第88話 太陽の娘。月の少女④

 火緋神燦。

 彼女は、美少女である。

 それも、十数馬身ぐらい群を抜いた美少女である。


 彼女は一言でいえば、完璧な人間だった。

 年齢は十一歳。来月に十二歳になる。

 引導師の子弟が通う学校の一つ。瑠璃城学園の初等部に通う小学六年生。

 顔立ちは恐ろしく綺麗で、赤みのある瞳は少しだけ釣り目。毛先に行くほどにオレンジ色に見える明るい赤色の髪。それを後ろ髪は垂らしたまま、左右を結いでいる。


 まるで太陽を思わせる少女だった。

 その容姿の美しさも有名だが、それ以上に有名なのはその出自である。


 大家・火緋神家の直系。

 当然ながら強力な系譜術を継承している。

 しかも、その魂力オドの量は、まさに破格だった。


 驚くべきことに、333。

 彼女が『燦』と名付けられた由来とも噂される量である。


 その圧倒的な魂力から繰り出す系譜術で、彼女は校内で無双を誇っていた。

 が、そんな彼女にも悩みはある。

 それは、どうしても親友と見比べてしまう胸だった。

 彼女はまだ子供だ。肌のきめ細かさは抜群だが、スタイルそのものはまだまだ幼い。

 しかし、早いものだと、この年齢ぐらいからスタイルには差が出てくる。

 特に月子を見ていると、そのことを痛感する。


(……むむむ)


 ――何なのだ。月子の、あのたゆんたゆんぶりは。

 しかも、腰はキュッとしまっているし、手足もすらりとしている。

 身長は燦とほとんど変わらないというのに。

 月子は、燦が生涯の相棒として見込んだ相手であり、今や誰よりも気を許した親友だ。

 しかし、彼女の成長ぶりを間近で見ると、どうしても呻いてしまう。


(ううん。月子は特別なのよ。だってハーフだし。おっぱいだって大きな差は今だけよ)


 燦は、自分に言い聞かせる。


(だって、あたしは、あのひいお婆さまの血を引いているんですもの!)


 一族の中でも、自分と月子だけが知る御前さまの――ひいお婆さまのお姿。

 知ったのは偶然。あまりの綺麗さに、女神さまなのかと思ったぐらいだ。

 五年前に亡くなった燦の実母は、結構スレンダーな人であり、お世辞にもあまり大きな方ではなかったが、ひいお婆さまは違っていた。

 そのお胸さまは、まさに母性に満ち溢れていた。

 そして自分は、あのひいお婆さまの血を、色濃く受け継いでいるのである。


(きっと、今に、かくせい遺伝子が、かくせいして大きくなるのよ!)


 そう信じていた。

 実のところ、燦の家系は、御前さまの直系ではない。

 火緋神一族においても誰も知らないことだが、御前さま――火緋神杠葉には、隷者は一人もいない。そもそも、これまでの生涯で愛した男性はただ一人だけなのだ。

 従って、直系の子孫もいない。

 事実としては、燦は杠葉の異母弟の家系になるのだが、彼女はそれを知らなかった。


(うん。あたしもそろそろスポーツブラを卒業かな。Aぐらい買ってみようかな)


 客観的に見ると、まだそこまでのサイズには至っていない。

 けれど、変に自信家な燦はそう考えた。

 と、その時。


「燦ちゃん?」


 おもむろに月子が、前屈みになって燦の顔を覗き込んできた。

 その際に、たゆんっと揺れる親友の胸に、燦は「うぐっ」と呻いた。


「どうかしたの?」


 月子が聞いてくる。燦は「な、何でもないわ」と答えた。

 彼女たちは今、学校の制服姿だった。

 白いワンピース型の制服に赤いランドセル。頭には白いキャスケットを被っており、足にはコントラストを意識したかのように、黒いストッキングを履いている。

 そして二人がいる場所は、『百貨店ブラックストア』の八階だった。

 この『百貨店』の八階は個人経営の店舗が多い。

 総じて不気味な趣の店舗が多く、別の意味で敷居が高そうな店ばかりが並んでいた。けれど癖が強いような掘り出し物は、こういったところにこそあるものなのだ。

 燦と月子は、結構この階の常連客だった。


「今日こそ、月子に合う霊具があるといいわね」


「……うん」


 月子が頷く。が、表情は少し暗い。


「けど、ごめん。私が系譜術クリフォトを待っていないせいで」


「なに言ってるのよ」


 燦は「あはは」と笑った。


「そんなの、今さら気にすることじゃないでしょう。全部承知で、あたしは月子を相棒バディに選んだんだから!」


 初めて月子と出会ったのは、あの海難事故の時だ。

 たまたま家の付き合いで乗り込んだ豪華客船。

 当時は唐突な旅行だったので、不思議に思っていたことを憶えている。まさかあんな大事故に巻き込まれるとは思わなかったが、月子と出会えたのは幸運だったと今でも思う。


 彼女を見た時、ビビビっときた。

 きっと彼女とは生涯の付き合いになる。そんな風に感じたのだ。

 自分で言うのもなんだが、燦の直感力は凄いのだ。


 そうして調べてみて確信した。

 月子の魂力は、燦に次ぐほどに大きかったのである。


(あたしは、今の引導師ボーダーの世界が嫌い)


 燦は、ずっとそう思っていた。

 沢山の隷者を囲って、強さを誇る今の引導師たち。

 一番上の異母兄は八人。二番目と三番目の異母兄は七人。

 厳格な父さえも、事故で亡くなった母も加えて十六人も隷者がいる。

 異性の隷者は、愛人も兼ねていることは燦も理解していた。

 本当に、うんざりするような状況だった。

 だからこそ、月子を誘ったのだ。


(ひいお婆さまが言っていた)


 赤みを帯びる瞳を細める。


(昔の引導師は、互いの信頼のために《魂結びソウル・スナッチ》をしてたって)


 だから、自分もそう在りたい。

 燦は、そう願っていた。

 自分は、父のように隷者を囲うつもりはない。

 また、誰かに魂力を捧げるだけの貯蔵庫になる気もない。

 いずれはあの家も出ていく。

 月子と二人、力と背中を合わせて。

 この世界を生き抜いていくつもりだった。


「月子はあたしの相棒バディよ」


 グッ、と親友の手を掴む。


「だから気にしないで」


 言って、燦は月子の手を掴んだまま走り出した。

 目的地は最近よく通うようになった店舗だ。風変わりなお婆さんが営業している。

 話してみると陽気なお婆さんで、結構掘り出し物を見せてくれた。


「お薦めの店があるの。今日はそこに行きましょう」


「うん。分かった」


 太陽と月の少女は走る。

 そうして五分ほど走って、一つの店舗に到着した。

 不気味な店舗が多い中でも一際不気味な店。古びた呉服店のような趣で、入り口が引き戸になっている店舗だ。

 月子は少し雰囲気に呑まれて腰が引けるが、燦はニカっと笑って。


「ここだよ。入ろ」


 そう告げて、引き戸を開けた。

 内装は呉服店……というよりも、雑貨屋のような趣だった。

 傘建ての中には乱雑に突き立てられた刀剣。棚には統一性のない薬品。店内の中央には四角い大きな台座があり、その上に様々な品が値札を付けて放置されている。

 そして店の奥には、座布団に座る店主であるお婆さんだけ……のはずだったのだが、どうやら今日は先客もいたようだ。


 黒い髪の青年である。灰色のシャツに、シックな黒いジャケットを着込んだ、至って普通の姿の青年。傍らには式神なのだろうか、骨の翼を生やした猿の霊が浮いている。


「いらっしゃい。お嬢ちゃん。今日も来てくれたんだね」


 店主のお婆さんが、にこやかに告げる。

 それに興味を抱いたのか、青年もこちらに振り返った。

 予想よりも整った顔立ちではあったが、やはり平凡さが印象的な青年だった。

 ただ、燦はその時、トクン、と鼓動が跳ねたのを感じた。


(……え?)


 困惑する。

 再び青年の顔を見てみるが、知った顔ではない。

 ただ、どうしようもなく見入ってしまった。


「……燦ちゃん?」


 月子が燦の手を握ったまま、眉根を寄せた。

 一方、青年もまた目を見開いて、燦を凝視していた。

 手に商品らしき布を持ったまま、完全に固まっていた。

 どうも、かなり驚いているようだった。

 また、式神の猿の方も、燦を見て唖然としていた。


 奇妙な静寂が続く。

 そうしてややあって、燦はこう呟いた。


「……おじさん。誰?」


 ――と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る