第208話 謎は大きく複雑で③

 都内にある高層建築物マンション・『ホライゾン山崎』。

 その最上階のフォスター邸の自室にて。

 久遠真刃は瞳を閉じて、椅子ワークチェアに座っていた。

 足を組み、ワークデスクには肩肘をついている。

 一見すると眠っているように見えるが、そうではない。

 真刃は、瞑目して報告を聞いていたのだ。


『申し訳ないっス』


 机の上に置かれたスマホが告げる。

 その画面には、がっくりした羊のスタンプがポップアップしている。


『風貌と名前から当たったんスけど、全く情報が掴めなかったっス』


 情報収集の要。

 従霊の一体、金羊がそう報告する。


「……そうか」


 瞳を開いて真刃はそう呟いた。


「……鳥擬きめ」


 吐き捨てる。


「一体何者だ? 何故紫子の名を知っていた」


『……そもそもあの口ぶりでは』


 その時、スマホと同じく机に置かれたペーパーナイフが喋り出した。

 女性の声。ペーパーナイフに宿る従霊・刃鳥だ。


『明らかに真刃さまと紫子さまの間柄を知っていたと思われます』


『そうなんスよね……』


 金羊が嘆息した。


『はっきり言って、それを知っている人間なんて、もうほとんど皆無なんスよ。だから、全然情報が掴めないっス』


「………」


 肩肘をついたまま、真刃は無言だった。

 すると、ボボボと鬼火が現れる。

 骨翼の半透明の猿。従霊の長である猿忌だ。


『情報が掴めぬなら仕方あるまい』


 従霊の長は、スマホを一瞥して金羊に告げる。


『いずれにせよ調査は続けよ。だが、今回の件で改めて感じたぞ』


 猿忌は、主人である真刃に視線を向けた。


『主よ。改めて進言しよう。すべての妃たちに専属従霊を付けるべきだ』


「……専属従霊か」


 真刃は猿忌に目をやった。


「そう言えば、その話が挙がっていたな」


 猿忌は『うむ』と頷く。


『かなたには赤蛇。刀歌には蝶花がすでに専属として付いているが、エルナ、燦、月子の三人には、未だ専属従霊がおらぬ状態だ』


 一拍おいて、


『確かにかの黒衣の男も気にはなるが、いかなる事態になっても対応できるよう、こちらも備えておくべきではないか』


「……ふむ。そうだな」


 真刃は姿勢を変え、指先を組んだ。


「それ自体に異論はない。だが、猿忌よ。かつてドーンタワーで、お前はおかしなことを言っていたな?」


『……うむ』猿忌が首肯する。『五将の話だな』


「ああ。その通りだ」


 真刃も頷いた。


「従霊五将は空席のはず。だが、お前は五将を専属従霊に薦めたな?」


『……ああ。すまぬ』


 猿忌は、深々と主に頭を下げた。


『従霊五将は空席ではないのだ。少なくとも時雫と白冴以外は健在のはずだ』


「……どういうことだ?」


 真刃は眉根を寄せて問うと、猿忌は遠い目をした。

 その眼差しは、百年前に向けられているようだ。


『主の時を止めた後、消滅寸前の時雫が語ったのだ。総力としてはわずかではあるが魂力を残せたと。その力を五将に使いたいと』


 双眸を細める。


『時雫は語った。なにせ、目覚める先は見知らぬ百年後の世界だ。いかなる困難が待ち受けるか分からぬ。ならば護衛として五将だけは残したいと』


 一呼吸入れて、


『時雫はあの場に不在であった白冴を除く五将――赫獅子、狼覇、九龍の三体を復元させた。だが、一度消滅しかけた状態だ。不安定な復元を完全にさせるため、五将たちの身を封じ、龍脈の強い地へと転移させたのだ』


「……初耳だぞ」


 眉をしかめて真刃が言う。

 猿忌は、静かに『すまぬ』と応えた。


『主が目覚め次第、告げるつもりだったのだが……』


 そこで、机に置かれたスマホとペーパーナイフに目をやった。


『初期に生まれた金羊や羽鳥たちが、今代にも適応して優秀であったこと。何より目覚めてすぐにエルナと出会ったのが幸運であった。おかげで主が今代に適用するのに充分な場と機会を確保できたからな。急ぎ五将を目覚めさせる必要がなくなったのだ。ゆえに、状況が落ち着いてから報告するつもりだった』


「……そういうことか」


 真刃は、小さく嘆息した。


「事情は承知した。ならば赫獅子たちは今、どこにおるのだ?」


 と、真刃の問いに、


『うむ。赫獅子は南、九龍は東北、狼覇は西の地にいるはずだが……』


 猿忌は少し困った顔をした。


『詳細な場所までは分からぬ。封印の地を見つけるには手間がかかるやもしれんな』


「……ふむ。そうか……」


 と、真刃が、あごに手をやった、その時だった。

 不意に金羊が震え出した。

 いや、正確には、スマホ本体が震えていた。


『あ。電話っス。ご主人』


「……誰からだ?」


 と、金羊に尋ねたが、答えを聞く前に真刃はスマホの画面に目をやった。

 そこには、とある人物の名が示されていた。


「……あやつか」


 かなり珍しい相手だった。

 というよりも、向こうから連絡が来るのは初めてのことだった。

 ――何があったのか?

 真刃は沈黙した。


『どうするっスか? ご主人?』


 金羊が尋ねてくる。

 スマホは未だ小刻みに震えていた。切れる様子もない。


(……ふむ)


 真刃はあごに手をやった。

 確かに珍しい相手ではある。

 しかし、一応は協力関係にある人物だ。

 数瞬ほど思案してから、真刃は「繋げてくれ」と金羊に告げた。

 ――が、その時。


「ああ。そう言えば……」


 おもむろに思い出し、双眸を鋭く細めた。


「紫子の名を知る者。あの男もまた知っているはずだったな」

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