第170話 帰ってきた幼馴染➂

 十分後。

 真刃と、刀歌は車上の人になっていた。

 真刃が運転をし、刀歌は助手席で座っている。

 真刃たちを乗せたSUVは、街中を進んでいた。

 繁華街に差し掛かり、時折、ホテルの姿も目に入るが、立ち寄るような気配はない。

 その度に、刀歌は、少し残念そうな、ホッとしたような表情を見せた。


(う、うん、そうだな)


 大きな胸に片手を当てて、ふうっと息を吐く。


(エルナもかなたも、帰宅時には何もなかったと言っていたしな)


 と、先に個人訓練を受けたエルナたちの言葉を思い出す。

 自分は、すでに初めての夜を迎えている。

 最初の頃はそう勘違いしていた刀歌だったが、流石にそれはもう解消されている。

 気付いた時には、結構がっかりしたものだった。


 とは言え、落ち込んだのも少しの間だけだ。

 何故なら、それは一年後に持ち越しされただけだと教えてもらったからだ。

 今はまだでも、一年後には確実に訪れる未来なのである。


(けど、もしかしたら……)


 車窓から過ぎ去っていくホテルに目をやり、刀歌は再び吐息を零した。

 刀歌は――いや、エルナも、かなたもだ。

 三人とも、もしかしたらと考えていることがある。

 ……そう。前倒し・・・の可能性もあるのではと考えているのである。


(う、うん。だって、私たちはすでに主君の隷者ドナーだしな。その可能性は充分にあるし、いつでも覚悟だけはしておかないとな)


 自分の考えに、赤い顔でコクコクと頷く刀歌。

 大きなホテルを再び遠目に見つけて、ドキッと鼓動を跳ね上げた。

 すると、その時。


「刀歌」


 不意に、真刃に名を呼ばれた。

 刀歌は、ビクッと肩を震わせて「ひゃ、ひゃいっ!」と声を上げた。


「な、何だ? 主君。え、あ、よ、寄るの?」


「……? 寄る? どこに寄るのだ?」


「い、いや! 何でもない!」


 ブンブンと長い髪を振り回して、刀歌は首を振る。

 真刃は少し不思議そうに眉を寄せていたが、


「お前で個人訓練は三人目だ。それで、次の話なのだが……」


「それは……」


 刀歌は、真刃の横顔を見つめた。


「再びエルナの順に……ではなく、火緋神燦と、蓬莱月子のことか?」


「ああ」真刃は頷く。「燦たちの事情についてはすでに話したが、あの娘たちを預かった以上、訓練はすべきだと考えている。ただ……」


 赤信号に当たり、真刃はゆっくりとブレーキをかける。


「やはり、お前たちは、あまり仲が良いとは言えんのか?」


 あの最初の日の惨状を考えると、気が重い質問だ。


「率直に答えてくれていい」


 続けてそう告げると、刀歌は小さく嘆息した。


「確かに、私たちは仲が良いとは言えんな」


 胸を支えるように、腕を組んで言う。


「蓬莱月子はまだいいが、火緋神燦とはかなり険悪だ。特にエルナと仲が悪い」


「……そうか」


 同じ質問をエルナにした時の顔を思い出す。

 エルナは、見事に頬を膨らませたものだ。

 ちなみに、かなたに尋ねた時は拗ねられてしまった。その機嫌を直すために、帰宅後、真刃の自室であの子をしばらく抱っこする羽目になったぐらいだ。


「燦も月子も悪い娘ではないのだが……」


「それは分かっている」


 刀歌は言う。


「ただ、最初の一件が、互いに尾を引いている状況だな」


 エルナたちは、敗北したこと。

 燦たちは、自分たちがまだ第一段階の隷者でさえないこと。

 それらが、互いの関係を拗らせていた。


「エルナとかなたは、フォスター家においては主従関係にあるし、火緋神燦と蓬莱月子も同じような関係だ。主にエルナと燦が対立し、私は中立のような立ち位置だな」


「……そうか」


 そう呟く真刃の横顔を、刀歌は見つめる。

 顔には出さないが、かなり困っているのが分かる。


(……真刃さま)


 刀歌の胸が、きゅうっと締め付けられる。

 どうにかしてあげたいと思った。

 それに、夫の手の届かないところをサポートするのが妻というモノだ。

 だがしかし、どうすればいいのか。

 う~ん、と頭を悩ませる。

 今の張り詰めた空気を解放するためには……。

 うん。例えば、気晴らしでもできるような切っ掛けがあれば――。


(……あ、そう言えば……)


 ふと、思い出す。

 あれは一年半ほど前のことだった。

 当時、《魂結びソウルスナッチ》を毛嫌いし始めていた刀歌は、朝から晩まで修行に打ち込んでいた。

 毎日毎日、自分を追い込むような日々だった。

 あの時は、相当に張り詰めていたものだ。

 そうして、それを見かねた幼馴染・・・がこう誘ってくれたことがあった。


『なあ、刀歌。叔父貴からチケットを貰ったんだ。どうだ? 行ってみねえか?』


 懐かしい声だった。あいつは今、どうしているだろうか?

 少しだけ感傷に浸りつつ、


「……うん。そうだな。主君」


 信号が青に変わって再び進み出すと同時に、刀歌は告げた。


「来週末に三連休が来るだろう? その時にどうだ? 宿泊ありで、皆でレジャーランドに行ってみるというのは?」


「……レジャーランド?」真刃が眉根を寄せる。「何だそれは?」


『娯楽用の施設のことっスよ』


 真刃の問いに答えたのは、紳士服のポケットにしまわれていたスマホに宿る金羊だった。


『遊園地……でも、多分ご主人には分からないっスよね。えっと、機械仕掛けの遊具を幾つも設置した超大規模な娯楽施設なんスよ』


「……そんなモノがあるのか」


 真刃は、少し目を丸くして驚いた。


『あるんスよ。けど、それは、なかなか良いアイディアっスね。特に宿泊付きってとこが良いっス。修学旅行みたいで打ち解けやすい状況になりそうっスよ』


「うん。そうだろう」


 褒められて、刀歌は少し嬉しそうに頷く。


「今の状況が続くのはよくないからな。エルナも火緋神燦も、あまり過去を引きずらないタイプだ。だから一度、思いっきり夜まで一緒に遊べばすっきりすると思ったんだ」


「……なるほどな。金羊」


 運転をしつつ、真刃は金羊に告げる。


「その施設とやらの予約は取れるか?」


『うっス。宿泊施設もあるところっスよね。ちょいと調べて……うわあぁ』


 台詞の途中で、金羊が残念そうな声を上げた。


『これはダメっス。該当するところのネット予約がどこも一杯っスよ。来週末。しかも三連休っスからね。ちょいと遅かったみたいっス』


「……む。そうなのか」


 真刃が眉根を寄せる。刀歌も残念そうに眦を落とした。

 その時、再び信号が赤になり、SUVが停まった。


「………ふむ」


 真刃は右手をハンドルに、左手をあごにやった。

 数秒間の沈黙。

 そして、


「金羊」


 従霊に命じる。


「山岡に連絡を取ってくれ」


『山岡さんっスか? 了解っス』


 そう答えて、金羊は山岡に電話を掛けた。

 数秒の機械音の後、スマホから『もしもし』という山岡の声が聞こえてきた。


『いかがなされましたか。久遠さま』


「ああ。山岡」


 真刃は、自分のポケットの中のスマホに声を掛ける。


「一つ、頼みたいことがある」


 そう切り出して、刀歌の案を山岡に告げた。予約の状況もだ。


『事情は承知いたしました。それは良き案でございます』


 山岡は言う。


『私に伝手つてがありますので、ご用意いたしましょう』


「ありがたい。頼むぞ」


『御意』


 通話は、それで終わった。


「これで予約はできそうだな。刀歌。お前にも感謝するぞ。助かった」


 どこか安堵したような表情で真刃が言う。

 一方、刀歌は、嬉しそうに「うん!」と笑った。

 それから、自分の豊かな胸を、ポヨンっと叩いて。


「けど、礼はいらない。こんなの当然だから」


 ふふんと鼻を鳴らした。


「だって、私はあなたの妻。参妃の刀歌なのだからな!」

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