第429話 お妃さまたちのお稽古2(後編)➂

「………え?」


 月子は顔を上げた。

 今の声は後ろから聞こえた。

 振り返ってみるが、そこには誰もいない。


「……気のせい?」


 小首を傾げて月子がそう呟くと、


「ここ。ここ」


 再び声を掛けられた。

 そしてひょいっと。

 六炉が横から覗き込むように顔を出した。


「―――え」


 月子は少しギョッとした。

 なにせ、何もない空間から、いきなり六炉の頭だけが現れたからだ。


「え? 六炉さん? 消えて?」


「ん。光を曲げているの」


 と、完全に全身を現した六炉が告げる。

 どうやら微細な氷の粒を操り、光の屈折率を変えて潜んでいたようだ。

 現れた六炉は月子と同じアスリートウェアを着ていた。

 いつもは奇抜な衣装なので、こう見ていると新鮮な姿だった。

 それはともあれ、六炉は月子の隣に座って膝を抱えた。


「どうして姿を隠して?」


 月子が六炉の横顔を見て尋ねる。と、


「……ん」


 六炉は遠い目をした。


「杠葉から逃げて来た」


 と、率直に言う。


「あの人、おかしい。色々とおかしい」


 ガクガクと小刻みに震えて六炉が呟く。

 月子は顔を引きつらせた。

 どうやら杠葉のスパルタに耐え切れず逃走して来たようだ。

 妃たちの中で実力NO3の六炉がだ。


「……ん。ともかく」


 気持ちを切り替えて六炉は月子を見やる。


「月子はどうしたの? 落ち込んでいるみたい」


 と、尋ねてくる。

 落ち込んでいる月子を心配して声を掛けてくれたらしい。


「えっと……」


 月子は少し躊躇うが、


「……実は」


 と、自分の心情を吐露し始めた。

 六炉は静かにその話に耳を傾けていた。


「私にはみんなと違って系譜術クリフォトはありません。これ以上、強くなれないんです」


 膝を抱えて月子は視線を伏せた。

 数秒の沈黙。

 すると、六炉は首を傾げてこう告げた。


「月子。もしかして勘違いしている?」


「……え」


 月子は顔を上げて六炉を見た。


系譜術クリフォトならムロも持ってない」


 そんなことを六炉は告げた。

 月子は「え?」とキョトンとした顔を見せる。


「もっと言えば、今の天堂院家はムロを含めて直系が八人いるんだけど、誰も系譜術クリフォトは継承していなかった」


 そう続ける六炉に、月子は目を瞬かせた。


「それってどういうことですか?」


 驚きつつ月子が問うと、六炉は「……ん」とあごに指先を当てて、


「みんな、独自の異能……天堂院家で名付けた独界オリジンを使うの。ムロとはっちゃんはカカ上さまが同じらしいからほぼ同じ属性だけど、他のみんなはそれぞれ違う」


「え? じゃあ天堂院家って系譜術クリフォトの継承者っていないんですか?」


 月子の質問に、六炉は「ん」と首肯する。

 月子は「ええ?」とますます驚いた。


「それって天堂院家としてはいいんですか? 継承者がいないって……」


 天堂院家は火緋神家にも並ぶ大家だ。その次代の本家直系に系譜術クリフォトを継ぐ者が一人もいないというのは他家ならば大問題である。

 けれど、六炉は、


「テテ上さまは気にしていない感じ。それよりも千年我霊エゴスミレニアの討伐の方に執着しているみたい」


 父のことを思い出しながらそう答える。

 天堂院九紗の千年我霊に対する妄執は尋常ではない。

 その根源がいったい何なのかは娘の六炉も知らなかった。


系譜術クリフォトの継承者は分家の人の中にはいるから気にしていないのかも。ともかく」


 一拍おいて、六炉は本題を告げる。


「別に系譜術クリフォトを持っていなくても強くはなれる。月子は自分の独界オリジンを見つければいい。そしたらきっと象徴シンボルにも至れる」


「……私の象徴シンボル


 月子は茫然と反芻する。


「それって燦ちゃんみたいに私がですか?」


「ん」六炉は頷いた。


「燦の場合は系譜術クリフォト独界オリジンが一致していたから発現したのだと思う。杠葉や桜華もそう。代々受け継ぐ力と同じ魂の根源を持っていてもおかしくないから」


 六炉は人差し指を立ててさらに補足する。


「燦やムロは直感で。杠葉と桜華は百年間の気の遠くなるような修行と、もの凄い数の実戦経験で真理を得て到達したっぽい」


 なむ~と胡坐をかいて手を合わせる六炉。


「だったら私は……私には燦ちゃんみたいな直感力はないから……」


 月子が眉根を寄せると、六炉は「う~ん……」と考え込んで、


「月子はもっと我儘になっていいと思う」


「――え?」


 かつて真刃にも指摘されたことに月子は目を見張る。


「魂は心に強く繋がっているから」


 六炉は言葉を続ける。


「あるがままに感情を爆発させるの。そしたら魂が震える」


「魂が……震える……」


「うん。そう」


 自分の豊かな胸元に片手を添えて、六炉は頷く。


「漫画とかだとよく怒りや哀しみなんかで覚醒する。あれは正しい表現だと思う。心がより強い力を求めて魂に訴えかけているの。だから」


 そこで六炉は立ち上がった。


「月子にも可能性はあるから。意識してみて。それじゃあムロはそろそろ行く」


 あまり長居をし続けると杠葉に見つかってしまう。


「頑張って。月子」


 そう告げて、六炉は再び姿を消した。

 まだ近くにいるのかも知れないが、どこにいるかは分からなかった。


「……感情の爆発。私の象徴シンボル……」


 月子は静かに反芻した。


『……月子さま』


 その時、傍聴に徹していた狼覇が言う。


『六炉さまのお話には一理あるかと、それがしも思います』


「……うん」


 狼覇の言葉に頷く月子。

 しかし、すぐに眉根を寄せた。


「けど、感情の爆発って難しいよ……」


 どうも自分は感情を抑え込む癖がある。

 両親が健在だった頃からの癖だ。

 忙しい両親に対して、つい自分を抑え込んでいた。

 火緋神家に引き取られてからは、さらにその傾向は強くなっていた。

 真刃と出会ってからは少し改善したが、流石に象徴シンボルの覚醒に至るにはまだまだ抑え込んでいるような気がする。


「どうすればいいんだろう……」


 六炉は一つの道筋を教えてくれたが、これはこれで困難な道だった。


『今は修練に集中されて、心の片隅に留めておくことがよろしいかと』


 と、狼覇が助言してくれる。

 月子は「うん」と頷いた。


「そうだね。まだ強くなれるかもって分かっただけでも充分だね」


 前向きにそう考えて、月子は立ち上がった。


 だが、月子はまだ知らない。

 今回の決戦において。

 まさに魂を揺さぶるような事態が待ち構えていることに。

 感情を爆発させるに相応しい相手が這い寄ろうとしていることに。

 今はまだ知る由もなかった。



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