第2部 『炎の刃と氷の猫』

プロローグ

第35話 プロローグ

 シン、とした空気に包まれる。

 そこは、とても広い部屋。

 一面に畳みが敷かれ、周囲は襖で覆われた広大な和室だ。

 そこに今、五人の人間がいた。

 上座に当たる場所に座る五人の人物。

 薄布に覆われた人物を中心に、補佐たる四人が座っていた。

 右側には七十代の老人が二人。好々爺といった小柄な人物と、対照的な大柄な人物。

 二人とも和服を着こなしている。

 守護四家の当主たち。


 志岐守豪気と、四奈塚達也。

 意外にも『豪気』という大仰な名を持つのが、小柄な老人の方だ。


 左側には若い人物が並ぶ。

 一人は三十代前半。

 黒いスーツを纏う精悍な顔つきの青年だ。名を墨岡克哉と言う。


 そしてもう一人。彼は薄布に覆われた人物を除くと最も若い。

 二十代後半の男性である。


 ただ、容姿は少し不健康そうだ。体格は不摂生さを感じる痩せ型。伸ばしっぱなしのぼさぼさの髪をうなじでくくり、窪んだ眼差しを見せている。

 大門家の若き当主にして教職にも就く青年。大門紀次郎だ。


「……御前さま」


 大門は視線を薄布に覆われた上座に向けて告げる。


「もうじき、参られるそうです」


『……そうですか』


 その声は薄布の奥から聞こえてきた。

 術を用いているのか、それとも薄布の効果なのか。

 その声は老人なのか、若者なのか、男性なのか女性なのかも分からない奇妙な声だった。

 守護四家の当主の一人ではあるが、大門は御前さま――火緋神家の当主の姿を見たことがなかった。恐らくそれは他の三家の当主もないだろう。

 分かっていることといえば、御前さまはご高齢であり、慈悲深き女性であること。

 そして、守護四家の当主たちを遥かに凌ぐ力量を持っていることぐらいだ。

 むしろ、御前さまについて詳しい者といえば――。


「……失礼いたします」


 不意に部屋の外から声がする。

 侍女の声だ。


「天堂院さまが、おいでになられました」


『……お入り頂いてください』


 御前が告げる。

 すると、すっと襖の一つが開かれた。

 そうして一人の人物が入ってくる。

 大門たちの表情が、微かに警戒するものに変わった。


 ――一言でいえば、不気味な老人だった。

 着ている服は茶系統の和服。双眸は髑髏のように窪んでいるのだが、その奥の眼差しは妖しいほどに輝いている。頭部は年齢のせいか剃髪、代わりに白い髭であごを覆っている。背は高く真っ直ぐだ。体格はかなり大きく、高齢でありながら杖もついていない。足腰も全く揺らぐことなく、普通に歩いていた。


 それこそが、一番不気味な点だった。

 この老人は、すでに百三十歳を越えているという話だ。

 だというのに、精気も覇気も、まるで劣えていないのである。


 怪物。そんな言葉が脳裏に浮かぶ。

 ――そう。怪物。


 天堂院九紗てんどういんくじゃ


「……ふん」


 天堂院老は御前の対面に当たる場所に、ふてぶてしく座った。

 次いで腕にあごを置き、瞳を大きく剥きだして、ギロリと御前を見据える。


「こんな老人を呼び寄せるとは、いい身分なったものだな。火緋神の」


『……あなたが老人の範疇に入るのですか』


 御前は言う。


『それに、今回の会談はあなたの方から提案したこと。ならば、あなたが足を運ぶのは当然だと思うのですか? 天堂院殿』


 そう告げる彼女の声にはわずかにだが、不快感が宿っているように聞こえた。

 守護四家の当主が微かに眉をひそめる。

 温厚な御前さまにしては、とても珍しい対応だ。


「……ふん。貴様に比べれば充分に弱っておるわ」


 と、天堂院老が言う。


「相変わらず貴様は年長者を敬うという気遣いが足りんようだな」


『まさか、私に忖度でも期待しておられるのですか? 我々はそのような友好的な関係でもないでしょうに』


 御前は、かなり辛辣だった。

 この二人が対峙するところは初めて見るが、大門たちは困惑してしまう。

 あまりにも普段の御前さまらしくない。

 明らかに、天堂院老に対し、嫌悪感さえ抱かれているようだ。


「……御前さま? いかがなされました?」


 志岐守老がそう声をかけると、御前は小さく嘆息した。


『いえ。古き知人と再会し、少々気持ちが昂ってしまったようです』


 御前さまと、天堂院老は古くからの知り合いということだ。

 恐るべきことに、大正時代からの顔見知りらしい。

 要は、天堂院老こそが、唯一御前さまの姿を知る者ということだ。

 ただ、それも数十年前までのことだろうが。

 彼らが対峙するのは、実にそれだけの年月が空いているのだ。


 火緋神家の当主と、天堂院家の当主。

 互いにこの国の引導師を牽引する立場にありながら、ほぼ絶縁状態にあった。


 それが、今回、天堂院からの呼びかけで対談が成立したのだ。

 出来れば、友好的に進めたいというのが守護四家の総意だった。

 それは、天堂院側としても同じことだろう。


「……ふん。小娘が」


 天堂院老は苦笑を零した。


「まったく変わらんな。一世紀も前のことをいつまでも引きずりおって。まあ、よいわ。ここは儂が折れてやるのが年長者というものだな」


『…………』


 御前は沈黙する。まだ何か言いたいことがあったようだが、


『……そうですね』


 会談を不和で終わらせたくない。

 御前も折れることにした。


『私と、あなたの因縁はあくまで私人としてのこと。失礼いたしました』


「いや、構わん。儂も大人げなかったようだ」


 と、お互い儀礼的に告げる。これでとりあえず和解だ。

 大門たちは内心で少し安堵する。


「では、早速本題に入るか」


 そんな中、天堂院老は膝の上に肘を置いて話を切り出した。

 その窪んだ眼差しで、薄布に覆われた同じ時代を生きた者を見据えて。


「のう。火緋神の」


 古の時代より生きた者は告げる。


「貴様。今の時代の引導師どもの質をどう思う?」

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