第31話 千怪万妖骸鬼ノ王③
巨大な女の我霊は、失った右腕を屍鬼どもで補った。
屍鬼どもが女の体に這い上がって、右腕と成っていく。だが、再生や復元ではない。屍鬼どもの肉体を数珠繋ぎのように融合させて、右腕の代わりにしているだけだ。
次々と繋がれていく屍鬼ども。異形の右腕はさらに伸び、五指が鞭状に成った。
巨大な女の我霊は、無造作に右腕を振るった。
――ガガガガガッ!
壁を、フロアを削って、五条の屍鞭が襲い来る!
真刃と、ゴーシュは、それぞれ跳んだ。
「やってくれるな」「……チィ」
しかし、宙空で二人は眉をひそめた。
屍鞭をかわすことは難しくない。だが、その攻撃は群がる屍鬼どもも巻き込んだのだ。
薙ぎ払われた屍鬼どもは粉砕。肉片が礫と成って、真刃たちに襲い掛かる!
「――ぬゥん!」
ゴーシュは拳圧で、真刃は無言のまま、突撃槍から無数の刃を撃ち出して凌いだ。
二人は鋼のフロアに着地した。直後、屍鬼どもが群がってくる。
「――ふ」
小さな呼気と共に、真刃は加速した。屍鬼の一体の胴体を貫く。さらに突き刺したまま他の数体も屍鬼も巻き込んだ。まるで車にでもはねられるように屍鬼どもが宙を飛ぶ。
一方、ゴーシュは屍鬼どもには、目もくれない。
狙いは首魁。巨大な女の我霊だ。
右の正拳を撃ち出す。それだけで大気が歪み、屍鬼どもは吹き飛ばされた。
暴風のような拳圧は、女の我霊にドンッと直撃するが、
――ギロリ、と。
わずかに仰け反っただけで、恨みの籠もった双眸で睨み付けてくる。
「やはり、この程度では通じんか」
ゴーシュは、舌打ちする。
「流石は危険度S」真刃は双眸を細める。「千年我霊に次ぐだけのことはあるな」
言って、真刃は加速した。フロアを疾走し、そのまま壁を駆け上がる。勢いは殺さず壁を走る。目指す場所は首魁の我霊の背後。死角だ。
「がああああああああッッ!」
しかし、首魁の我霊は、それを見過ごしたりはしない。五条の屍鞭が真刃の後を追った。
壁を削り、屍鞭が唸る。真刃はさらに加速した。
壁面を力強く疾走。追いすがる屍鞭を瞬く間に引き離す。そして死角にまで移動すると、突撃槍を構えて跳躍する!
――が、
「――なに!?」
真刃は大きく目を瞠った。
振り向いた女の我霊。その横顔。さらには半身に、覆い尽くすほどの蛆が湧いていたのだ。
しかも蛆は瞬時に羽化。蠅に成ると一斉に羽音を鳴らした。
「――グウッ!」
脳を直接揺さぶるような不協和音に、真刃は険しい顔を見せた。
ぐらり、と姿勢まで崩す。と、その直後のことだった。
『――真刃さまッ!』
羽鳥が叫ぶ。大量の屍鬼どもが、天井から真刃に向かって落ちてきていたのだ。
まるで屍の大瀑布だ。宙空にいた真刃には避けようもない。
真刃はそのまま屍鬼どもごと、フロアに叩きつけられた! 落下の衝撃で五体が粉砕される屍鬼も多数いたが、少しでも無事な屍鬼は、次々と真刃に覆い被さっていった。
そうして瞬く間に巨大な屍の繭と化す。
「油断したな。久遠。助けはせんぞ。だが」
仮面の下で、険しく眉間を寄せてゴーシュが呻く。
「まるで
羽音は未だ鳴り止まない。全身を戦闘装束で覆ったゴーシュでも芯に響く音だ。
そんな中、半身を蠅に覆われた女の我霊は、ニタリと笑った。
――化粧を褒めて欲しい夫人のように。
「存外、生前は美人だったようだが、今のお前は俺の好みではないな」
そう嘯くが、さほど余裕もなかった。このままでは羽音に殺されかねない。
「行くぞ! 蠅の女王!」
ゴーシュは足を広げ、両手を拝むように重ね合わせた。
――コオオオオ、と。
息を吸う。
途端、ゴーシュの全身が、さらに一回り、大きくバンプアップされた。
全身に記された黄金の紋様も、輝きを増していく。魂力も増大していく。
《魂結び》で従えた配下たち。そして十三人の愛する女たちから魂力を徴収しているのだ。
数秒後、ゴーシュの肉体は、黄金の光に覆われていた。
明らかなパワーアップ。危険を察した蠅の女王は奇声を上げ、五条の屍鞭を振るった。
――が、
――ドンッ!
次の瞬間、ゴーシュは光の軌跡を残して跳躍。蠅の女王の懐に入る。
そして――。
――ズンッ!
拳圧を腹部に叩きつけた。ベコンッ、と女王の腹が大きく陥没する。
先程までの攻撃とは違う。
跳ね上がる術威。個人では決して得られない規模の魂力。
これこそが《魂結び》の真骨頂だった。
「ッ!? がああああああああああッ!」
絶叫を上げる蠅の女王。だが、ゴーシュは容赦しない。
さらにもう一撃。続けて顎部に強烈なアッパーを繰り出した。
もはや、体のサイズ差など意味を成さない。一撃一つ一つが巨拳だった。
「悪いが、早々にトドメを刺させてもらうぞ」
いかに優勢であっても、羽音が続く限り、形勢がいつ逆転してもおかしくない。
今すぐ決着をつけるべきだった。
ゴーシュは、右の拳を固めた。黄金の紋様もさらに輝く。
だが、蠅の女王も、みすみす黙ってはいなかった。
「がああああああああああああああッ!」
――バチンッ!
柏手を打つように、ゴーシュの体を両手で挟み込んだのである。
「……チィ! 悪あがきを!」
容易く圧殺されるようなゴーシュではないが、それでも女王の剛力は凄まじい。
巨大な手と、それを開こうとするゴーシュの力は拮抗した。
それを好機と察したか、屍鬼どもが、女王の腕をよじ登って集まってくる。
さらには蠅たちまで女王の体から離れ、ゴーシュの周囲に集まってきた。
(くそ! 俺も覆い潰す気か!)
流石に焦りを抱く。
――と、その時だった。
『……意外と追い込まれておるな、ゴーシュ=フォスター』
不意に、くぐもった声が響く。
そして次の瞬間、屍鬼の繭が爆散した。
「――なに!」
ゴーシュが息を吞む。屍鬼どもを吹き飛ばし、真刃は立っていた。
――ただし、その姿は、屍鬼に呑み込まれる前と随分と違っていたが。
真刃は、全身に白銀色の鎧を纏っていた。
体格は一回り大きく。右腕の突撃槍はそのままに、左腕には翼のような盾。鎧は羽を模している。頭部や顔まで完全に覆う完全武装の騎士の姿だった。
「――貴様!」
角度的には見えないが、真刃の圧が増したことを感じ取り、ゴーシュが舌打ちする。
恐らく、何かしらの切り札を使ったのだろう。
――まずい! 自分は今、動けない!
『己は負けず嫌いなのだ。勝たせてもらうぞ』
真刃はそう呟くと、爆発にも似た音がするほどに強くフロアを蹴り付けて跳躍する!
ズンッ、と壁に一旦着地。そして――。
「ぐああああぁあああああああああああああああああぁあああああああッッ!」
かつてない危機を察し、蠅の女王が咆哮を上げた。
その直後、蠅たちが羽音を立てる。壁に亀裂を走らせるほどの音圧。音の防壁だ。
しかし、真刃は、それを意にも介さない。
――ただ、真っ直ぐに。
全身を一本の槍に変えて飛翔する!
そうして数瞬後、蠅の女王は、目を剥いた。
同時に鎧を纏った真刃が、火線を引いて鋼のフロアに着地する。
一拍の間。
蠅の女王が、呆然と自分の胸元を見やる。そこには、大穴が――いや、そこに至る軌道上のすべてのものに、大穴が空けられていた。
「……――があぁ、があああああァあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ」
大量の吐血を撒き散らして、蠅の女王の体躯は、ぐらりと揺れた。
そして地響きを立てて、フロアに倒れ込む。巨体は徐々に縮小していった。そして十数秒後には一人の女の死体となった。酷く腐乱した女性の遺体だ。ただ、身に纏う衣装は、古くはあるがかなり上質なものだった。生前は、この館の主人だったのかもしれない。
それと同時に、蠅は次々と落ち、屍鬼どもも崩れ落ちた。元々首魁の我霊に駒として扱われていただけの知性もない下級我霊だ。首魁を失ったことで糸が切れてしまったようだ。
「くそ、してやられたか」
我霊の手から解放されたゴーシュが、フロアに片膝を突いて舌打ちする。
この戦い。勝敗を決するのは、どちらが先に首魁を倒すかであった。
『これで終わったな』と、告げるのは真刃だ。
全身鎧は解いていない。ゴーシュは、パンパンと足を払って立ち上がった。
「貴様、その姿はなんだ?」
『特攻形態という奴だ。まあ、己の切り札の一つだな。最初からお前に見せては警戒されると思っていたが、屍鬼どもの繭は逆に好機だったな』
「……姑息な手を使うじゃないか」
ゴーシュは肩を竦めて、皮肉気な笑みを零す。
「まあ、いいさ。ともあれ、この勝負……」
ゴーシュは、ゆっくりと真刃に近付いた。
そして、とても自然な動作で、真刃の右脇腹に、コツンと拳を当てた。
直後、
――ズンッ!
衝撃が走る。真刃は体をくの字にさせて吹き飛んだ。
壁にぶつかり、轟音が響く。濛々と煙が上がった。
「かなたはくれてやるよ。満足するまで抱き潰すなり、仕込むなり、好きに楽しめばいい。だがな、勝ちだけは譲る気はない」
拳を突き出した姿勢で、ゴーシュは笑う。
「何故なら、俺も相当な負けず嫌いだからだ」
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