第207話 謎は大きく複雑で②

 空気が、重く深く沈んでいく。

 室内の気温が、数度ほど下がっているのではないか。

 そんな錯覚を、山岡辰彦は覚えていた。

 火緋神家の執事である彼は今、火緋神家の本邸、『御前の間』にいた。

 正座をして対峙する相手は、薄い布に囲われた人物。

 火緋神家の当主。御前である。

 山岡は、火緋神の長に報告をしたばかりだった。


『…………』


 御前は沈黙している。

 現在、この場には二人以外誰もいない。

 普段ならば、守護四家の当主たち、もしくは山岡の主人である火緋神巌が参席するのだが、今日は誰もいない。山岡のみが拝謁していた。

 これはかなり異例なことだった。


(……やはり内容が『久遠真刃』に関わることだからか)


 突如現れた、かの人物。

 あの青年の調査は主人たる火緋神巌から依頼はされていたが、その報告をする前に、火緋神の長に呼び出されたのが今回の形だ。

 従者としては、長に前に隠し事は出来ない。

 ましてや、御前さまが実の孫のように寵愛する火緋神燦や蓬莱月子の近況も知りたいという願いでは誤魔化すのも難しい。

 山岡は、極力推測は入れず、事実重視の近況報告をした。

 ただ、その中には、火緋神家の霊園で出会った亡霊の男の話も入っている。

 その男の話を聞いた以降、火緋神の長は沈黙したのだ。


 緊張感に満ちた静寂が続く。

 ――と、


『……その悪魔デビルという男は……』


 おもむろに、御前が沈黙を破った。


『本当に「大門紫子」と言ったのですか?』


「……は」


 山岡は頷く。


「確かに、その名を口にしました」


『……そうですか』


「……御前さま」


 次いで、山岡は尋ねる。


「『紫子』さまとはどなたなのでしょうか? 恐らく大門家縁の方とは思われますが、長きに渡って火緋神家にお仕えした私の記憶にも、そのようなお方はおられませぬ」


『…………』


 御前は、再び沈黙した。

 山岡は不動の姿勢で次の言葉を待つ。


『……紫子は』


 長い沈黙を経て、御前は口を開いた。


『……大門紫子とは、抹消された存在なのです』


「……抹消ですと?」


 物騒な言葉に眉をひそめる山岡。


『古い時代の話です』


 火緋神の長は、淡々と言葉を続ける。


『彼女は禁忌に触れてしまった。いえ。禁忌に愛されたのです。深く愛された結果、命を落とし、凄まじい災禍を引き起こしてしまった……』


 一拍おいて、


『彼女自身には一切の非はありませんでした。ですが、災禍が過ぎ去った後、当時の火緋神家の当主と、大門家の先代当主は、あまりの被害の大きさから、彼女の存在を抹消することに決めたのです。当時の大門家の当主は憤り、強く反対したのですが……』


 薄布の囲いの中で、強く手を握りしめた。


『結局、葬儀さえも行われず、彼女の遺骨は大門家の墓所にも入れませんでした……』


「……そのようなことが……」


 山岡は声を詰まらせた。

 その時、ある推測が思い浮かぶ。


「もしや」


 不敬を承知で、あえて踏み込んでみる。


「久遠さまは、その紫子さまのご血縁の方なのでしょうか?」


『………………』


 火緋神の長は、再び口を閉ざした。

 だが、山岡は確信する。

 この沈黙こそが証明している。

 久遠真刃という人物が、少なくとも火緋神家と縁ある人間であるということを。

 さらに詳しく知りたいところではあるが、これ以上は不敬どころか無礼である。


「失礼しました。出過ぎた質問でございました」


 山岡は深く頭を下げて謝罪する。


『……いえ』


 薄布の囲いの向こうで、火緋神の長はかぶりを振った。


『禁忌事項ゆえにこれ以上は語ることは出来ませんが、大門紫子の魂が大門家の墓所にないという指摘は正しいとも言えます。ですが、その事実を知る悪魔デビルと名乗る男は、非常に危険な人物であると判断します』


 一呼吸入れて、


『重々に警戒をお願いします。必要とあれば火緋神家から増員も出しましょう』


「は。承知しました」


 山岡は首肯する。


『貴方には苦労ばかりかけて申し訳ありません。ですが、どうか、これからも、燦と月子をよろしくお願いいたします』


「御意」


 言って、両の拳を畳につけ、山岡は一礼する。

 そうして山岡は「失礼いたします」と告げて退室した。

 御前の間には、その主だけが残された。

 重い静寂が続く。

 そして、


「……どういうことなの?」


 薄布の囲いの中。

 火緋神家の御前――火緋神杠葉が呟く。

 緋色の着物を纏うその姿は、一族に知られる老人のモノではない。

 それどころか、眩いばかりの美貌を持っていた。

 潤いのある桜色の唇に、少しだけ勝気に見える黒い眼差し。

 歳の頃は十八歳ほどか。絹糸のような黒髪を腰辺りまで伸ばしている。今は和服ゆえにスタイルは隠されているが、露となれば、その美麗さは一流モデルさえも遠く及ばない。


 神に愛されし、永遠に輝く炎雷の巫女。

 それが火緋神杠葉なのである。


「……どうして」


 火の神の巫女は眉をひそめた。


「どうして、紫子の名を知っているの?」


 あの『久遠真刃』が大門家の墓参りに行く理由は分かる。

 杠葉は確信していた。女としての直感だった。

 現代に現れた彼は、間違いなく本物の真刃であると。


 ――何故、彼が……自分が殺したはずの彼がこの時代にいるのか。

 それは未だ分からないが、時を越えた彼が、かつての親友と、愛する少女が眠るであろう墓所に訪れることは自然な流れだった。


(……あの時)


 強く唇を噛む。


(……私は真刃を殺した罪悪感と、神剣との契約の疲労で、二週間も意識を取り戻すことがなかった。その間に紫子の処遇が決まってしまっていた)


 それが今でも悔やまれる。

 目覚めた時。

 大門丈一郎の姿も、紫子の遺体も遺骨もどこになかったのだ。

 当時の当主――杠葉の父を問い質したところ、火緋神家の決定に強く反対した丈一郎は、妹の遺骨を携えて失踪したそうだ。

 その後、杠葉は人を使って探したが、丈一郎とは再会することはなかった。

 風の噂さえも聞いていない。

 紫子の遺骨は、今もどこにあるのか分からなかった。

 だが、その事実を知っているのは、もう自分だけのはずなのだ。

 だというのに。


「……悪魔デビル……」


 眉をしかめる杠葉。

 悪趣味な名前だと思う。自称するなど悪意しか感じない。

 だが、この不可解で不気味な『悪魔デビル』は『大門紫子』のことも『久遠真刃』のことも知っているということだ。


 ――放置していては危険な相手だ。

 杠葉は強くそう感じた。

 ならば、


「……私も」


 杠葉は、膝に置く手を強く握った。


「逃げて閉じ籠ってばかりではいられない。いよいよ覚悟を決めなくてはならないのね」

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