第245話 雪解けの夜⑩

 どれぐらいの時間が経ったのだろうか。

 一時間か、二時間か。

 それともまだ十分も経っていないのだろうか。

 頂上が崩れた巨塔ビルの元に集まった引導師たちは沈黙していた。

 天を見上げて、静かに決着の時を待っていた。

 その中には祈るように指を組む芽衣の姿もあった。

 と、その時だった。


「―――あ」


 芽衣が目を見開いた。

 同時に周囲も一気にざわついた。

 崩れた頂上に、唐突に黒点が現れたのだ。

 視力を魂力で強化している引導師でなければ気付けない小ささだ。

 だが、それは間違いなく人影だった。

 男女一組の人影だ。男が女を抱きかかえている。


「――《雪幻花スノウ》だ!」


 誰かが叫んだ。

 ――そう。一人は《雪幻花スノウ》だった。

 いつもと服装が変わっているようだが、あの白銀の髪は間違いない。

 もう一人――男の方についてはすぐには声が上がらなかった。


「あれは誰だ?」「知ってっか?」


 ザワザワとそんな声が漏れ始めていく。

 当然だった。

 なにせ、彼のことを知っているのは強欲都市グリードでも極わずかな人間だけなのだから。

 ただその正体は、芽衣には一目瞭然だった。


「シィくんだっ!」


 笑みを零してそう叫ぶ。

 直属の部下とも言える武宮や獅童も「ボス!」「おお。若……」と声を零していた。

 それぞれホッとするが、同時に険しい表情を見せた。

 二人はあの高さから自由落下している。

 いかに引導師であっても墜落死は免れない高さだった。


 だが、それも杞憂に終わった。

 ビルの側面から岩で造られた巨大な腕が飛び出し、そこに二人は着地したからだ。

 千堂が「えらいシュールな絵面やなあ」と苦笑いを浮かべた。

 ともあれ二人は無事のようだ。

 ただ、二人はそのまま話し込んでいるようだった。

 そして――。


「「「おおッ!」」」


 それを見て、他の引導師たちは高揚した声を上げるが、


「あああああああああああああああああ―――ッ!?」


 芽衣だけは絶叫を上げるのだった。



       ◆



 封宮メイズを解くとそこは空の上だった。

 轟風が頬を打つ。


「ふむ」


 真刃は呟くと、六炉を抱き寄せて。


「猿忌よ」


『承知した』


 従霊の長に命じる。と、ビルの側面から巨大な腕が突き出て来た。

 猿忌が憑依して造った腕である。

 真刃はその掌の上に着地した。腕には六炉を抱えている。


「どうにも封宮メイズは巧く扱えんな」


 本当は地面に現れるつもりだったのだが、随分と高低がずれてしまった。

 一歩間違えれば致命的にもなりそうな誤差である。

 ここまで誤差が出るとは、自分には不向きな異能なのかもしれない。


封宮メイズはムロも苦手」


 真刃の腕の中で六炉が言う。


「きっと魂力が高いだけじゃダメなんだと思う。やっぱり封宮メイズにも才能や適性はある。七ちゃんは色んなことが出来て凄く上手だった」


「そうか……」


 そう呟き、真刃は何気なく巨大な掌の指の隙間から眼下へと目をやった。

 そして「……なに?」と少し驚いた。

 視界の先にある遥かなる地上。

 そこにとんでもない数の人間が集まっていることに気付いたのだ。

 千か、五千か、いや万にも届くかも知れない。近くの道路、屋根を持つ大きな歩道橋、公園やビルの屋上まで人で埋め尽くされていた。


「……凄い数」


 六炉も驚いて目を丸くする。


「……これは一体どういうことだ?」


 真刃は眉をひそめて「金羊」と自分のポケットに声をかけた。

 すると、ポケットの中のスマホが震えた。


『あれはたぶん強欲都市グリード引導師ボーダーたちっスよ。どうやらムロちゃんがここにいるって噂がSNSで流れてたみたいっス。むむゥ……』


 不意に金羊が呻いた。

 真刃が「どうした?」と尋ねると、


『百や二百どころじゃない数の人払いの術が重ねがけされてるみたいっス。ここまで重ねられると流石に体が重いっス。ちょっと眠るっス……』


 電脳系の従霊である金羊は、電子機器妨害の影響を大きく受けていた。

 ただそれでも喋れるのは金羊の底力である。


「要は野次馬なのか? しかし、あの数はなんだ?」


 真刃が眉をしかめる。

 すると、六炉が「あ」と呟いた。


「もしかするとムロのお祝いに来てくれたのかも」


「……祝いだと?」


 真刃が六炉を見やる。六炉は「うん」と頷いた。


「ムロが真刃に嫁入りしたお祝い」


「………なに?」


「前に次に《魂結びの儀ソウル・スナッチ・マッチ》をする人がムロの旦那さまだって言ったから」


「……いや待て」


 真刃は嫌な予感がした。


「お前、まさか先程の戦闘は《魂結びの儀》のつもりだったのか?」


「うん。そう」


 当然のように六炉は首肯した。


「ムロは真刃に負けちゃったから今日から真刃の隷者ドナー。そしてお嫁さん」


『……ほう』


 ズズズっと巨岩の掌から猿忌の霊体が姿を現した。


『それは話が早い。歓迎するぞ。新たなる妃よ』


「喧しいぞ。猿忌」


 真刃は青筋を立てた。すると、


「……真刃」


 不意に六炉が名を呼んだ。

 そしておもむろに真刃の首筋に手を回して。


「………ッ」


 唇が重なった。

 それはとても拙くて幼い口付けだった。

 しかし、身を寄せ合うその光景は下にいる引導師たちにも見えたのだろう。

 この場所にも届くほどの歓声が響いた。

 ちなみに芽衣が絶叫を上げたのもこの時だった。

 そうして六炉は唇を離した。


「……ムロは」


 頬を朱に染めて、彼女は告げる。


「今夜から六番目のムロじゃない。陸妃・・のムロ」


「な、に?」


 真刃は驚いた。猿忌も少し表情を変えた。


「何故その呼称を……いや、そもそも『陸』だと?」


「違うの?」


 六炉は小首を傾げた。


「鳥さんが言っていた。ムロは陸妃だって」


「…………」


 真刃は無言になった。

 彼女の言う『鳥』が誰かなのかは考えるまでもない。


(本当に何者だ?)


 謎は深まるばかりだった。

 いずれにせよ、やはりここで彼女を離す訳にはいかなくなった。


「真刃。あのね」


 そんな中、六炉は、


「早速ムロを隷者ドナーにして。その、ムロは初めてだけど頑張るから。うん。これから……朝まで子作り頑張る」


 グッと両手を固めて、どこかで聞いたような暴走台詞を吐いた。

 まあ、天真爛漫なあの娘と比べると耳まで赤くして恥ずかしそうだったが。

 ただ、真刃としては疲れ切った溜息を零すだけだった。

 そんな青年の横顔に、


「……真刃」


 陸妃は身を寄せて口付けをする。

 そして、


「ずっと逢いたかったの。大好き」


 琥珀色の瞳を潤ませて、そう告げた。

 同時に再び地上から大歓声が湧き上がった。

 只の歓声ではない。熱気と共に轟くのは『キングコール』である。

 それは、まさしく天にも届くほどの勢いだった。


 かくして大歓声の中。

 今宵、遂に強欲都市の王グリード・キングが誕生したのである。

 ただし、


「……何故こうなった?」


 当の本人は極めて不本意な顔をしていたが。









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修復屋一同「「「オレたちの戦いはここからだッ!」」」

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