第74話 怪物たちは躍る⑧

 ――この戦いは、一体何なのだろうか……。


 刀歌は唖然とした表情で、その光景に見入っていた。

 視界に映るのは、暗い闇の中に輝く百三十の灯火。

 その中央に佇む青年の姿だ。

 そして彼の前には、映画館のスクリーンのように外の光景が映し出されている。

 氷河を従えた巨大な怪猫と対峙する光景だ。


(……これは、本当に引導師の術、なのか?)


 思わず、それを疑った。

 正直、こんな規模の戦いなど聞いたこともない。

 もはや人間同士の戦いとは思えない。完全に怪獣決戦だ。

 と、その時、


 ――ガギンッッ!

 怪猫が、氷の牙を巨獣の右腕に突き立てた!


 青年が、わずかに眉をしかめた。

 顔色は変えないが、微かに疲労の様子がある。


「主君!」


 刀歌が駆け寄ろうとすると、灯火たちがすうっと動き、道を開いた。

 刀歌は少し驚いて目を瞬かせるが、すぐに青年の元に駆け寄った。


「主君! 大丈夫か!」


 青年――真刃に、声をかけた。

 真刃は「ああ」と言葉だけを返す。

 刀歌は、スクリーンを一瞥した。ここから見える巨獣の腕には、黒い鎖が突き出ていた。

 初めて見るが、恐らくあれは《制約》の鎖だ。


「主君、あなたは《隷属誓文》の束縛を受けているのか?」


 刀歌が、気遣う声でそう尋ねると、


「まあな」


 真刃は、苦笑を浮かべた。


「過去の残影のようなものだ。三体以上の従霊を戦闘に加えるとこうなるのだが……」


 双眸を細める。

 ――《隷属誓文》の束縛は、決して甘くはない。

 例えるのならば、鉛の甲冑を全身に着けられ、深海に沈められていくようなものだ。

 襲い来るのは、立つことも困難なほどの重圧である。

 でなければ《制約》の意味がない。

 だが、真刃は、それほどの重圧を受けてもなお、苦悶の表情は一切面には出さなかった。

 代わりに不敵な笑みを浮かべて、こう言い切った。


「大した問題ではない」


 ――と。


「……主君」


 刀歌は、彼の顔を見上げた。

 それから俯き、ただ見ているしかない自分に歯噛みする。と、


「そんな顔をするな」


 不意に、真刃が刀歌のあごに指先を触れた。

 次いで、彼女の顔を少し上げる。刀歌は思わず頬を赤く染めた。


「お前は……」


 真刃は、微笑んだ。


「生きている。今も生きて、己の傍にいてくれている」


 そう呟く。

 かつて守れなかった少女のことを胸に抱いて。


「それだけで、己は充分だ」


 言って、刀歌の頬に触れた。


「……主君」


 刀歌は、彼の手に自分の手を乗せた。


「……真刃、さま」


 潤んだ瞳でそう呟く刀歌に、真刃は苦笑いを見せた。


「さま付けはいらん。かなたにも言っているのだがな」


 小さく嘆息して、視線をスクリーンに戻した。

 そこには、自分の化身の腕に喰らいつく怪猫の威容があった。


「さて」


 息を吐く。


「そろそろ決着をつけるか。小僧」



       ◆



『………ッ!』


 怪猫――八夜は、目を剥いた。

 巨獣の右腕に突き立てていた牙を、強引に引き抜かれたのだ。

 左腕で首を掴まれ、力尽くで持ち上げられたのである。

 しかも、片腕で軽々と放り投げられた。

 怪猫は巨体を空中で翻すと、ズズンッと地面を揺らして着地した。

 損傷はない。しかし――。


「参ったね。これは」


 怪猫の体内。氷に囲まれた空間で八夜は呟き、頬を掻いた。

 流石にもう察し始めている。


「多分、勝てないよね。これって」


 奇しくも、真刃と同じようなスクリーンに目をやって「う~ん」と唸る。

 そこには、灼岩の巨獣が、ゆっくりと近づいてくる姿が映っていた。


「《制約》つきでこの強さなのかぁ……」


 八夜は嘆息した。

 自分の象徴シンボル。《永朽封棺雹魔エイキュウフウカンヒョウマノ猫》の魂力オドは、4000を超える。

 自分自身の魂力に加えて、二十六人の隷者たちの魂力を収束させた結晶だ。

 だというのに、完全に力負けしてしまっている。

 あの灼岩の巨獣は、それ以上の魂力を有しているということだった。


「《千怪万妖骸鬼ノ王》は死者の魂力まで徴収できるから、事実上、魂力に上限がないってお父さんは言ってたけど、本当だったんだ」


 事実を目の当たりにすると何とも言えない気分になる。


「う~ん、このままだと勝てないか。けど、ボクも負ける訳にはいかないし」


 八夜は腕を組んで、頭を悩ませた。

 自分は死ぬ訳にはいかない。

 少し前までなら、このまま自分の限界を試すように強者に挑むのも良かった。それで死んでも構わない。今が楽しければそれで良かった。


 けれど、今はダメだ。

 今の自分には七奈がいる。


 彼女を幸せにするためにも、自分は生きなければならないのだ。


「……降参、ってありかな?」


 それも考える。あのお兄さんは話が通じそうな人だった。象徴化身を消して、ひたすら土下座でもすれば許してくれるような気もする。

 しかし、


「そうなると、きっと七奈ちゃんは、お兄さんのお嫁さんにされるよね」


 長女の二葉は無理だ。父は何だかんだで自分の女を離しはしない。

 残る可能性としては、次女である六炉。現在、行方不明中の異母姉――六炉がいれば、彼女が花嫁になることだろう。年齢的にも性格的にも、あのお兄さんに合いそうだ。むしろ姉の方こそが、あのお兄さんを気に入るかも知れない。姉はとにかく強い男が好みで、そのせいで一人も異性の隷者がいないという困った人だから。

 そんな性格のせいか、彼女は天堂院家のやり方に反発して、もう一年以上もどこにいるのかも分からない状況だった。ここで都合よく戻ってくるとも思えない。

 やはり、七奈が花嫁にされる可能性が濃厚だった。


「やっぱり、頑張るしかないかぁ」


 勝ち目は薄くとも、ここは退けないところだった。

 八夜は、双眸を細めて、魂力と集中力を研ぎ澄まさせていく。

 そうして――。


 ――フオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ……。


 怪猫が天を見上げて、雄たけびとも鳴き声ともとれる声を上げた。

 すると、


 ――ゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!

 雹を孕んだ巨大な竜巻が、巨獣を包み込んだ!

 死と氷の猛威の前に、さしもの巨獣も束縛される。


『行くよ! お兄さん!』


 そこへ、怪猫は切り札を切った。

 指先を開き、両手を三角状に触れさせる。


『――歌って踊れ! 雪華の子たち!』


 八夜は歌う。世界を満たす魂力に語り掛ける。


『夜まで遊ぼう! 火を消して! 光の輪っかで踊って遊ぼう!』


 巨獣の頭上に、巨大なオーロラが出現する。


『眠らない! 止まらない! 遊びの時間は終わらない! ボクらの時間は終わらない!』


 怪猫は祈るように、両手を重ねた。吹雪はさらに吹き荒れる。

 そして、


『凍り付け! すべての鼓動! 《六天封棺エンドレス・ロスト・コフィン》ッ!』


 八夜は叫んだ。

 途端、巨獣の六方向に、巨大な氷柱が立ち上がった。

 各自、六角柱の六分の一を形作った水晶のような氷柱だ。

 それからは直立したまま、巨獣の元へと突き進む!

 そして巨獣の体を覆って一つの柱と化した。


 ――《六天封棺エンドレス・ロスト・コフィン》。


 敵が朽ちてもなお、開かれることのない永久の棺。

 八夜の最強の術だった。しかも、今回は言霊による術威の強化まで行った。その内部は絶対零度にも近いはずだ。生物が生存できる環境ではないはずだ。

 ズズンッ、と怪猫が両手を地面につく。

 八夜は、珍しく真剣な面持ちで氷の棺を見据えていた。

 これが効かなければ、もう打つ手は――。

 と、その時、


 ――ズシンッッ!

 世界を揺らすほどの重い音が響く。

 それは、何度も続いた。


「……あらら」


 八夜は、頬に冷たい汗を流した。


「……本当に化け物だね。お兄さん」


 そう呟くと同時に、ガゴォンッと氷の棺が、灼岩の巨拳に突き破られた。

 氷棺の一部が溶解する。

 突き出た巨拳は紅く輝き、溶岩流を滴り落としていた。

 ビキビキッ、と氷棺に亀裂が奔る。

 そうして遂に、灼岩の巨獣がその姿を現した。

 全身の溶岩流を発光させた異様な姿だ。

 しかし、流石に無傷ではいられなかったのだろう。

 その左腕は、脇腹から首筋に至る範囲まで完全に凍結していた。


 ――ズズンッと。

 灼岩の巨獣が一歩踏み出す。氷結した左腕に《制約》の鎖が強く絡みつく。その圧力に耐えきれなくなり、左腕は氷片を撒き散らしながら、崩れ落ちた。


『……コトダマカ。コンダイ二モ、マダ、ツカイテガイタトハナ』


 片腕となった巨獣が、語る。


『タイシタモノダッタ。アト、イップンモタセレバ、オマエノ、カチダッタ』


『……ヤハハ、一分か』


 八夜は、苦笑を浮かべた。


『流石にそれは長すぎるかな』


『……ソウカ』


 巨獣は呟く。

 そして、


『デハ、コンドハ、コチラノバンダナ』


 そう告げる。直後、巨獣の足元から、溶岩流が全方へと奔り抜けた。

 大地が揺らぎ、灼岩が浮き上がる。さらには数えきれない灼熱の巨刃が乱立した。

 世界は、氷河から灼熱地獄へと完全に上書きされた。

 残された氷塊は、氷の怪猫だけとなった。

 ズズン、と巨獣が大地を踏みしめた。



「――地より出ずる灼熱よ」



 そして、骸鬼王の中で真刃が言霊を紡ぎ出す。



「其は、怒りなり。

 天の理に縛られし、人の子の怒りなり」



 巨獣の胸部の火口が、赤く輝き始めた。

 真刃の言霊は、朗々と続く。



「其は、悪鬼に非ず。

 其は、天魔に非ず。

 其は、人界の憤怒なり」



 真刃の言霊の声は、八夜には聞こえない。

 だが、それでも危機を察するには充分な状況だった。

 少年は、小さく息をついた。



「刮目せよ。歓喜せよ。

 時は来たれり。

 今こそ、火と大地の王が、天上へと攻め入らん」



 真刃は、静かな眼差しで、怪猫を見据えた。



「――災いよ。在れ」



 全身に這う溶岩流が脈打つように、さらに赤く発光して鳴動し始める。

 胸部からも劫火が溢れ出す。まるで大噴火の前兆のようだった。

 八夜は悟る。これはとんでもない攻撃が来るなと。


(まあ、仕方がないか)


 肩を竦める。

 全力を尽くしてなお、届かなかった。

 なら、この結末も悪くない。


「ごめんね、七奈ちゃん。バイバイ」


 愛する少女に、謝罪と別れの言葉を呟く。

 その瞬間だった。


「―――え」


 八夜は、目を剥いた。

 怪猫内のスクリーン。その端に想定外の人物を見つけたからだ。


「――七奈ちゃん!」


 それは、自分の式神の肩に乗る七奈の姿だった。

 彼女は必死の表情で、真っ直ぐ八夜の元へと向かっていた。


「――ダメだ! こっちに来ちゃダメだ! 七奈ちゃん!」


 片手を突き出して、八夜が叫ぶ。

 ――と、その直後だった。



『――《サイカ災禍ホウテン崩天》――』



 巨獣が、厳かに、その術の名を告げた。

 灼熱の大地から光が溢れ出し、次の瞬間には、巨獣を中心に、天にも届く巨大な炎柱が立ち昇った。猛烈な熱波が吹き荒れ、怪猫の氷の体が溶解し始める。そして、炎柱は全方位へと膨れ上がり、視界のすべてを覆った。

 迫りくる『死』の猛威に、八夜は茫然とする。

 そうして、少年が選んだ選択は――……。

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