第167話 お妃バトルロイヤル➂

 あの日のことを、真刃はこう語っている。

 もっと早く帰宅すべきだったと。


 当日。

 真刃は、山岡と行動を共にしていた。

 放課後になった時刻。山岡の運転で燦と月子を迎えに来たのだ。

 今日は、二人をエルナたちと引き合わせるつもりだった。

 それから燦たちの事情を話し、同居について告げる予定だった。

 しかし、校門の前。車の中で待っていた真刃たちだったが、約束の時間になっても、燦たちはやってこない。多くの子供たちが談笑しながら下校していく中、さらに三十分ほど待ってみても、燦たちが現れる様子はなかった。

 山岡が、燦と月子に連絡しようとするが、全く繋がらない。

 二人とも、返信もなければ、既読もつかない状況だった。

 流石に真刃も訝しげに思い、金羊に連絡すると、


『燦ちゃんたちなら、先にエルナちゃんたちに会いに行っているっス』


 そんなことを告げてきた。


「……? 何故だ?」


 疑問には思いつつも、これで居場所は分かった。


「では、出発いたします」


 山岡がそう告げて、車を出発させた。

 フォスター邸にまでのニ十分。

 そのわずかな時間に、とんでもない惨劇が巻き起こっているなど知る由もなく……。




『さあ、来なさい! おばさんども!』


「誰がおばさんだ!」


「ひゃあっ! ひゃああっ!」


「すばしっこいわね! かなた! そっち!」


「……承知しました」


 火焔の太刀と、炎で造られた拳がぶつかり合い、神楽の紫龍が舞う。巨大なハサミが大気を斬り裂いて宙を飛ぶと、それは、見えない巨大なクッションに受け止められる。


 戦闘としては、三体二。壱妃たちの方が有利だ。

 しかし、魂力オドの総量としては、肆妃たちの方が勝っている。

 エルナたちは、真刃の正式な隷者であるので、その気になれば魂力でも燦たちを凌駕できるのだが、流石に、この戦いにおいては禁じ手としていた。

 そのため、お妃さまたちの合戦は、ほぼ拮抗した状況と言えた。


『ど、どどどしようこれ!?』


『月子ちゃん! 頑張るっス!』


『いや。金羊の兄者。露骨に推しの応援は……』


 と、専属従霊――実のところ、金羊は、月子の専属従霊ではないのだが――たちも、この状況の対応に困っていた。

 いずれにせよ、戦闘は苛烈さを増していった。

 場所こそ訓練場を使っているが、壁や床は今や損傷だらけだ。

 ―――ガガガガガガガガッッ!

 まるで機関銃のように神楽の龍の鱗を撃ちまくるエルナ。

 その美しい肢体には、すでに光沢を放つ紫色の龍鱗の衣スケイル・ドレスを纏っていた。

 ガチの戦闘仕様である。


 そして、エルナの狙いは月子だった。


「ひゃああっ! ひゃああっ!」


 月子は悲鳴を上げつつも、兎のような俊敏さで逃げ続けている。


『月子っ!』


 そんな月子の前に、巨大なぬいぐるみが現れた。

 全高は二メートルほど。頭には二本の角。丸くずんぐりむっくりとしたシルエットを持つ炎で造られたぬいぐるみだ。太陽の衣――《炎奉衣ジ・プロミネンス》を纏った燦の第一形態だった。

 月子の盾になったぬいぐるみは、龍鱗の弾幕を正面から全身で受け止めた。

 どれほど鋭くとも龍鱗は布製。一瞬で燃え尽きた。


『お返しだよ!』


 そう叫び、小さな怪獣は、大口を開けて火球を吐き出した。

 直径にして一メートルはある火球だ。

 エルナは表情を険しくして、神楽の龍の棍を構える。と、


「《断裁リッパー》」


 壱妃の前に立ったかなたが、火球に対し、二振りと成ったハサミを振るった。

 途端、火球が両断される。

 分割された火球は、左右へと飛んで壁に炸裂した。

 ハサミで挟んだモノならば、いかなる物質も現象も切断するかなたの《断裁リッパー》。

 見事な術式、技量ではあるが、エルナたちにしても、燦たちにしても、屋内であるとか、ここが自宅であるとか、防音、耐火、耐震の術式を施していても、このマンションの下層には一般人が住んでいるとかを、もう一切気にしてない様子だった。


「調子に乗るな! 小娘!」


 自分もまだそう呼ばれるような歳であることなどすっかり忘れた様子で、跳躍した刀歌が燦に斬りかかる!


『あたしに炎なんて――』


 刀歌の炎の刃を見て鼻を鳴らした燦だったが、不意に嫌な予感がして、ぬいぐるみに尻餅をつかせて頭を下げた。

 直後、

 ――ズバンッ!

 ぬいぐるみの二本の角が切断された。


『――うそおっ!?』


「炎だったら斬れないとでも思ったか!」


 刀歌はさらに追撃を加えようとする――が、


「――燦ちゃん!」


 今度は、月子が燦の盾となった。

 ダンッと震脚を轟かせ、崩拳を繰り出した。

 その右拳は刀歌の体はおろか、炎の刃にも触れなかったのだが、


「――うわっ!?」


 刀歌は、何か巨大な柔らかいモノに押しやられて、吹き飛ばされてしまった。

 ――《反羊拳コットン・ナックル》。

 あらゆるモノを包み込み、跳ね飛ばす月子独自の技だ。

 刀歌は吹き飛ばされつつも宙空で回転。両足で着地する。


「お前、面白い技を使うな……」


 刀歌が笑う。

 それは、獲物を見つけた獣の笑みだった。

 炎の刃を構える重心も、剣士の姿勢から獣のような低重心へと変わる。

 長い尾か、または翼のように、炎の刃を天へと掲げ、片手を床につける。ゆさりと大きな胸を揺らすその姿は、本当に女豹のようだった。


「ひ、ひうっ……」


 戦士のように凛々しかったお姉さんのいきなり豹変に、月子は身を竦ませる。と、


『月子をいじめるな!』


 巨大なぬいぐるみが、月子の前に立った。

 エルナとかなたも、その場に集まる。

 改めて、五人のお妃さまたちは対峙した。


『……腹立つけど強いわね。おばさんたち』


 燦が言う。


「当然よ」


 神楽の龍の棍で床を突き、エルナが返す。


「私たちは、真刃さんの弟子だもの。それにもう一つ、改めて言っておくわよ」


 ピコピコ、と龍鱗の衣スケイル・ドレスの短い竜尾を揺らす。


「私たち三人は、すでに真刃さんの隷者ドナーでもあるのよ。あなたたちと違って本物のね。異性の隷者ドナー。あなたたちも引導師ボーダーなら、それってどういうことなのか分かるわよね?」


 そう告げて、大きく解放されている自分の胸元に片手を当てた。


『――――な』「………ぁ」


 燦も月子も、言葉を失う。

 そして、カアアっと二人とも顔を真っ赤にした。

 ちなみに、言い出したエルナも方も、すまし顔ではあるが、大きく露出した白い肌を余すことなく赤くしていた。


「……エルナさま」「あまり無理はするものではないぞ」


 と、呟くかなたと刀歌をよそに、


「と、ともかくよ」


 うっかりボロが出ない内に、エルナは本題を切り出す。


「私たちはもう大人なのよ。だから、これ以上、お子さまに付き合うほど暇じゃないの。悪いけど、ここでもう終わらせてもらうわ」


 言って、棍を持っていない左手で指鉄砲の構えを取った。

 対人戦におけるエルナの切り札だ。

 相手の衣服を粉砕する――要はマッパの術である。

 これ以上白熱すると、お互いに怪我を負ってしまいそうだった。

 反則的な術でも、穏便に無力化するのが、壱妃の責務というものである。

 かなたも刀歌も、これで終わったと思った。

 が、その時だった。


『……言ってくれるじゃない……』


 不意に、燦が呟いた。


『何が大人よ! ほんのちょっと、おじさんに愛されるのが早かっただけじゃない! そこまで言うなら、あたしだって本気でやってあげるわよ!』


 そう叫ぶなり、燦が変化した。

 炎獣が大きく崩れ落ちたのである。


「さ、燦ちゃん!? そこまでするの!?」


 月子が目を見開いて叫んだ。

 一方、エルナたちは、目を丸くしている。

 崩れ落ちた炎獣の跡。その場に立っていたのは炎の少女だった。

 炎のリボンで結われた、火の粉を放つ紅い髪。

 華奢な四肢には、炎で造られた長い手袋とタイツ。その体を覆うのは首元を押さえ、背中を大きく開いた、炎のドレスである。

 燦の第二形態。魅入るほどに美しい炎の女神である。


 だが、エルナは、別の意味で驚愕していた。

 燦の足元。そこに燃え尽きる寸前の、服の切れ端を見つけたからだ。


「…………え?」


 指鉄砲の構えのまま、硬直してしまう。


「あなた!? 服、どうしたの!?」


「全部燃えちゃったよ! だからこの形態は嫌なの!」


 思わずツッコんだエルナに、燦が赤い顔で叫び返した。


「えええ!? ちょっと待って!? じゃあ、あなた、今マッパなの!?」


「うるさいっ! マッパって言うなっ! あんたこそずるい! この都合よく変身できるエロ系エセ魔法少女め!」


 燦が理不尽さを訴える。


「とにかくこの姿になったあたしは最強なんだから! みんなぶっとばしてやる!」


 と、宣言して、燦は跳躍するのだった。



 そうして――……。



 ガチャリ、と。

 玄関の鍵が開けられる。

 真刃は、山岡を伴ってフォスター邸に帰宅した。


(いささか遅くなったな)


 途中で運悪く、何度か信号に捕まってしまった。

 そのため、五分ほど到着が遅れてしまった。


(エルナたちは、親睦を深めているといいのだが)


 そんなことを考えながら、リビングに向かう。

 しかし、そこには、人の姿はなかった。

 ただ、テーブルの上には、紅茶のカップが五つあった。


「ショッピングにでも出かけられたのでしょうか?」


 と、山岡が言う。

 五人は歳の近い少女たちだ。それも充分にあり得るが、


「金羊」


 真刃は、スマホを取り出して尋ねた。

 ここは考えるよりも、この場所を教えた当人に聞く方が早い。


「エルナたちはどこにいる?」


『……ご主人』


 すると、金羊は、神妙な声色でこう答えた。


『人は、愛ゆえに争うっス……』


「…………は?」


 真刃は眉をしかめた。スマホの画面に目をやると、そこには、世紀末風タッチにアレンジされた金羊のイラストが、ポップアップしていた。


「……お前は何を言っている?」


『こんなにも辛いのなら、こんなにも哀しいのなら、愛などいらぬッ……っス』


「……おい」


 真刃が剣呑な表情を見せた。

 流石に金羊も、態度を改める。


『冗談っス。愛は必要っス。ご主人の愛たちは今、全員訓練場にいるっス』


「訓練場?」


 真刃は、眉をひそめた。


「エルナたちがか? 何故、そんな場所に?」


 疑問に思うが、五人の居場所は分かった。

 真刃は、山岡を伴って訓練場へと向かった。

 そうして、


「………………」


 その惨状に、山岡と共に絶句した。

 大部屋を二つ分繋げて造った訓練場。

 普段は道場然としているそこは、まるで戦場の跡のようになっていた。

 壁や床、天井、いたるところに亀裂があり、中にはクレーターまである。床が抜けなかったことが奇跡的なぐらいの大穴だ。

 黒煙もところどころに上がっているが、気になるのは五人の少女たちである。


 まず目に入ったのは、かなただった。

 彼女はうつ伏せに倒れていた。黒いストッキングは破れ、制服には焦げ目がつき、至るところが焼け落ちている。どうやら、完全に気絶しているようだった。傍には床に突き刺さった分解された一刀ハサミ。もう一刀は、遠い壁に突き刺さっていた。


 次は、刀歌だった。

 彼女は仰向けに倒れていた。衣服の惨状は、かなたと似たようなモノだったが、触媒である刀の柄を握ったまま、どこか満足げな表情で目を回していた。


 続いて、月子。

 あの子も、刀歌同様に目を回していた。しかし、衣服は焦げてはいない。というより、どうも着ていないようだ。まるでミイラか、プレゼントかのように、全身を頭以外余すことなく薄紫色の布で梱包されていた。


 そして、エルナ。

 彼女は、未だ立っていた。

 はァはァ、と荒い息を零して、今にも消えそうな棍で体を支えている。

 ちなみに、彼女の龍鱗の衣スケイル・ドレスも焼け焦げており、いつも以上に肌を露出していた。


「……ず、ずるい……」


 ただ、流石に限界だったのか――。

 ぐらりと体勢を崩して、エルナも遂に倒れた。


「……最初から、マッパはずるい……」


 今にも途切れそうな声で、そう呻く。

 そうして最後に残ったのは、


「……はァ、はァ、はァ」


 荒い息と汗を零して立つ燦だった。

 彼女は、全身に炎のドレスを纏っていた。

 だが、それはまるで蝋燭のごとく、今にも消えてしまいそうに揺らいでいた。


「……これは……」


 真刃が呟く。と、


「………あ」


 燦がこちらに気付いた。

 そして、ふらつく足で駆け出した。


「お、おじさんっ! おじさん、あたし勝ったよお!」


 両手を広げてそう告げるが、そこが体力の限界だったのだろう。

 真刃の元に辿り着く前に、床の亀裂に足を取られて、


「――ふえっ!?」


 ギョッとした顔のまま、燦は勢いよく床に突っ込んだ。

 シン、と空気が硬直する。

 数瞬後、燦の体を覆っていた炎のドレスが、ふっと消えた。

 どうやら失神したようだ。

 うつ伏せになったまま、燦も動かなくなる。


「この、お馬鹿……」


 すると、エルナが震える手を燦に向けた。

 シュルシュルと、右腕の一部の衣装が解ける。それは一枚の布と成って倒れた燦へと覆い被さった。正真正銘最後の力を振り絞ったため、エルナも完全に力尽きて気絶した。


 沈黙が降りる。

 真刃も山岡も、言葉もなかった。


「……久遠さま」


「……いや、これは……」


 倒れ伏す少女たちを前に、男たちはただ立ち尽くすのだった。



 こうして。

 誰も報われない。

 誰も勝者がいない。

 お妃さまたちの合戦バトルロイヤルは、何とも言えない結果で終わったのである。


 今後、勝者は現れるのか。

 それは、神さえも知る由のないことだった。

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