第三章 帰ってきた幼馴染

第168話 帰ってきた幼馴染①

 某日。アメリカ合衆国にある、とある空港。

 その場所から、いま一人の少年が旅立とうとしていた。

 年の頃は十五、六歳ぐらいか。

 精悍な顔つきに、逆立つ浅黄色の髪。百八十前半ほどの大柄な体躯。そして、何よりも褐色の肌が印象的な少年だ。


「さて、と」


 トランクケースを片手に、少年は空港のエントランスを進むと、


「――ゴウト!」


 不意に後ろから、声を掛けられた。

 足を止めて、少年は振り向いた。

 すると、そこには一人の少女がいた。

 年齢は十五歳ほどか。腰まで伸ばした金の髪に、スレンダーな肢体。清楚な白い制服がよく似合う、碧眼の美しい少女だった。

 少年は笑う。


「おう。セイラか」


「……本当に帰るの?」


「ああ」


 少年は頷く。


「あの国には、待たせてる奴もいるしな」


「…………」


 少女――セイラは無言だ。少し俯き、キュッと唇を噛んでいる。

 この少年が、この国に来たのは一年前。

 交換留学生として、やって来たのだ。

 セイラの家は、彼のホームステイ先として面倒をみていた。


「あなたは最低よ」


 ぶすっとした表情で、セイラは言う。


「たった一ヶ月で、何回、私の入浴とかち合ったのよ」


「いや、悪りい」


 ボリボリ、と少年は頭をかいた。


「気をつけてはいたんだけどな」


「気をつけてて、どうしてかち合うのよ……」


 セイラは、深々と嘆息した。

 この少年は、本当に自由奔放な人間だった。

 危ない場所でも、ズンズン突き進んでいくところがある。

 生まれながらのトラブルメーカーなのだ。

 その結果、あの危険なチームにも――。


「よう! ゴウト!」


 その時。

 三人目の声が割り込んできた。

 セイラが、ムッとした様子で振り返る。

 そこには、一人の少女がいた。

 年齢は十七歳ほどか。少年と同じ褐色の肌。短い黒髪の少女だった。

 革のジャンパーに、腹部を剥き出しにした黒のタンクトップ。下には、破れたジーンズを履いている。たゆんっと揺れるその双丘は、セイラとは正反対だ。


 セイラがムムっと唸ると、


「おう! ラシャか!」


 少年は笑った。


「あんがとな。お前まで見送りに来てくれたんだな」


「いやいや。違うさ」


 ラシャと呼ばれた少女が、少年の元に駆け寄った。

 それから、少年の腕を掴み、その豊かな胸で挟み込んでくる。


「アタシは、あんたを帰さないために来たんだよ。だって、あんたはもうアタシらのボスなんだぜ。なんで帰るんだよ。とにかくさ、ゴウト」


 ラシャは、髪と同じ色の瞳で少年の顔を見上げた。


「これから、ホテルに行こうぜ。そこでアタシを女にしてくれよ」


「――はあっ!?」


 セイラが目を剥いた。


「ちょっと! 何を言ってるのよ! ラシャ=グラーシャ!」


「あン? セイラ=ロックスかよ」


 そこでようやく存在に気付いたように、ラシャは、セイラに目をやった。


「お前はいいよな。一年間もずっとゴウトと一緒に暮らしてたんだろ? なら、とっくにゴウトの女で隷者ドナーなんだろ?」


「――なっ!?」


 愕然と目を丸くするセイラだったが、すぐに顔を真っ赤にして、


「そ、そんな訳ないじゃない! わ、私はロックス家の娘だし、そ、その、嫌じゃないけど、ゴウトには……」


「おっ。なんだ。そうだったのか」


 ラシャは、ふんと鼻を鳴らした。


「うちのチームも、野郎どもはみんな隷者ドナーになったのに、アタシも含めて、女たちは一人もなしだったからな。もしかしてとは思ってたけどさ」


 そう呟きつつ、


「なあ、ゴウト……」


 ジト目で尋ねる。


「お前って、女に興味がネエの?」


「そんな訳あるか」


 少年も、ジト目で返した。


「無茶くちゃ興味あるわ。今だってお前のおっぱいにドキドキしっぱなしだぞ」


「おっ! そうなのか!」


 大きな胸をより押し付けて、ラシャがニカっと笑う。


「なら、今からホテルに直行な! 大丈夫! もう予約も取ってるからさ!」


「ちょ、ちょっと! ラシャ=グラーシャ!」


 セイラが、顔色を青くさせた。


「何言ってるのよ! ゴウトはこれから帰国するのよ!」


「帰国させネエために言ってんだよ」


 ラシャはセイラを見やる。その表情は、意外にも真剣なモノだった。


「アタシは真剣マジだ。どんな方法を使ってもここでゴウトを引き止めてみせる。そうだな。セイラ=ロックス」


 黒の少女は、白の少女に言う。


「なんなら、お前も一緒でもいいぞ」


「―――なっ!?」


 その台詞に、セイラは仰天した。


「なななっ、何言ってるの!?  ラシャ=グラーシャッ!」


「アタシは本気マジだぞ」


 少年の腕を捕えたまま、ラシャは言う。

 彼女の真っ直ぐな眼差しに、セイラは気圧された。

 セイラは、引導師ボーダー育成の名門校の生徒。

 その家系こそまだ若く、セイラの代でようやく六代を迎えた程度だが、積極的に近代兵器を術式に取り込んだことで、今や全校生徒の中でも屈指の実力であると自負している。

 一方、ラシャは、様々な理由で一族に放逐された引導師くずれたちを率いたチームのリーダーだった。今はスラム街ダウンタウンを根城にしている輩の麗しきボスである。


 本来ならば、決して交わることもない二人だ。しかしながら奇妙な縁から出会い、セイラとラシャ=グラーシャは、幾度となく激突する運命にあった。

 それこそ、命がけの対峙もあったぐらいだ。

 それは、ある意味、誰よりも、その性格を理解している人物ということでもある。


 だからこそ、ラシャが本気なのが肌で感じ取られた。


「け、けど……」


 セイラは、不安そうに呟いた。


「わ、私は、あなたと違って、まだ経験がなくって……」


「おう。その点なら大丈夫さ」


 ラシャは、ニカっと笑った。


「アタシだってまだ処女だから」


「うそおっ!? というか、あなた、初めてなのに三人で誘ってるの!?」


「おう。そうさ。なあ、セイラ=ロックス」


 ラシャは、真剣な眼差しを再びセイラに向けた。


「あんたとは何度もぶつかり合った。けど、共闘したことだってあったよな」


「……あなたのスラム街ホームでの事件よね」


 セイラが神妙な口調で言う。

 八名が死亡した凄惨な事件だった。

 そこで活躍したのが、少年とセイラ。そしてラシャだった。


「だから、今回も共闘だ」


 ラシャは言う。


「ホントはお前もアタシと同じ気持ちなんだろ? なら前へ出ろ。足を踏み出せ。これはアタシらの二度目の共闘だ。アタシら二人の想いで、ゴウトを引き止めるための」


「…………」


 セイラは何も答えない。

 その表情は、逡巡していた。強い葛藤を抱いていた。

 けれど、


「…………」


 セイラは無言のまま、前へと足を踏み出した。

 恐る恐る指を組み、耳まで真っ赤にしつつも、しっかりと少年の顔を見上げた。

 ラシャもまた、少年の顔を見つめる。

 少女たちの想いに、少年もまた真剣な表情を見せていた。

 ここまでの彼女たちのやり取り。

 それを見て、何も察しないほどに少年は鈍感ではない。

 ――けれども。


「……二人とも。隷者ドナーの話はなしだ」


 少年は、言う。


「お前らの気持ちは嬉しい。本当に嬉しい。けど、それはダメなんだ」


「なんでだよ」


 ラシャが、ムッとした表情を見せた。


「どっちかを選べって話じゃネエぞ。引導師ボーダーの世界だと女が大勢いんのも当たり前だしな」


「確かにそうだよな。まあ、その逆パターンもあるけれど。けどよ」


 少年は、双眸を細めた。


「俺の好きな女は、それを嫌う奴なんだよ」


 その台詞に、セイラもラシャも顔色を変えた。

 ――好きな女。

 それが自分でないことは、二人とも察していた。


「ガキの頃から古風っていうか、とにかく頑固な奴でさ。仲間や同志ならいい。けど、愛する人になるのは一人だけだ。愛人同然の隷者ドナーなんて悪しき慣習だってのが口癖だった。きっと、今も意地を張り続けているんだろうな」


 懐かしそうに双眸を細める。が、すぐに嘆息して。


「けど、それも今の時代だと無謀な話だ。いくら強いあいつでも、いつかは負けちまう。無茶くちゃ綺麗で、ずば抜けた魂力まで持っているあいつを狙っている野郎どもは、それこそうじゃうじゃいるんだ。だから俺は……」


 少年はトランクケースを離して、拳を固めた。


「強くなるためにこの国に来たんだ。誰よりも強くなって、同世代じゃあ無敵だったあいつに勝って、あいつを俺のかみさんにするために」


「……ゴウト」


 セイラが呟く。ラシャは仏頂面だ。


「だから、お前らの気持ちには応えられねえ。すまねえ。セイラ。ラシャ」


「……あなたって、本当に最低ね」


 涙ぐんだ眼差しで、セイラが言う。


「こんな魅力的な女の子たちを、二人揃ってフるの?」


「……すまねえ」


 そう告げつつ、少年は腕を掴むラシャの頭をくしゃりと撫でた。

 ラシャは、すっと腕を離した。

 少年は、この国での戦友でもある二人の少女の肩を抱き寄せた。


「お前らは凄えェ良い女だ。けど、ここでお別れだ」


 そう告げる。セイラとラシャは、震える手で彼の大きな背中を掴んだ。


「……いいか。ゴウト。帰っても、ちゃんと連絡しろよ」


「ああ」


「……食べ過ぎには注意よ。あなたってすぐ食事に夢中になるから」


「ああ」


 抱きしめ合ったまま、三人は些細なことを語り合う。


「じゃあな。セイラ。ラシャ」


 少年は最後にそう言って、二人を離した。

 そのまま背中を向けて、少年は歩き出す。

 静かに、片手だけを上げて。

 その後ろ姿を、少女たちは見つめていた。

 ただ、


「……あの馬鹿。随分と時代錯誤な女に惚れているみたいね」


「ああ。そうだな」


「とりあえず、私は自分の身辺整理を急ぐわ。旅立つ時に面倒にならないように」


「おう。アタシもそうするよ。チームのボス役も、他の奴に継がなきゃな」


「ともかく」


「おうよ」


 彼女たちは言う。


「「まず、その時代錯誤女をどうにかしないと」」


 その呟きは、少年の耳には届かなかった。



 いずれにせよ、その日。

 一人の少年がアメリカを去った。

 彼の祖国である、日本へと帰るために。


「今、帰るからな」


 飛行機の中で、少年は呟く。


「待っててくれよ。刀歌」


 故郷で待つ、共に育った少女と再会するために――。

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