第390話 参妃/幼馴染ラプソディー④

 その我霊エゴスは意外にも人並みの大きさだった。

 E~D級は、獣に近い異形の怪物が多い。

 しかし、目の前の我霊は姿もまた人に近かった。

 性別としては男だ。ほぼ全裸なので分かる。四肢も人と変わらない長さだったが、手の指先だけが異様に長く獣のような爪が生えていた。最も異質なのは頭部だった。縮尺自体が人間の二倍はある。そこにある顔もだ。そのため、長身の剛人よりも背が高かった。

 まあ、あくまで人型に近いだけの話だった。


「……ぐがあああああッ!」


 知性などない我霊は獲物を前にしていきなり駆け出した。

 右腕を振り被って、爪撃を繰り出す!

 それを迎え撃つのは剛人だった。

 念のために左腕を剛体化させて爪撃を受けた。

 ――ガギンッ!

 爪は大きく弾かれた!


「おおッ!」


 剛人は感嘆の声を上げた。

 今の爪は鋼の腕で弾かれた訳ではない。

 その腕に纏う法被型の霊具によって弾かれたのだ。

 これが《金剛法被ダイヤモンド・ウェア》の効果。

 法被を纏った術者の術式を法被自体にも付与できる霊具だ。

 それも任意と自動、両方で発動する。

 今のように攻撃を受ければ、その部位に術式を発動させるのだ。

 剛人のような防御系の術式とはとても相性のいい霊具だった。


「こいつはいいぜ!」


 剛人は一気に間合いを詰めた。

 我霊は両腕の爪を振り下ろすが、それらは剛人の肩に触れるなり、やはり弾かれた。

 剛人は防御には気を回さずに、両腕を鋼と化した。


「オラオラオラァ!」


 拳の連撃を繰り出した。

 鋼の拳は次々と我霊の身体を陥没させる。

 堪らず後退する我霊に、


「今だ! 刀歌!」


「――分かった!」


 剛人の呼びかけに刀歌が応える。

 熱閃の赤い刃を構えて跳躍。

 そして、

 ――ザンッ!

 一刀のもとに、我霊を両断した!

 炎はそのまま我霊の肉体に燃え移り、我霊は崩れ落ちていった。

 下級とはいえ、流石の瞬殺だった。

 刀歌は「ふう」と息を吐き、我霊が死を思い出すのを見届けた。

 我霊の肉体も完全に黒灰となる。

 炎の刃を納めて、刀歌は振り返った。

 そこにはニカっと笑う幼馴染の姿があった。

 ――パァンっ!

 二人は片手を叩き合った。



 一方、その頃。

 二人の幼馴染である琴姫は一人、近くのビルの陰に隠れていた。

 ここは我霊の縄張りからも外れた安全圏内だった。

 仕事が終わるまで、この近くで待機するように刀歌に言われたのである。


『全部、私に任せておけ!』


 ポヨンっと大きな胸を叩いて姉貴分はそう告げた。


(……刀歌姉、ぜったい勘違いしてるよ……)


 琴姫はそう思う。

 どうも彼女の姉貴分は、琴姫が剛人に恋をしていると思ったようだ。


(好きじゃないと言ったら、嘘になるけど……)


 琴姫にとっては、剛人は昔から頼りになるお兄さんだった。

 幼い頃、彼には酷く迷惑をかけてしまった。

 我霊退治に勝手についていってしまったのだ。

 そのせいで怪我もさせてしまっている。

 その償いも込めて、琴姫は霊具職人になったのである。

 まあ、元々モノづくりが好きという側面もあったが。


 いずれにせよ、今回の霊具は上出来だ。

 きっと剛人の役にも立つ。彼が欲しいと望むのなら上げるつもりだった。

 帰国祝いの品としては充分なはずだ。

 琴姫としては兄貴分に喜んでもらって、後は頭をナデナデでもしてくれたら満足だ。

 と、そうこうしている内に廃ビルから二人が出てきた。

 二人とも怪我はない。無事に終わったようだ。

 刀歌と視線が合う。

 姉貴分はコクンと頷いた。



(さて、と)


 一方、廃ビルから出てきた剛人は考えを巡らせていた。

 今回の我霊は少し拍子抜けだった。霊具の性能は素晴らしいと思ったが、逆に吊り橋効果が発揮するような状況には程遠かった。

 あれでは弱すぎる。

 不気味ではあったが、嫌悪感の方が強く、恐怖を覚えるほどでもなかった。


(今回はまあ、こんなもんだろ。問題は次にどう繋げるかだ)


 同じ年代の引導師同士。

 そして何より気心の知れた幼馴染だ。

 修行を兼ねてと言えば、定期的に我霊退治に付き合うことは自然なはずだった。

 とにかく、今日はその約束をこぎつける。

 それこそが最大のミッションだった。

 暗い路地裏。剛人は前を行く刀歌に声を掛けようとした。

 すると、


「……剛人」


 不意に刀歌が振り返った。

 今まさに声を掛けようとしていた剛人はドキッとした。


「実は、もう一つサプライズがあるんだ」


 刀歌は微笑む。


「そこで立ち止まって目を瞑ってくれないか?」


(――な、なんだってッ!?)


 剛人は内心で愕然とした。


(ど、どういうことだ!? これは想定してねえぞ!?)


 ――一体何があると言うのか。

 ともあれ、剛人は反射的に「お、おう!」と答えていた。

 そしてグッと強く瞳を閉じた。

 その傍らで刀歌は後ろに振り返り、クイクイと手招きをした。

 琴姫が刀歌の元に駆け寄って、刀歌と立ち位置を入れ替えた。

 刀歌の代わりに剛人の前に立つ。

 これが刀歌と琴姫のサプライズだった。

 いきなり目の前に琴姫が現れて、その霊具を造ったのは自分だと告げる。

 きっと剛人は驚くに違いない。

 それを思うと笑みが零れる。

 ――が、そこで少し困ったことが起きた。

 目を瞑る彼に、どう気付かせばいいのか分からないのだ。

 ここで琴姫が声を掛けては、目を開ける前から気付かれてしまう。


(ま、いっか)


 琴姫は法被の両袖を掴んだ。

 この程度で準備が出来たと気付くはずだ。

 だが、それは切っ掛けだった。

 いや、正しくは決壊だった。

 剛人は無茶くちゃ緊張していたのだ。

 なにせ、好きな女を前にして目を瞑れだ。

 不安と、それ以上の期待感で心臓が凄まじいことになっていた。

 そこへ遂に袖を――引き金を引かれたのである。

 気付けば、剛人は目の前の少女を強く抱きしめていた。


「――好きだッ!」


 剛人は思いの丈を一気に吐き出した。


「ずっと好きだったんだ! お前を誰にも渡さねえ!」


 強く、強く抱きしめる!


「お前が欲しいッ! お前が欲しいんだッ!」


 もはや、すべてをすっ飛ばして。

 昂りすぎた剛人は告白してしまっていた。

 ……シン、と。

 路地裏に静寂が訪れる。


(……ああ、やっちまったぁ)


 やや冷静になりつつ、剛人は思う。


(けど、仕方がねえ。後はなるようになれだ……)


 腕の中の少女を、有無を言わせず強く抱きしめた。

 と、その時だった。


「ご、ごごご、剛人……」


 不意に少女の声が聞こえた。


「お、お前、なんて大胆な……というより、まさかの両想いだったのか……」


 そんなことを呟いている。

 とてもよく知る声が。


(――――え?)


 剛人は目を開いて、声の方に目をやった。

 そこには口元を両手で抑えて、「わあわあ!」と興奮する刀歌の姿があった。


(…………はあ?)


 剛人は目を丸くした。が、すぐにハッとして腕の中の少女を確認する。

 そこには顔を真っ赤にする琴姫がいた。


(はあ!? なんでここに琴が!?)


 驚愕しすぎて、声も出なかった。

 琴姫は荒い吐息と共に視線を泳がせていたが、


「……ご、剛人兄は……」


 その眼差しは、徐々にトロンっとして。


「霊具なんかじゃなくて、私が、琴のことがずっと欲しかったの……?」


 剛人の顔を見つめたまま、背中を掴んで尋ねてくる。刀歌にもそう劣らない暴力的なぐらい柔らかいモノを押しつけられて、剛人はさらに言葉を失った。


「……剛人兄……」


 期待と不安を抱いた眼差しを向ける琴姫。

 刀歌は体を小刻みに震わせて「わあわあ!」と興奮していた。


(と、刀歌……)


 そんな彼女を横目で見やる。

 ここは否定しなければならない。絶対にだ。

 しかし、剛人にとって琴姫も大切なのだ。

 ここで実は間違えたなど言えば、琴姫を傷つけることになる。

 それもとても深くだ。


「……う、ああ……」


 結果、剛人は肯定にも呻き声にも聞こえる声で誤魔化した。

 琴姫は「あ、あうゥ……」と呻いた。

 そして、


「も、もう少しだけ待って」


 震える声で、琴姫は言う。


「琴はまだ子供だから。結婚できる歳まで待って……」


 そう告げて、


「す、末永く、琴をよろしくお願いします」


 剛人に強くしがみついて生涯の挨拶をした。

 剛人としては、彼女の肩を抱きしめることしか選択肢がなかった。


「良かったな! 琴姫! おめでとう! 二人とも!」


 路地裏には、刀歌の本当に嬉しそうな声と拍手だけが響くのだった――。



       ◆



『……それが事の顛末でございます』


 場所は変わって、従霊たちが集う部屋。

 蝶花が、淡々とした声で体験談を語り終えた。


『……えっぐう……』


 従霊の誰かが呟いた。


『何それ? 全く新しい変わり身の術?』


『確かにエグイ……気付けば幼馴染が入れ替わっていたって。まあ、琴ちゃんが剛人っちが好きだってことは俺らにもすぐ分かったけど、なんで刀歌ちゃんは気付けたんだ? 剛人っちの恋心なんて全く気付きもしねえのに……』 


『刀歌ちゃんは確かに鈍感だけど、琴ちゃんの気持ちにすぐに気付けたのは、やっぱり真刃さまと出逢った影響じゃないかな?』


 蝶花がそう言うと、


『あ。なるほど。自分にも惚れた男が出来たからか』


『なんにせよ、琴ちゃん、大勝利だな!』


『いや、それはいいが、結局、剛人っちはどうなったんだ?』


『なんか悩んでいるよ。剛人っちにとっては今も刀歌ちゃんが好きだけど、琴ちゃんのことも大切で絶対に傷つけたくない相手だから』


 これまた蝶花が補足する。


『ってことは、今も二人は付き合ってるってことか。もう冗談だったとも間違いだったとも言い出せねえだろうなあ』


『すげえな。参妃。自分に言い寄る男を完全に封じ込めたってことか』


『それも無意識にな。というより親切心でか』


『剛人っちはなんですぐ詰んでしまうん?』


『つうか、剛人っちはもう全部受け入れた方が幸せになれるんだけどな』


『それが中々できないから剛人っちだろ。カチンカチンの子やぞ』


『ちなみにですな』


 そこで蝶花がトドメの情報を開示する。


『つい先日、刀歌ちゃんの学校にアメリカから転入してきた女の子が二人います。二人とも剛人っちの知り合いで見たところ激ラブのようですなあ』


『『『剛人っち!?』』』


 思わず驚愕の声が揃った。


『現地妻なの!?』『さらに修羅場かよ!?』『剛人っち死ぬんじゃねえの!?』


『まあ、そうですなあ』


 蝶花は肩を竦めたような雰囲気で続ける。


『あっちはあっちでとても大変そうです。そんな剛人っちたちに対して刀歌ちゃんはとても生暖かい眼差しを見せていました』


『『………うわあ』』』


 これまた呻き声が重なった。

 参妃の凄まじさを思い知る従霊たちだった。


『ともあれです』


 宴もたけなわ。

 ここらで蝶花が話を締める。


『これにて、今回の参妃の物語は閉幕でございます』


 ――チャンチャン。



◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆


次話『肆妃『星姫』/忍の道は険しくて』


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