第30話 千怪万妖骸鬼ノ王②

(なんてことを!)


 エルナが唇を強く嚙む。


「――猿忌!」


 そして、叫ぶ。


「戻って! 逃げるのならお師さまも!」


『不要だ』


 さらに加速して、猿忌は答える。


『あの場で危険なのは、エルナと、かなたのみ。主の心配は不要だ』


「――けど!」


 エルナは、黒鉄の虎の背中から飛び出しているハンドルを強く握った。

 これが最善手なのは分かっている。

 あの場にいれば、自分とかなたは確実に死ぬことも。

 けれど――。


(――真刃さん!)


 胸が強く痛む。自分だけでなく、まるでまであるかのように。

 強く、とても強く心が痛む。


「あの数なんだよ! 猿忌もいないし、いくらお師さまでも!」


『ジャハハ! 心配ねえよ、銀髪嬢ちゃん!』


「え?」


 いきなり見知らぬ声が聞こえ、エルナは振り向いた。

 すると、そこには赤い蛇がいた。いつしか彼女の肩の上にいた。


「うわ、害獣。駆除しないと」


 むんず、と掴んで首をへし折ろうとする。


『ヒグッ!? なんでお前らは、蛇をすぐ駆除しようとすんだよ!?』


 蛇はもがいて、どうにかエルナの手から逃れると、後ろに座るかなたの肩の上に避難した。

 エルナは、かなたを見据えて尋ねてみた。


「あなたは……お師さまと、それと一応お兄さまのことが心配じゃないの?」


 かなたは一拍置いて。


「ご当主さまは一族を率いる引導師ボーダーです。私ごときとは次元が違います。たとえ相手が危険度Sでも遅れは取られないでしょう。そして――」


 そこで、少女はわずかに目を伏せた。


「真刃さまも大丈夫です。これからのことを、沢山のことを約束してくれましたから」


「……むむ」エルナは頬を膨らませた。「むむむっ!」


(言ったけど! 確かに今回はかなたを最優先にしていいって言ったけど!)


 約束とは、一体何なのか。

 非常に気になる。

 そもそも自分が目を離した隙に、真刃と本当に『事』があったのか。

 ――気になる! 気になる! 気になるッ!

 しかし今は、


『……エルナ。かなた。そして新たなる弟よ』


『オッス。赤蛇だ。よろしくな、猿忌の兄者』


『うむ。よろしく頼む。だが、エルナ、かなたよ。気を引き締めろ。そろそろ来るぞ』


 猿忌の警告にエルナは緊張した面持ちに。かなたは表情を完全に消した。

 少女二人を乗せて廊下を走る黒鉄の虎。その進路方向に、無数の屍鬼が現れたのだ。

 壁から、天井から、床から。

 ぞわぞわ、と無尽蔵に這い出てくる。


『――先制する』


 猿忌がそう告げると、アギトを開き、咆哮を上げた。

 爆音の衝撃は、屍鬼どもを吹き飛ばし、道を開く――が、


「ぐるルウ……」「がああああああッ!」


 屍鬼どもは怯まない。恐怖などのような上等な感情は持っていない。

 あるのは食欲と情欲だけだ。

 黒鉄の虎が背負う極上の獲物二人に、屍鬼どもは襲い掛かった!


「――クッ!」


 エルナは瞬時に思考を応戦に切り替えた。

 羽衣を龍頭の棍に編み直し、強く握りしめる。


『――失せろ! 屍鬼ども!』


 再び猿忌が咆哮で群れを吹き飛ばすが、それでも場所を選ばず現れ続ける屍鬼どもを完全に払うことは出来ない。取りこぼした敵をエルナは紫龍の棍で迎え撃った。


龍頭ド・ラ・ゴ・ン……」


 両手で棍を構えたエルナは、龍頭を大きく振りかぶる。

 そして、


絶倒ハンマ―――ッ!」


 ――ズドンッ!

 壁、天井、床と、周囲を巻き込んで、ピンボールのように吹き飛んでいく屍鬼。

 おかげで道は少し開けたが、とにかく数が圧倒的に多い。壁、天井、廊下。身体の一部だけでも屍鬼の群れが這い出てくる。蠢く屍の道。まるで巨大な生物の腹の中のようだ。

 エルナはその後も龍頭を振るい続けるが、まったくキリがなかった。


「かなた!」


 エルナが叫ぶ。


「手伝って! 《裁断チョッパー》はどうしたの!」


「《裁断チョッパー》ではありません。《断裁リッパー》です」


 かなたは、ハサミこそ巨大化させていたが、振るえずにいた。

 そこでエルナは気付く。

 すでに、かなたが自分の状態を理解していることを。


(そっか! 下手に敵を倒すと、この子は我霊に取り憑かれるかもしれないんだ!)


「……申し訳ありません。お嬢さま。私は――」


 と、かなたが謝罪し、説明しようとした時だった。


「……が、あ!」


 突如、天井から振り子のように一体の屍鬼が現れ、かなたに襲い掛かったのである。

 かなたは反射的にハサミを構えるが、そこで硬直してしまった。

 髪が長い。女の我霊だ。


「ッ!? かなたッ!?」


 エルナが振り返り、愕然とした表情で目を見開いた。

 ――弐妃を助けねば! だが、猿忌の上では思うように動けない。

 幾つも欠けた屍鬼の歯は、かなたの喉元へと迫っていた。


「――かなた!」


 エルナが手を伸ばして叫ぶ。と、


『大丈夫だ! お嬢!』


 その時、赤い蛇が吠えた。


『お嬢の我は強くなっている! 思い出すんだ! ご主人との約束を! 我が儘を言いまくったあん時の感情を! そんで!』


 蛇は、屍鬼の鼻っ面に鞭のようにしなる頭突きを喰らわせて、告げた。


『思い浮かべろ! 未来を! ご主人の腕の中で存分に愛される未来をな! 欲しいんだろ! 手に入れてえんだろ! そんな未来をさ!』


 シン、とした直後、


「~~~~~っっ!」


 未来を思い浮かべてしまったかなたは、顔を真っ赤にしつつも、ハサミを振るった。

 もはや反射的な行為だ。赤い蛇の一撃に怯んでいた屍鬼の首が宙に飛んで床に転げ落ちる。

 かなたは呆然と切り裂いた死体に目をやるが、我霊に動きはない。

 かなたに取り憑く様子もなかった。


『――おお! やったな、お嬢!』


 赤蛇が『ジャハハ!』と笑う。しかし、かなたには何も答えられない。ハサミを握りしめたまま、耳まで真っ赤になって俯いてしまった。

 ちなみにエルナも顔を真っ赤にして、俯いていた。


(は、はうゥ……)


 エルナもまた、自分の場合での、そんな未来を思い浮かべてしまったからだ。

 とても具体的に。詳細に。

 真刃に望まれるまま、愛される未来を。

 屍鬼の群れを前にしても、棍を両手で抱き寄せ、大きな胸を両脇で潰して呻いている。

 すでに色々と覚悟していても、根っこでは、まだまだ無垢なエルナだった。

 そして当然、かなたの方も。

 少女たちは互いの顔をまじまじと見つめてから、瞳を逸らして黙り込んでしまった。


『恥じらう気持ちは大事だが、二人とも少しは手伝え』


 猿忌が呆れた口調で語り、屍鬼の群れを咆哮で吹き飛ばした。

 その時、赤い蛇が笑う。


『ジャハハ! まあ、オレが近くにいる限り、まず取り憑かれることはねえんだけどな! なんせ、オレってそのお守り能力のためだけに生み出されたんだし!』


「……え?」エルナが目を丸くする。「あなた、そんな能力があったの?」


 そして、


「……どうして、それを先に告げないの?」


 この蛇、やっぱり首を切り落としてやろうか。

 本気でそう思う、かなただった。

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