。
時は来たれり。
今こそ、火と大地の王が、天上へと攻め入らん」
最後の一節だ。
真刃の声は聞こえずとも杠葉はそう察した。
その証拠に骸鬼王の火口のような胸部が赤く輝き、鳴動している。
杠葉は決断した。
そして雷鳴と共にさらに間合いを広げる。
煌龍たちは密集して太陽の盾となり、防御の陣を取った。
あえて受ける決断をしたのだ。
真刃は双眸を細めて、次の一節を唱えた。
「災いよ。
(―――え?)
杠葉は目を瞠った。
唐突に、骸鬼王が両の掌を胸部の前で構えたのだ。
杠葉も初めて見る構えだった。
すると、胸部から溢れ出ようとしていた炎と輝きが瞬時に消えた。代わりに黒い球体が胸部より現れ出てくる。それはゆっくりと進み、構えた左右の掌の間に納まった。
直系にして十五メートルほどだろうか。
深い闇が圧縮されたような完全なる球体である。
これも初めて見るモノだった。
真刃はさらに言霊を続ける。
「深く暗き、奈落の
音も無く、光も無く、
其は、不変の
万物万象抗えぬ」
(――《災禍崩天》じゃない!?)
杠葉は青ざめた。
「嗚呼、
果てなき
黒き
いざ、全天を呑み干せ。終焉の星よ」
そうして。
骸鬼王がアギトを動かし、その術式の名を告げた。
『――《
黒い星が、ゆっくりと動き始めた。
弧を描いて移動し、衛星のごとく骸鬼王の周囲を漂う。
骸鬼王は右の掌を太陽へと向けた。
直後、黒い星が加速する!
速度としては決して速くはない。
だが、杠葉は血の気の引いた顔で叫んだ。
「迎え撃ちなさい!」
その声に応えて、煌龍たちが一斉に飛翔した。
牙を剥く個体、炎を撃ち出す個体。
迎撃方法は様々だったが、それらはすべて無意味だった。
炎は爆発を起こすことも、相手を灼くこともなく吸い込まれ、牙を突き立てようとした煌龍は頭部ごと黒い星の中へと消えていった。
ただ触れただけで、黒い星はすべてを無力化させた。
為す術もなく、煌龍たちは次々と呑み込まれていった。
(――嘘でしょう!?)
ますますもって杠葉は青ざめる。
――重力遣いが放った黒い星。
それがいかなるモノなのかなど想像に難くない。
(まさか
光さえも落とす超重力の渦。
それ以外には考えられなかった。
事実、その通りの現象が目の前で起きている。
黒い星は煌龍たちを呑み干しながら、遂には太陽自体にも衝突した。
太陽の巨大さに比べれば、まるで小さな黒点のようだ。
しかし、次に起きた現象に背筋が凍る。
黒点の大きさは変わらないまま、巨大な太陽がねじ曲がっていくのだ。
螺旋を描くように歪んで、黒い星に吸い込まれていく。
悪夢のような光景だった。
中核に至るまでのすべてを呑み干されるのに十数秒もかからなかった。
太陽を喰らい尽くした黒い星は、骸鬼王の元へと帰還した。
再び衛星のように骸鬼王の周辺を漂う。
そんな中で、骸鬼王は顔を杠葉の方へと向けた。
黒い星がピタリと止まった。
「――くッ!」
杠葉は飛雷を奔らせて間合いを取る。
黒い星が、今度は杠葉の方へと加速したのはその直後だった。
迫り来る黒い星。
その速度は、精々時速六十キロ程度のものだろう。
対する杠葉は雷速だ。
絶対に追いつかれるはずがない。
しかし、彼女は黒い星を引き離せないでいた。
理由は分かる。
あの黒い星の方へと。
このままでは、いずれ自分も呑み込まれてしまう。
「だったら!」
杠葉は覚悟を決めた。反転し、神刀の刀身に片手を添える。
そして、
「御身の巫女が願い奉る! ここに威を示めされよ! 猛き火の神よ!」
神刀に呼び掛ける。神刀は赤く光り輝いた。
神刀・《
次いで神刀を天にかざす。
刀身から大いなる炎が噴き出し、巨大な炎剣と成った。
雷速であっても、あの超重力の渦からはとても逃げられない。
ならば、迎え撃つしかない。
かつて骸鬼王を倒した炎の巨剣。
次元をも両断するこの神の極刀を以てして――。
「断ち斬る!」
巨大な炎剣と共に、杠葉は黒い星へと向かって加速した!
絶対の間合いを掴むため、あえて雷速は使わない。
杠葉の眼差しは斬撃のタイミングだけを見据えていた。
だからこそ、彼女は気付かなかった。
骸鬼王が、黒い星に向けて右手をかざしていたことを。
その指先が徐々に閉じようとしていたことを。
「……杠葉よ」
骸鬼王の中で、真刃は双眸を細める。
その右手は骸鬼王同様に黒い星へと向けられていた。
「お前の
そう呟いた。
そして彼女が黒い星へと巨大な炎剣を振り上げた時。
骸鬼王は、指先を閉じてこう告げた。
『――《
直後、黒い星の表層に赤い輝きが亀裂のように奔った。
杠葉は思わず「え?」と呟いた。
刹那のことだが、その場で固まってしまう。
その隙を突くように、輝く亀裂は黒い星の全周を奔り抜けた。
そして――。
――ゴオォンッッ!
凄まじい衝撃が全天を震わせる!
黒い星が崩壊して、津波さえも凌ぐような荒ぶる炎が噴き出したのである。
それは杠葉も巨大な炎剣も一瞬で呑み込んだ。
呑み込まれる直前まで、杠葉は唖然とした表情をしていた。
だが、それだけでは留まらない。
炎はあまりにも膨大だった。
それは、まるで新たな星が生まれたかのように。
溢れ出した紅い炎は、天上すべてを照らすのであった。
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