第6部 『強欲なる都市の王』

プロローグ

第205話 プロローグ

 山林の中にて設けられた霊園。

 多くの墓が連立するその場所を、二人の人物が歩いていた。


 一人は二十代後半ほどに見える青年。

 痩身ながらも、正中線が全く揺るがない鍛え上げられた肉体。

 仏花を手に持った、黒い紳士服スーツ姿の久遠真刃である。

 仕事時と同様に今は前髪を上げている。彼が正装を纏っている証だ。


 もう一人は六十代の老紳士だ。

 灰色の髪と顎髭。手には水の入った桶を携えている。

 真刃より少し遅れて進む彼の名は、山岡辰彦。

 火緋神家の執事であり、今は真刃の元に派遣されている人物だ。

 高齢でありながらも、その足取りは力強い。

 真刃と列を成すと、まさに歴戦の戦士が二人歩いているようだった。


 そしてもう一体、この場に存在する者がいる。

 真刃の傍らに浮かぶ、骨翼を持つ半透明の猿。従霊の長たる猿忌である。

 彼らは、無言で霊園を進んでいた。

 開けた霊園を日が照らし、沈黙の時間が続く。


 ややあって、真刃は足を止めた。

 目的の墓所に辿り着いた……だけではない。

 そこに先客がいたからだ。


『……主よ』


「ああ」


 猿忌の鋭い声に、真刃は頷く。

 ここは多く者が眠る霊園だ。先客がいてもおかしくはない。

 特段に警戒する必要もないだろう。

 しかし、それは相手が真っ当な・・・・存在であればだ。


「……久遠さま」


 山岡も警戒の様子を見せた。


「……山岡」


 真刃は問う。


「あれはお前も知らない相手か?」


「……は」山岡は頷く。「あのような装束を好む方は存じ上げません……」


 困惑した声でそう返した。


「……そうか」


 真刃は足を止めたまま、件の人物に目をやった。


 ――『彼』は一人佇んでいた。

 そこのみに影が落ちたかのように、大門家の墓の前で佇んでいる。

 その姿は、実に異様だった。

 全身を染め上げる色は、ほぼ黒一色。微かに光沢を放つシルクハットに、裾へと徐々に広がる貫頭衣。腕は異様に長い。指先までも長いようで、左腕には、その長い指先で光の灯っていないランタンをぶら下げている。顔は確認できない。貫頭衣の襟が完全に顔を覆っているからだ。その上、梟を思わせるような白い仮面まで被っている。

 霊園であることもあって、まるで死神が立っているようだった。


「……クワワ?」


 おもむろに黒衣の死神が口を開いた。男性の声である。


「……こんな山奥まで折角来たのだ。花を添えなくてもよいのか?」


 仰け反るように頭を大きく傾けて、真刃たちにそう尋ねてくる。

 その仕草も人間離れしていて不気味だ。

 山岡と猿忌は警戒を強めるが、


「……ああ。そうだったな」


 真刃は前へと進んだ。

 黒衣の男に並び、花を添える。

 次いで、山岡から水桶を受け取り、ひしゃくで水を墓にかけた。

 最後に合掌をする。

 山岡や猿忌も、警戒しつつもそれに倣うが、黒衣の男は黙したままだった。

 ややあって、


「……お前は何者だ?」


 視線は墓に向けたまま、真刃は黒衣の男に尋ねた。


「人か? それとも白昼に迷い込んだ死神か?」


「クワワ? 私か?」


 黒衣の男は首を傾げた。長い腕に足元がほとんど見えない貫頭衣のせいか、まるで巨大な鳥が首を傾げたような気配がある。

 それから黒衣の男は歩き出した。真刃は男に目をやった。上半身を左右に大きく揺らす姿もまた鳥を彷彿させる。黒い怪鳥。そんな言葉が真刃の脳裏によぎった。


「私はお前を待っていた。待っていたぞ。久遠真刃」


「……オレを待っていただと?」


 眉根を寄せる真刃。


「今日、オレがここに来ることは、この場にいる者以外は知らぬはずだが?」


「私に知らないことはない」


 黒衣の男は進むことを止めた。真刃から数メートルほど離れたその場で反転する。まず首から回り、次いで体が動く。不気味な反転だった。


「全能ではないが私は全知だ。クワワ。だから私は知っている。例えば、お前がこれから歩むことになる幾千の運命などもだ」


「……胡乱な話を……」


 真刃は、ますます眉をしかめた。

 猿忌と山岡は無言のまま、警戒を強めている。

 すると、黒衣の男は、左腕にランタンを掲げたまま、右腕を大きく広げた。

 死を呼ぶ怪鳥が片翼を広げたような錯覚を抱く。


「これは私からの餞別だ。いや違うか。ここは手土産か? それとも贈り物か? どうも言葉の選択は難しい」


 一拍おいて、


「では、我らの出会いを祝して、いくつかの近き運命の詩を詠おう」


「……貴様の話は脈絡がないな」


 黒衣の男を一瞥して、真刃は言う。


「それもいきなり詩など。鳥は鳥でも金糸雀カナリア気取りなのか?」


 怪鳥のような男の風体から、そんなことを連想する。

 しかし、黒衣の男は首を傾げるだけだ。

 そして、


「これより詠うは三つの輝き」


 宣言通り、高らかに声を上げた。



「暗き淵にて生まれしは孤独なるせつげんの輝き。琥珀の眼差しは火の温もりを望む」


「白から黒へと移りとて、月輪の輝きは不変なり。美しき刃は天地へと向く」


「其は久遠くおんの輝き。天上の紅炎は再び。此度こたび選びしは義か、それとも――」



 そう詠って、黒衣の男は沈黙した。

 真刃も、山岡たちも訝しげな視線を向けるだけだ。


「全くもって意味が分からんな」


 真刃は率直に言った。


「一体、それは何の話だ。鳥擬きよ。説明しろ」


「クワ? 分からなかったのか?」


 黒衣の男は右腕を降ろした。


「この場の趣に合わせてみたのだが、通じぬとは申し訳ない。しかし、詠み手が詩の説明をするのは痛ましいぞ。クワワワ。イタいイタい。そうだな」


 言って、人差し指を立てた。


「代わりに別のことを教えよう。とても分かりやすく。今度こそ全能ではないが全知の私からの贈り物だ」


 クワクワッと鳴く。


「お前は、先程から何を――」


 流石に苛立ちを見せ始めた真刃の台詞を、黒衣の男は指先を動かして遮った。

 真刃は眉をしかめる。

 構わず、黒衣の男は、長く鋭い人差し指を大門家の墓へと向けた。

 そうして、


「そこに」


 男は告げた。




「――『大門だいもん紫子ゆかりこ』の魂はない」




 その台詞を聞いた時。

 真刃は凍り付いた。猿忌は目を見開き、山岡は眉をしかめた。

 が、次の瞬間、

 ――ドンッ!

 石畳を踏み抜くほどの加速で真刃は間合いを詰めた!

 そして刹那にも満たない速さで黒衣の男の襟元を掴む――が、


「――チイッ!」


 舌打ちする。

 掴んだ途端、黒衣の男の体が崩れ始めたからだ。

 まるで石炭で造られた人形のように、ボロボロと崩れ落ちていく。

 しかし、その石炭は地面に落ちる前に、風に流されるように離れていった。

 そうして少し離れた場所で、頭部だけを再構成させ始めた。


「クワッ! 何をするのだ! 酷いぞ!」


 宙に浮かんで肩辺りまで再生させた黒衣の男の首が叫ぶ。


「私は全知だが全能ではないのだ! 貧弱なのだぞ! 死ぬぞ!」


「……黙れ。鳥擬き」


 真刃は、冷淡な声で告げる。


「どうしてその名を知っている? 貴様は何者だ?」


「クワクワクワ……」


 黒衣の男は笑う。

 再構成された頭部が再び崩れ始めていた。


「クワワワ。私が何者か? 私が産まれた時には、私を名付けてくれるはずの我が父はすでに存在していなかった。私に使命だけを残してな。だが、そうだな……」


 黒衣の男は、すぐにも消えそうな体で首を傾げた。


「昔とある少女が、私をある名前で呼んだことがある」


 クワクワッ、とどこか嬉しそうに鳴く。


「彼女は我が父の名を聞き間違えたようだが、私は父の名に似たその呼び名をいたく気に入っている。だからお前にもその名で呼んで欲しい。是非とも親しみを込めて」


「……貴様は徹底して話に脈絡がないな」


 真刃は舌打ちし、再び地を蹴った。

 消える寸前の男を捕えようと手を伸ばすが、




「私は『悪魔デビル』だ」




 ただ、それだけを告げて。

 黒衣の男の姿は、欠片もなく空気に溶け込んでいった。

 真刃の手は空を切った。

 完全に男の気配も消えていた。


「……チィ」


 真刃は、掴み損ねた手を強く握りしめる。

 痛恨の失態だ。

 みすみす逃してしまった。


(……悪魔デビルだと?)


 あの男が名乗った名を、心の中で反芻する。

 尋常な相手ではないのは確かだ。

 一体、何者だったのか。

 だが、それ以上に気になるのは――。


(何故、紫子の名を知っていた? いや、それよりも……)


 視線を大門家の墓に向ける。


(紫子の魂がここにない? では彼女の魂は今、どこにあるというのだ?)


 疑問だけが残る。

 しかし、真刃の疑問に答えてくれる者はどこにもいなかった。

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