第169話 帰ってきた幼馴染②
夜遅く。
黒い
いつものように、傍らには、宙に浮かぶ骨翼を持つ透明な猿――猿忌の姿もある。
ただ、今夜の同行者は、猿忌だけではなかった。
真刃が一人で仕事を受けていたのは、こないだまでのことだ。
一人でなくなったのは、これで三度目だった。
「……ふむ」
解体前の廃ビル。
ビジネス用のフロアだった広い室内の入り口に立ち、真刃は様子を窺う。
彼の視線の先には、二頭の獣がいた。
一頭は、醜い獣だ。
獅子に似た鬣の中に老人の顔を持つ、巨大な四足獣。いや、前脚が四本、後ろ脚が二本あるので六足獣と呼ぶべきか。歯の欠けた口元からは涎を滝のように零している。
対するもう一頭は、美しい獣だった。
手には赤く輝く熱閃の刃。
片手をそっと床に着け、ゆさりと大きな胸を揺らして、低重心に身構えている。
その美しい肢体には、白い
耐刃、耐火の術式などをふんだんに付与した特殊な布と、合成樹脂を用いて造られた彼女専用の
――参妃。御影刀歌である。
今夜の同行者だった。
彼女は今、獣の笑みを見せていた。
『……刀歌は、御影に似ていると思っていたが……』
猿忌が呟く。真刃は「ああ。そうだな」と返した。
(……確かに顔立ちはよく似ているが)
真刃は、双眸を細めて思う。
(やはり、刀歌は御影とは違うのだな)
現在、刀歌が対峙しているのは
今の刀歌では、少々手に余る相手である。
しかし、彼女の成長を促すために、真刃はあえてこのランクを選んだ。
先に挑んだエルナ、かなたと同じく。
刀歌もまた、この夜を超えられると思ったからだ。
『……ここまでは想定内か』
「ああ。ここからが重要だ」
猿忌の呟き、真刃が答える。
戦闘は、やはり刀歌の方が押され気味だった。
けれど、その苦境こそが、彼女のスイッチなのだろう。
刀歌は追い込まれると、まるで獣のような笑みを浮かべることがあった。
そうして、その笑みを零すと、戦闘スタイルまでが大きく変化するのである。
剣士の構えから、獣の低重心へと。
そうなると、彼女の戦い方は完全に別物だった。
地形など意にも介さず縦横無尽に跳躍し、隙あらば、いかなる体勢であっても、斬撃を繰り出してくる。それは、もはや剣と呼ぶよりも獣の爪牙だった。
あれこそが、恐らく刀歌の本来の戦い方なのだろう。
(御影には、あのような気性はなかったな)
真刃のかつての同僚は、純粋なる剣士だった。
窮地において、さらに技が研ぎ澄まされることはあったが、戦闘スタイル自体が変わるようなことはなかった。どこまでも洗練された剣士だった。
(御影の剣は、確かに見事だった。だが、あいつの子孫だからといって、刀歌にまでそれを押し付けるのは間違っているのだろうな)
遠い日を。
かつての同僚のことを思い出す。
ただ、脳裏に浮かぶのは、最もよく目にした軍服姿ではなく、一時期だけ見ることになった着物姿の御影刀一郎だった。桜色の着物を纏う艶姿である。
これは、やはり、御影が本当は女性だったと知ってしまったからだろうか。
(これもまた詮なき事だな)
真刃は嘆息しつつ、刀歌に目をやる。
刀歌に襲い掛かる六足獣の我霊。
口元が一気に裂け、不並びの不気味な歯を剥き出しにする。
その突進を、刀歌はすれ違うように跳躍して回避するが、着地先は床ではなく壁だ。そのまま壁を足場に大きく屈伸、天井へと跳ぶ。宙空で身を捩じって回転すると、天井を蹴りつけ、逆手に構えた炎の刃を、六足獣の背中に突き立てた!
「があああああああッッ!」
老人の顔が、絶叫を上げる。
刀歌はそれに構わず、数倍の出力で熱閃を噴出した。それは六足獣の胴体を貫き、床にまで突き刺さる。そして――。
ギュルン、と。
炎の刃を突き刺したまま、刀歌は全身を捩じり、横に回転した。
熱閃は、見事に六足獣を両断した。
火の粉と共に鮮血も飛ぶ。刀歌は六足獣の背中から大きく跳躍して着地。
両断した六足獣の
……ふうゥうゥ!
熱い吐息を零して、さらに駆け出した!
手に持つ炎の刃が荒れ狂い、巨大な翼のようになる。
彼女の瞳には、恍惚の光があった。
その姿を見やり、
『主よ』
「ああ。ここまでだな」
真刃は、そう判断する。
そして次の瞬間、真刃の姿がかき消えた。
「―――ッ!?」
刀歌は、双眸を見開いた。
獲物を目の前にして、突如、背後から腰を掴まれたのだ。
「く、あっ!」
炎の刃を振るおうとするが、その手首も強く抑えられた。
刀歌は表情を険しくし、さらに暴れようとする。が、
「もう終わりだ。落ち着け。刀歌」
背後から告げられる声。刀歌の中の獣が一気に委縮する。
(………あ………)
圧倒的な力の差。
途方もなく格上の、巨大なる獣に捕えられた。
それを、彼女の中の獣が察したのだ。
「……しゅ、主君……」
炎の刃が、瞬く間に縮小していく。
そして遂には消えて、ガシャン、と手に持っていた刀の柄を落とす。
刀歌の瞳には、冷静さが戻っていた。
「……うゥ」
が、すぐに羞恥の光も宿り、耳まで赤くして俯いた。
やってしまった。またやってしまった。
思いっきり、心の裡の獣性を解放してしまった。
最後の方など、高揚しすぎて自分でも訳が分からなくなった有様である。
曽祖父が見れば、叱責は免れない。とても剣士とは呼べないような醜態だった。
けれど、真刃は、
「戦闘方法とは、人それぞれだ」
彼女の手首から、手を離してそう告げる。
「お前にはお前の戦い方がある。何も御影刀一郎を模倣する必要はない」
「………主君」
刀歌の頬に微かに朱が差し、鼓動が大きく高鳴った。
自分の中の獣も『くゥん、くゥん』と、甘えた声を出すのを感じた。
もし、刀歌に狼のような尾があれば、ブンブンと振っていたことだろう。
「とはいえ、課題は多いな」
一方で、真刃は、ようやく息絶えた六足獣に目をやって言う。
「感覚は研ぎ澄まされるようだが、冷静さに欠ける。術式に関しても出力ばかりが大きく、あまりにも雑な精度だ」
『うむ。確かにそうだな』
真刃の傍にまで移動した猿忌も言う。
『あれでは、もはや
「……ううゥ」
「野生の獣は強い。だが、お前は人だぞ。何も人の技や理性まで捨てなくても良かろう」
「はうっ!」
容赦ない指摘に身を悶えさせる刀歌。
そんな少女に苦笑を零しつつ、真刃は、彼女の頭にポンと手を置いた。
「ともあれだ。
「……は、はい」
刀歌は腰の前で指先を組み、こくんと頷いた。
「だが、今は褒め称えよう」
真刃は刀歌から離れると、息絶えた我霊の傍に立った。
「見事だったぞ。刀歌」
双眸を細める。
「師としては感無量だな。これでお前も、エルナ、かなたに続き、単独で
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