第130話 夜が来る②

 ――夕刻。

 真刃と刀一郎は、少し気落ちした様子で宿に戻った。


「……やれやれだな」


 部屋に入るなり、そう呟いて、真刃は窓際の椅子に腰を降ろした。

 襟元を少し緩める。

 今日は、本当に徒労に終わった。

 方々に歩き回り聞き込むも、ほとんど情報が掴めなかったのだ。


「これでは、明日も手こずりそうだな」


 深々と嘆息する。

 本来、真刃も刀一郎も人探しには向いていない。

 ここは第八の引導師の誰かに同行してもらうべきだったか。


(……いや、それは無理か)


 真刃は双眸を細めた。

 自分は人擬き。部隊においても嫌われ者だ。

 御影や大門と話していると忘れかけるが、自分は孤立している身だった。

 そもそも、それが可能ならば、最初から大門が第八の隊員を同行させている。

 かと言って、特級案件では、真刃たち以外では対応できない。

 仮に、名付きの我霊と戦闘にもなれば、大隊規模の人員でも投入しない限り、誰であってもまず殺される。それほどまでに特級は別格だった。

 単独で、名付き相手でも確実に勝てるとしたら、やはり真刃だけだろう。


(……ままならんな)


 溜息が零れる。と、


「……真刃」


 刀一郎は、胸元に片手を当てて言う。


「流石に今日は歩いた。悪いが入浴したいと思う」


「ああ。構わんぞ」


 真刃は椅子に座ったまま答える。


オレも今日は休むつもりだ。任務とはいえ、温泉街に来て温泉に入らないのもおかしな話だからな。オレも後で行く」


「あ、ああ。そうだな」


 刀一郎は、コクコクと頷いた。


「この地には、何が潜んでいるか分からん。そうだな。うん。ここは戦闘があることも考慮しよう。入浴中は油断するものだからな。どちらかが素早く対応が出来るように入浴は交互にするというのはどうだろうか?」


 と、まるで台詞を考えていたように一息に告げる。

 真刃は「ああ。それで構わん」と答えた。

 刀一郎の言い分には一理ある。

 それに同僚だからと言って、裸の付き合いをする理由もない。


「まずは、お前から入ってこい」


「あ、ああ。分かった」


 言って、そそくさと自室――襖越しの小部屋に入った。

 そうして十分後。


「で、では、行ってくる」


 小部屋から出て来た刀一郎は、そう告げて部屋を出ていった。

 部屋を出て行った刀一郎は浴衣姿だった。

 旅館で用意されている浴衣は、男女用に違いはない。

 あの姿なら、刀一郎が男湯を使用することに問題はないだろう。

 しかし、


「……あいつは」


 真刃は、本当に困った顔をした。


「浴衣を着ても、女にしか見えんのだが……?」


 荷物を持って部屋を出る時に髪をかきあげた仕草など、完全に女である。

 女装が板につきすぎたのか……。

 腕も腰も細すぎて、あれで胸でもあれば真刃でも女だと思う。


『……あやつは……』


 その時、ボボボ、と猿忌が姿を現した。


『……何とも惜しい。ああ見えても気遣いも出来る。粗暴な杠葉よりも、ずっと相応しいというのに。何故だ。何故なのだ。生まれる際に、手違いでも起きたとでもいうのか?』


「……? 何を言っているのだ? 猿忌?」


 真刃は椅子に肘をつきつつ、眉根を寄せた。


『……いや。何でもない……』


 猿忌はかぶりを振った。


『いずれにせよだ。主よ』


 猿忌は言う。


『今日の手応えからして情報収集は困難を極めそうだ。ならば、人海戦術を使ってみるのはどうだ?』


「……ほう」


 猿忌が進言すると同時に、部屋中に幾つもの鬼火が現れた。

 真刃の従霊たちだ。

 死者の魂が精霊化した存在。

 ここに輝くのは百ほどの数だが、総勢では万を超える。


『従霊たちを街に散開させる。異常があれば即座に同調し、情報を共有するのだ』


「……なるほどな」


 真刃は、おもむろに指を組んだ。


「確かに妙案だ。それならばオレの《誓約》にも影響すまい」


『では、早速散開させよう』


「うむ。いや。待て。その前に……」


 真刃は猿忌を片手で制し、この場に現れた従霊たちに目をやった。

 そして、


しらさえはおるか?」


『……ここにおります』


 そう答えるのは女性の声だった。従霊の一体である。

 鬼火だった従霊は形を変え、鶴の姿と成った。

 光を纏う鶴は、恭しく頭を垂れた。


『いかがなされましたか? 我が君』


「うむ」


 真刃は懐から、とある物を取り出した。

 それは、紐を取り付けた六角柱の小さな水晶だった。

 今日の情報収集の際、質問の代わりに土産屋の主人から購入したものである。


「これに宿れ」


『……は』


 白冴と呼ばれた従霊は再び鬼火と成り、水晶に重なってその中に宿る。

 真刃はそれを見届けてから告げた。


「お前は、これから御影の元へと行け」


『……御影さまの元でございますか?』


 真刃は「ああ」と頷く。


「今回は特級案件だ。御影の言う通り、入浴中はどうしても隙に繋がる。そもそも、ここから先は一切の油断も出来ん状況が続くだろう」


 一拍おいて、


「今後、お前は御影の傍にいろ。必要とあれば、お前の独断での戦闘も許可する。あいつを支えて守れ。オレがこのめいを破棄せぬ限り、何よりも優先するめいと心得よ」


 そう命じる。


『……御意。しかと承りました。我が君』


 主の厳命に、水晶に宿った白冴はそう答えた。

 次いで、ふわりと水晶の首飾りが宙に浮き、外の部屋へと出て行った。


『……主よ』


 すると、猿忌が渋面を浮かべた。


『……いささか、御影刀一郎に気を掛けすぎではないか?』


「……そうか?」


 真刃は肘をつき、あごを支えた。


「先程も言ったが、今回は特級案件だ。一人になるのはあまりに危険だ。それに……」


 一拍おいて、真刃は皮肉気な笑みを浮かべた。


「今回に限り、あいつはオレの妻だからな。気に掛けるのは当然だろう?」


『……いや』


 猿忌は、非常に珍しい本気で困った顔を見せた。


『それでも、従霊五将である白冴を専属に遣わすのか?』


 白冴は、万を超す従霊たちの中でも特に強力な五体――『従霊五将』の一角だった。


 ときしずくろうりゅうあか獅子じししらさえ


 魂力の量からして、それぞれが200を超す五将たち。ある理由から表に出すことを控えている本来の・・・戦装束・・・となった時の猿忌を除けば、最強の従霊たちである。

 その中でも、白冴は、多彩な異能を持つ万能の従霊だった。


 それほどの戦力を、御影刀一郎の護衛のために割くと、主は命じたのだ。

 率直に言えば、破格の厚遇である。


『主が、実直な御影刀一郎を気に入っていることは知っているが……』


 猿忌は、渋面を浮かべた。


『どうも、今回の気の掛け方は、本気で紫子たちにも劣らないような気がするのだが……?』


 ……まさか、本当に、御影刀一郎が三人目になるのだろうか?

 従霊の長は、内心で冷や汗をかいていた。

 すると、他の従霊たちも、


『確かに気に掛けているよな』『まあ、元々ご主人はいっちゃんには甘いしな』『そうですね。普段のお二人のやり取りも、綺麗な猫がじゃれているような印象ですし』『けど男だぜ? いいのかそれ?』『いや、戦友とかならいいだろ? 同性の隷者は普通にいるしな』『いやいや、御影の顔を思い出せよ。だからあんな噂が立ってんだぜ?』


 と、様々な声を上げた。

 ただ、実のところ、猿忌を始め、従霊たちも理解はしている。

 主人が、御影刀一郎に気を掛けるのは、大門丈一郎に対するのと同じことだ。

 信を置くに値する者として、言うなれば、友人として気に掛けているに過ぎない。

 今回、特に気に掛けているように見えるのは、やはり特級案件だからだろう。


 当然ながら、そこには一切のやましい想いはない。

 例の噂など、完全に出鱈目だ。


 だが、それでもなお、その噂に、妙に信憑性があるのも紛れもない事実だった。

 それほどまでに、御影刀一郎の容姿は美しく、女性的すぎるのである。

 ――いや、容姿だけではない。時折見せる仕草においてもだ。

 今回の旅においては、もう女性にしか見えないぐらいだ。

 あれで女装しているのだと、誰が気付くというのか。


『あいつ、なんであの容姿で女じゃねんだよ』『まったくだ』『乙女ならば、何の問題もないというのにのう』『実は女であることに一票』


 再び騒ぎ出す従霊たち。

 従霊たちとしては、主人が御影刀一郎に気を掛けることは構わないと思っている。

 愛の形とは、人によって様々だ。

 仮に、御影刀一郎と本当にそういった絆を結んだとしても、臣下一同としては受け入れるつもりだった。だが、現状でその可能性はなく、あの噂には明確な悪意がある。従霊たちは、兎にも角にも、あの悪意塗れの噂が、さらに激化することだけを危惧していた。

 しかしながら、そんな臣下の心を、主君が知ることもなく――。


「……お前たち?」


 騒がしい従霊たちを見やり、真刃は首を傾げた。


「先程から何を騒いでおるのだ?」


 と、尋ねてくる。

 猿忌を筆頭に、従霊たちは押し黙った。


『……ともあれだ』


 ややあって、猿忌は話を元に戻した。


『従霊たちの大半は情報収集に回そう。それでよいな。主よ』


「うむ。任せる」


 そう言って、真刃は窓辺に目をやった。

 従霊たちは、猿忌も含めて瞬時に消えた。

 猿忌は透明化しただけだが、他の従霊は街の各地へと飛んだのだ。

 部屋には、真刃一人の姿だけが残った。

 椅子に肘をつき、真刃は目を細める。


 夕闇の世界。

 山間にかかる日は、すでに沈みかかっていた。


 寂寥の景色だからか、少し胸騒ぎがした。

 そして、


「……夜が来るな」


 真刃は、ポツリと呟いた。

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