第一章 謎は大きく複雑で

第206話 謎は大きく複雑で①

 その日の放課後。

 校内の長い渡り廊下を一人の女生徒が歩いていた。

 身長は百五十六ほどか。

 白いセーラー服の上に、大きな黒いカーディガンを羽織っている。

 手には鞄を持ち、首には赤いチョーカーが巻かれていた。

 年齢的はまだ十五歳であるのだが、豊かな双丘に、黒いタイツで覆われたスラリとした足など、数歳年上に見えるほどに見事なプロポーションの持ち主である。


 そして、その美貌もまた並ではない。

 整った鼻梁と桜色の唇。肩にかかるほどに伸ばした黒髪は烏の濡羽色のようであり、前髪がかかる双眸は黒曜石のようだった。

 無表情なこともあり、まるで人形を思わせる少女だった。


 ――弐妃・杜ノ宮かなた。

 久遠真刃の妃の一人である。


「…………」


 無言のかなたは、最近寄ることが日課になっている場所へと向かっていた。

 彼女の通う私立星那せいなクレストフォルス校には、大きな図書室がある。

 ――いや、校内にこそあるが、そこは図書室と呼ぶよりも、図書館と呼んだ方がいいかもしれない。それほどの蔵書量を誇る場所だった。

 そこがかなたの目的地だった。


 数分ほど歩く。

 と、かなたは図書館の入り口に到着した。

 取っ手を掴み、重厚な扉を開く。

 解放した途端、書物特有の匂いが溢れてきた。

 かなたは構わず入室する。

 まずは図書委員がいる受付にて、PCとデータベースの使用許可の手続きをする。

 アクセス用のQRコードを得てから、かなたは室内に目をやった。

 幾つも列に成って並ぶ書棚。だが、蔵書量はそれだけではない。


 この図書室――いや、図書館は三階まである吹き抜け構造になっていた。

 壁沿いにも並ぶ圧倒的な蔵書は、まるで本の砦のようだった。

 かなたは、数瞬の間だけ本の砦の威容を見上げていたが、すぐにPCが設置されているエリアへと向かった。

 途中で数人の生徒とすれ違う。かなたはPCエリアに到着した。

 整列して並ぶPCの一つの前に自分の鞄を置いた。

 多くの情報が電子化されている時代。図書館にPCがあるのは当然だった。


 しかし、今日、かなたはPCに用はなかった。

 ここ数日で、データベースの情報は漁り尽くしたからだ。

 検索は便利ではあるが、引導師の歴史は極めて長く、国内だけに限定したとしてもその情報は膨大だ。それらすべてをデジタル化するまでにはまだ至っていない。残念ながら、かなたが知りたかった情報――《千怪万妖骸鬼ノ王》に関する情報はさほどなかった。

 今日は、先程のうんざりするような蔵書に当たるつもりだった。

 ただ、それでもPCを借りたのは、


「……赤蛇」


 かなたは、自分の赤いチョーカーに声を掛けた。

 すると、チョーカーは動き出し、かなたの鞄の上に降りて蛇の姿になった。

 赤い蛇のぬいぐるみ。かなたの専属従霊である赤蛇である。


『おう。サンキュな。お嬢』


 赤蛇が言う。

 今日、PCを借りたのは赤蛇のためだった。

 何やら彼も調べ物があるらしい。蛇がPCを扱うなどギョッとするような光景だが、引導師育成校であるこの場所では不自然でもない。

 赤蛇は、器用に尻尾でタッチパネルに触れながら、


『金羊の兄者も調べてるが、折角ここが使えんなら、オレも調べておこうと思ってな』


 そう告げる。


「……何かあったの?」


 かなたは眉をひそめて尋ねるが、赤蛇は『大したことじゃねえ』と答えるだけだ。

 かなたは顔には出さず、内心でムッとした。

 この蛇は、いつも肝心なことは教えてくれない。

 最初から全部話してくれたら、ここで調べ物をする必要もないというのに。

 すると、かなたの心情を読んだのか、


『いやいや。その件は別にこっそり調べることじゃねえだろ』


 尾を揺らして、赤蛇が言う。


『お嬢に肩入れして教えたが、はっきり言っていずれそれは分かることだぞ。お嬢がご主人の真の隷者ドナーになる時に甘えながら尋ねてみろよ。きっと教えてくれるぞ』


「……………」


 かなたは無言だ。

 ただ、その頬は微かに赤らんでいた。


『つうか、最近のご主人の保父さん化を見てると、結局、第二段階も早くてお嬢たちが成人するまで延期になっちまいそうな気がするからなあ』


 と、嘆息する赤蛇。


『お嬢は時々ご主人に甘えてんだろ? オレとしてはそん時に聞いて、第二段階になるまでの間、お嬢が他の妃たちより頭一つ分特別になったらなって感じで教えたんだが?』


 かなたは一瞬、沈黙するが、


「……うるさい」


 そう告げて、背中を向けた。

 確かにあの人に尋ねるのが最も早いだろう。

 かなただけの特権である『お願い』を使えばいいだけの話だ。

 まあ、最近、ポヤポヤとした様子であの人の部屋から出てくる月子をよく見かけるので、あの子も同じ特権を持っているのではないかと少し気がかりなのだが、ともあれ、『お願い』さえすれば、あの人はいつものように困ったような顔をしても教えてくれるかもしれない。


(……だけど)


 かなたは瞳を細めた。

 それをするのは、どうも反則・・のような気がした。


(……私は一人だけ先にあの人の過去に触れようとしている)


 そんな負い目もあるのだ。

 その上で直接聞くなど、もの凄くズルい・・・ような気がした。

 ここは無駄な労力などと言わずに、これも努力であると考えるべきかもしれない。

 自己欺瞞だが、せめてこれぐらいの苦労はすべきだった。

 そうして、かなたはまず二階へと向かった。

 一方、


『生真面目だよな。お嬢は』


 残された赤蛇がそう呟く。が、すぐに、


(……さてと)


 尾を動かして、データベースにアクセスする。

 近くを通った生徒が「うわっ! 蛇?」と驚くが、赤蛇の知性ある動きに「ああ。式神を使ってんのか」と納得した。


(まずは過去の事件から探ってみっか……)


 赤蛇は、黙々と作業を続ける。

 ――先日。

 ご主人が出会ったという黒衣の男。

 自称『悪魔デビル』。


(お嬢には悪りいが、はっきり言ってこの案件の方が重要だからな)


 あの不気味な男の記憶は、長と共有して全従霊に伝わっている。

 存在の不気味さも警戒すべき点ではあるが、何より、あの男が『大門紫子』の名を知っていたことが衝撃的だった。


(紫子嬢ちゃんのことを知ってんのはもう限られてる。お嬢たちにさえ伝えてんのはまだほぼ名前だけだ。どうやって知った?)


 現在、情報収集の要たる金羊は、あらゆるデータにアクセス中だ。

 だが、全力で調査していても未だ有力な情報がないらしい。


(一体、何モンなんだ? 悪魔デビルってのは?)


 ――零妃の名を知る者。

 果たして何者なのか。


 久遠真刃の従霊として。

 そして弐妃の専属従霊としても放置できない相手だ。

 赤蛇は、鋭い眼差しを見せた。

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