第146話 王と戦士とおしゃべりな猫③

 ――満身創痍。

 まさしく、その言葉が示す状況だった。

 寄合場の大部屋。

 畳を敷き詰められたそこには、黒田信二を始め、二十四人の男性がいた。

 無傷の者は一人もいない。誰もが体のどこかを負傷していた。

 顔色からして、疲労も相当に重いようだ。

 けれど、全員が負傷も疲労も厭わず、鋭い面持ちで座っている。

 真刃と桜華は、彼らと対峙して正座していた。

 真刃は上座に。桜華は『主人』を立てて、少し前に斜角をつけて座っていた。


「改めて名乗ろう」


 真刃が告げる。


「久遠真刃だ。帝都にて引導師を生業としている。ここには休暇で訪れた」


 そこで、桜華の方を一瞥する。


オレの妻の桜華だ。彼女も引導師をしている」


 そう紹介されて、桜華は三つ指をついた。


「妻の桜華です。主人ともども宜しくお願いいたします」


「丁寧な挨拶、恐れ入ります」


 華族に相応しく、正中線に沿って座する信二が頭を垂れた。


「私の名は黒田信二と申します。ここにいる二十四名の代表を務めております」


 そう告げると、信二のみならず、岳士を筆頭に男たち全員が頭を下げた。


「昨夜は危地を救っていただき、誠にありがとうございました」


 信二は告げる。


「もし、お二人のご助力がなければ、我々は全滅していたかも知れません」


「礼など不要だ」


 真刃は言う。


「流石にあの状況だ。見捨てる道理はない」


「それでも、感謝を言わせてください」


 信二は再び頭を垂れた。

 それから顔を上げて、真刃を見据えた。


「久遠殿。そして奥方殿。あなた方は、退魔を生業にされておられる方々とのこと。それを踏まえ、お願いがございます」


 一拍おいて、信二は告げる。


「相応の謝礼は、のちに必ずいたします。ですので、どうか、私どもと、我々の伴侶を助けて頂けないでしょうか……」


 想像通りの言葉が出て来た。

 輪廻の守護のみならず、人々を救うのも引導師の使命だ。

 桜華としては、そんなことは、わざわざ頼まれるまでのことでもない。即答できるような願いなのだが、どうしてか真刃は沈黙していた。


(……久遠?)


 桜華は、視線を真刃の方に向けた。

 真刃は無言のまま座っていた。

 そして、


「正直なところ、迷っている」


 ようやく、真刃は口を開いた。

 だが、その台詞に、信二たちは緊張した面持ちを見せ、桜華は目を見開いた。


「…………真刃!」


 桜華が声を荒らげる。


「迷うとはどういうことだ! 人々を救うことは我々の使命だぞ!」


 桜華のその叫びに、男たちの大半が目を丸くした。

 昨夜の桜華の姿を見ていない者たちである。楚々した仕草と、美しい容姿からは考えられないような、男勝りの口調に驚いたのだ。


「……落ち着け。桜華」


 真刃が言う。


「……率直に言えば、勝算が見えんのだ」


「勝算だと! そんなもの――」


「まあ、聞け」


 真刃は、手を突き出して同僚を諫める。


「誤解を招く言い方だったな。そうだな。仮にオレがこの事件に介入した場合……」


 真刃は、眉尻を上げた。


「最後に立っているのは、オレとあの男だけ。その光景しか想像できん」


「………え?」


 桜華が唖然として呟く。信二たちも緊張した様子で真刃に注目していた。


「あの男は、恐ろしく強い」


 真刃は言葉を続ける。


「あれは、これまで対峙した我霊とは完全に別物だ。守るべき者をすべてかなぐり捨ててようやく五分。それが、昨夜対峙して抱いた印象だ」


「そ、そうなのか……」


 桜華が尋ねる。真刃は「ああ」と頷いた。


オレとて引導師だ。昨夜のように救えるのならば救う。しかし、あの男が相手となると、力を割く余裕もないのが実状だ」


 そこで嘆息する。


「守るべき者を守れない。それは、とても勝利とは呼べんだろう」


「……そうか」


 真刃の台詞に、桜華はふんと鼻を鳴らした。


「確かにそうだな。だが、その問題を解決するのは簡単だぞ」


 そう告げて、自分の胸をポンと叩いた。


「お前は、あの男だけに専念しろ。彼らは自分が守る」


 と、宣言する桜華に、真刃は少し眉をひそめた。


「お前、その意味が分かっているのか? 彼らの護衛だけではない。あの《屍山喰らい》もお前に任せるということだぞ」


「もちろんだ」


 桜華は頷く。


「お前がそこまで警戒するのだ。あの男は本当に手強いのだろう。七つの邪悪の一角なのも誇張ではないということだな」


 桜華は真っ直ぐ真刃を見据えた。


「あの男以外はすべて自分に任せろ。お前は何も気にしないでいい」


「……桜華」


 真刃が、自分で名付けたその名を呟く。


「うん。自分は桜華だ」


 桜華は頷き、そして微笑んだ。


「お前の妻の桜華なのだ。お前の手の届かないところは支える。それが夫婦だろう?」


 桜華は、唇に人差し指を当てる。


「だが、これは大きな貸しでもあるぞ。いいか。これが終わったら、いつかお前には自分の心からの願いを叶えてもらうからな」


 そう告げて、妖艶にも見える笑みを見せた。


「…………」


 真刃は無言のまま、しばし桜華を見つめていたが、


「……そうか」


 不意に、口角を崩した。


「いいだろう。お前がそう言うのならば任せよう。方針は決まったな」


 真刃は、視線を信二の方に向けた。

 信二は「……ありがとうございます」と深々と頭を下げた。


「この恩義は決して忘れません。お礼は必ずいたします」


 岳士たち、他の男たちも手をつき、頭を上げた。


「そう気にする必要もない。だが、奴らがどう出るのか分からんな」


 真刃は呟く。


「囚われている者たちの行方も気がかりだ。どう探るべきか」


 続けて、そう呟いた時だった。


【ああ。それならば、吾輩が教えようではないか】


 不意に、その声は室内に響いた。

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