肆妃『星姫』/忍の道は険しくて

第391話 肆妃『星姫』/忍の道は険しくて①

 それはある夏の日。

 彼女がまだ九歳の時だった。


 幼いながらも、恐ろしく綺麗な顔立ちに、赤みがかった少し勝気な眼差し。毛先に行くほどにオレンジ色に見える明るい赤色の髪は垂らしたまま、左右を結いでいる。

 太陽のごとく燦々と輝く少女。

 ――そう。後の肆妃『星姫』・火緋神燦である。


 燦は空を仰いで目を細めた。

 突き刺す日差しに、緑の香りがする森。

 目の前には川と小さな滝がある。


「うん。いい天気ね」


 両腕を腰に当てて、フンスと鼻を鳴らす燦。

 滝つぼから微かにかかる水飛沫が心地よかった。

 ここは火緋神家の私有地の一つである森。

 グランピング施設もある、保養地と修行場も兼ねた場所だった。


「今日は修行日和だわ!」


 そう告げる燦は、学校指定の体操着を着ていた。

 夏休みに入ったばかりの今日からの三日間。

 燦は泊まり込みで修行する予定だった。

 そのための特別講師も呼んである。


「ねえねえ! 師匠!」


 燦は振り返って彼女・・を呼ぶ。


「早く修行しようよ!」


「ま、待ってください。燦さま……」


 木陰の中からフラフラと人影が現れる。

 年の頃は十六歳ぐらいか。少し青みがかった黒髪のショートに、顔の右半分を隠すように覆う前髪が印象的であるスレンダーな少女だった。

 一応、運動を想定して上下一体のレギンスの上に柄の入ったTシャツ。何故か短刀を腰に差し込んでいるが、


「私は太陽が苦手なので……」


 彼女は、青ざめた顔でそんなことを言っていた。

 まだ始めてもいないのに、肩で息をしている素振りさえある。

 そんな師匠に、


「もう! しっかりしてよ!」


 燦は、腰に手を当てて仁王立ちして見せた。

 そして、


「早くあたしにニンポーを教えてよ!」


 そう催促するのであった。

 


       ◆



 九重ここのえヒカゲは忍者である。

 正確に言えば忍であった者が祖となり、引導師ボーダーと成った家系の末裔だ。

 祖は忍だけあって、その系譜術は戦闘よりも諜報向きだった。それを活かして代々火緋神家直属の諜報員を輩出している一族だった。


 ただ、その地位はかなり低い。

 元々火緋神家は戦闘にこそ重きを置く一族だ。

 諜報員は、どうしても評価が低くなる傾向があった。

 そして火緋神家の分家でもない九重家は、使用人にも近い家柄だった。

 そんな不遇な一族出身のヒカゲにも人生設計があった。


 ひっそりと。

 自分の名前通り、ひっそりと影のように生きたいのだ。


 流石に容姿は引導師の家系だけあって美形とも呼べるが、魂力は88しかない。

 引導師としての実力は良くて中の下ぐらいか。

 生まれてこのかた、華々しい活躍とは無縁だった。

 だからこそ、ひっそりと生きたかった。

 下手に悪目立ちなどすれば、絶対に寿命を縮めるからだ。

 間違いなく早死にする。


 だから、日陰の中でひっそりと平穏に。

 そんな人生こそが、ヒカゲの理想だった。


 幸いにも、自分程度の魂力なら隷者として求められることもまずない。

 ヒカゲが望む人生設計は、そうあり得ない話でもなかった。


 だがしかし。

 結果的に言うと、その人生設計は早い段階から崩れてしまうことになる。

 大きな転換期となったのは二つだ。

 その最初の一つは、やはり『あの子』との出会いだろう。

 あれはヒカゲが十六歳の時だった。


「ねえねえ!」


 ある夏の日。

 火緋神家の本邸の廊下にて。

 その子はキラキラとした眼差しをヒカゲに向けていた。


(う、うわあ、この子が燦さま……)


 内心では息を呑むヒカゲ。

 初めて出会った。

 ――火緋神燦さま。

 火緋神本家の直系。正真正銘の炎雷のお姫さまである。

 幼いながらも、その美貌も魂力もヒカゲを圧倒する。

 まさにヒカゲとは対照的な存在だ。

 日陰者のヒカゲには、あまりにも眩しすぎる少女だった。

 こうして対峙しているだけで目が眩んでしまいそうだった。

 そんな輝ける少女が尋ねてくる。


「あなたがニンジャってホントっ!」


(……うぐ)


 ヒカゲは言葉を詰まらせた。

 引導師としては、ヒカゲは極めて凡庸だ。

 だが、その肩書きの方は、火緋神家の傘下でも唯一といってもよかった。

 それどころか、全国的に見ても忍者兼引導師など明らかにレアだ。

 ヒカゲとしては、先祖を恨みたくなるような悪目立ちしすぎる肩書きだった。

 これまでにも興味津々に聞いてくる者たちは多かったが、とうとう本家のお姫さままでが興味を持ってしまったらしい。

 ともあれ、ひっそり生きるのにこのお姫さまは相性が悪い。


「確かにそうですが……」


 とりあえず認めつつも、興味が失せるような誤魔化し方を考えるヒカゲだったが、


「ホントっ! ねえねえ!」


 小さな暴君は、問答無用で先手を打ってきた。

 ヒカゲの袖を強く掴んで、こう命じて来たのである。


「だったら、あたしの師匠になってよ!」


 ――と。


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