第155話 バケモノ談義⑥

「八体目!」


 ――ザンッ!

 八体目の牛のような頭の我霊の首を刎ね、桜華は走る。

 数秒遅れて、牛鬼の首が落ちた。

 桜華は見向きもせず、森の中を走り続ける。


「白冴! 次はどこだ!」


『このまま真っ直ぐ前方に。三十秒後に接敵します。ですが』


 白冴は、緊迫した声で警告する。


『あの女が近づいております。恐らく、これが最後の討伐になるかと』


「……そうか」


 桜華は双眸を細めた。

 そしてさらに加速。

 木々の間を抜ける。やや広い場所。

 そこには、亀のような甲羅と、四本の腕。腹部に人面を持つ不気味な化け物がいた。

 体格においては、桜華の倍はある。

 化け物は、すぐに桜華の存在に気付いた。


「があぁアアアアアッ!」


 咆哮を上げて、右の二本の腕を振り下ろす!

 桜華は直前で前へと跳躍。巨大な拳をすり抜けて、腹部に炎の斬撃を喰らわせる。

 しかし、


「――チイ」


 その刃では、斬り裂けない。

 焦げたような炎症しか残せなかった。

 甲羅でなく腹部であっても、相当な強度である。


「ぐがあぁアアアアアッ!」


 甲羅の我霊は、四本の腕を奇妙に伸ばした。

 すべての腕を鞭のようにしならせて、桜華へと叩きつけようとする。

 一つ一つが、まるで砲弾のようだった。

 拳の乱撃を桜華は回避するが、外れた拳は地に大穴を開けていく。


(自分の魂力では、一度でも喰らえば即死だな)


 冷静にそう判断する。

 桜華のように接近戦を主体とする引導師は、魂力を肉体強化に回す。

 主に、攻撃力、敏捷性、耐久力に割り振るということだ。

 ほとんどの引導師は、その三つに均等に割り振るのだが、桜華の持つ魂力は、あまりにも限られている。そのため、彼女は、耐久力に関しては、完全に捨てていた。

 攻撃と敏捷性。その二つにすべての魂力を使用しているのである。

 結果、桜華の耐久力は一般人と変わらない。容姿通りの華奢な女性と変わらなかった。

 こんな砲撃のような一撃を喰らえば、死は免れなかった。


『桜華さま。私が防御を――』


「ダメだ。餓者髑髏にお前の存在を気付かれる」


 白冴の提言を却下する。


「それに大丈夫だ。こいつの動きはすでに見切った」


 タン、タンッと伸びた腕を駆けあがり、桜華は甲羅の我霊の背後に回った。

 そして、すっと双眸を細める。

 限られた魂力を、極限まで研ぎ澄ましていく。

 それと同時に、携えた真紅の炎が、白金の光へと変わった。


 ――白の位。

 御影家の系譜術である《火尖かせんとう》の極意。


 斬撃の極致といえる光の刃。

 御影家の歴史の中でも、限られた人間のみに辿り着ける境地である。

 それをこの若さで到達した者はいない。魂力の少なさという欠点さえなければ、やはり桜華は、御影家においても最高の天才だった。


「――はあッ!」


 桜華は跳躍する。

 そして最も頑強であろう甲羅に、光の刃を奔らせる!

 袈裟斬りの太刀筋で輝いたそれは、腹部中央にある人面までも斬り裂いた。

 そうして、

 ――ズズズ……。

 巨大な甲羅が、斜めにずり落ちていく。

 数秒後には、地響きと共に地に落ちた。

 両断された甲羅の我霊は、完全に沈黙する。


「これで九体か」


 無念だが、ここまでか。

 桜華は深く嘆息しつつ、左手を空に向けた。

 次いで、掌から光弾を撃ち出す。

 それを九発続けた。夜空に九つの光が輝き、そこに滞在している。

 これは、攻撃用の術ではない。

 引導師ならば、誰でも使えるただの照明の術だ。

 これによって、桜華が討伐した数を黒田信二たちに連絡したのである。


「出来れば、二桁は行きたかったのだがな……」


『仕方がございません。それよりも、桜華さま……』


「ああ。分かっている」


 白冴の言葉に、桜華は頷く。

 空を見上げる。その数瞬後だった。

 ――ふわり、と。

 白い装束ドレスが舞った。

 遥か上空から、森の中に舞い降りたのは黄金の髪の美女だった。


「ごきげんよう」


 そう言って、美女――エリーゼは桜華に会釈をした。


「随分と必死に逃げられますから、追いつくのに苦労いたしましたわ」


「ふん。それは悪かったな」


 桜華は、白金の光刃をエリーゼに向けた。


「だが、安心しろ。ここから先は付きっ切りで相手をしてやる」


「あら。それは光栄ですわ」


 エリーゼは笑う。


「では、月夜の舞踊ダンスと参りましょうか」



       ◆



 その頃。

 ふらふらと、森の中を進む者がいた。


「…………」


 目は虚ろで、時折、口から唾液を零す。

 思考も定まっていない。まるで深い霧の中にいるようだった。

 とても、真っ当な精神状態とは言えない。

 その上、体にも異変があった。

 全身の血流が燃えるように熱く、心臓もまた激しく早鐘を打っているのだ。

 まるで、体の中で得体のしれない何かが暴れているような感覚だった。

 明らかな異常。

 だが、それでも、歩みは止める訳にはいかなかった。

 心が告げているからだ。

 自分は、行かねばならないと。


「……………」


 無言のまま、歩く。

 歩く。歩く。

 ふらりと倒れかけるが、木に手を添えて体を支え直す。

 行かないと。行かないと。

 その意志だけで、歩を進めていた。

 と、その時。

 不意に、空が明るくなった。


 顔を上げる。

 木々の遥か上。星の輝く夜空。

 そこには、星ではない九つの輝きがあった。

 何かの合図だろうか。

 光はすぐには消えず、夜を照らしていた。

 ズキン、と頭が酷く痛む。

 その光を見ていると、心が妙にざわついた。

 急がないといけない。

 一人、森の中を進む彼女は、さらに足を速めた――。

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