第147話 王と戦士とおしゃべりな猫④

 室内に、緊張が奔る。

 部屋にいる全員が声のした方へと振り向いた。

 と、そこにいたのは――。


「……みゃあ」


 一匹の猫だった。

 どこにでもいるような三毛猫である。

 猫は、後ろ足で耳を掻いていた。


「……今の声は空耳か?」


 男たちの一人がそう呟くと、


「貴様など、招いた憶えなどないのだがな」


 真刃が淡々とした声で猫に告げた。

 すると、


【フハハハッ!】


 唐突に。

 猫が人語で笑った。


【君はやはり手厳しいな! 久遠君!】


「「「―――ッ!」」」


 信二たちは息を呑んだ。

 その声は、よく知る声だった。

 忘れるはずもない。最も忌まわしい男の声だ。


「……貴様が餓者髑髏か」


 桜華が、警戒した声で確認する。

 対する猫は【いかにも!】と軽快に答えた。


「その猫は式神か? 生きているようにも見えるが?」


 真刃がそう尋ねると、猫は双眸を細めて耳を掻き、


【本物の猫さ。少々体を拝借している。使い魔ふぁみりあという術だ。吾輩は数年ほど異国にいたことがあってね。その国で出会った同胞に教わった術さ】


「……また面妖な術だな」


 真刃は、ふんと鼻を鳴らした。


「それで何の用だ? 何をしに現れた?」


【そのようなこと、決まっているではないか!】


 意気揚々に、猫は答える。


【君たちと打ち合わせをするためだよ! 今宵の興行しょう素晴らしきモノえきさいてぃんぐにするためのね!】


「何言ってやがる! てめえは!」


 猫の台詞に火が点いたのは、岳士だった。

 立ち上がって、握りしめた拳を突き出す。


「てめえのせいで何人が死んだ! てめえのせいで先生までッ!」


【……ああ。武宮君のことか】


 猫は、岳士に視線を向けた。


【彼にはすまないことをしたと、吾輩も反省している。吾輩の失態みすだ。演出が独りよがりであったのだろう。ゆえに、こうして君たちの意見も聞きに馳せ参じたという訳だ】


「てめえはッ!」


 岳士は、今にも猫に跳びかかりそうだった。

 ――いや、岳士だけではない。

 ほとんどの男が、怒りの表情を浮かべて立ち上がろうとしていた。

 一方、猫は呑気に欠伸をしていた。

 恐らく猫自体の本能の行動だろうが、それが怒りに火を注ぐ。


「この糞野郎が!」


 岳士が叫ぶ。と、その時だった。




「――静まれ」




 真刃の声が、室内に響いた。

 決して大きな声ではない。むしろ淡々とした声色だ。

 しかし、その声一つで、岳士たちは動けなくなってしまった。

 例えるなら、あまりにも巨大な生物が、突然、目の前に現れたかのように。

 そんな感覚を全員が抱いていた。


「気持ちは分かる。だが、その猫はただの憑依体だ。捕えても意味はない」


 真刃は言う。


「まずは座れ。この男の狙いを探る方が重要だ」


「あ、ああ」岳士は頷いた。そしてその場にドスンと腰をつき、胡坐をかく。

 他の男たちも、軽く喉を鳴らしつつ、同じように腰を降ろした。


「……真刃」


 その時、桜華が呆れたように告げる。


「あまり周囲を威嚇するな。お前の威嚇は引導師でも委縮するのだぞ」


「……いや。威嚇したつもりはないのだが……」


 真刃は、少し困った表情を見せた。

 むしろ、冷静に声をかけたつもりだったのだが、それが威嚇のように思われたようだ。

 真刃を不機嫌にさせてしまった。そう感じたらしい。


「この反応は、いささか不本意ではあるが……」


 真刃は猫を見やる。


「それで、貴様は何を打ち合わせする気だ?」


【ふむ。そうだね】


 猫は耳を掻く。


【その前に、まずは君たちが知りたい情報を開示しよう】


「……人質に関してか」


 真刃がそう言うと、信二たちは、ハッとした表情で猫に注目する。

 猫は【うむ】と頷いた。


【現時点で無事生きている人間は三十九名だ】


「「「――――ッ!」」」


 信二たち、桜華も息を呑む。

 想定よりも多い。しかし、やはり人数が大きく減っている。


【だが、その内、十五名は数時間の後に死を迎えることになりそうだがね】


「――ふざけんな!」


 男の一人が再び立ち上がる。


「じゃあ、俺の女房は……いや、その人数は昨日の――」


【うむ。その通りだ】


 猫は答える。


【昨夜、亡くなった戦士たちの伴侶たちだよ】


「やめろッ!」


 すると、今度は別の男たちが立ち上がった。


「やめてくれ! それじゃあ、すずりさんは! 先生の大切な人はッ!」


 そう叫ぶのは、昨夜、武宮志信に救ってもらった青年の一人だった。

 すると、猫は【ああ。立花すずり君か】と呟いて、


【安心したまえ。彼女は無事だ】


「え?」


【こちらにも色々とあってね。彼女はその十五名の中に入っていない】


 ただし、と続けて、


【立花君の代わりに、午後には死を迎えるであろう十五名の中には、君たちの伴侶が一人混じっているということだがね】


「――なんだとッ!」


 これには、全員が顔色を変えた。

 気の短い岳士は無論、穏やかな信二までもが、


「僕たちが生きている限りは、彼女たちには手を出さないと言っていたはずだぞ!」


 怒りを露にして叫ぶ。

 それに対し、猫は困ったように尾を揺らした。


【それに関しては、吾輩も心苦しいのだよ。約束を違えるつもりはない。だが、これは彼女の方からの申し入れだったそうだよ。立花君の代わりに自分を連れて行けと】


「……なんだって?」


 信二は眉根を寄せた。


「……おい。屑野郎」


 その時、信二を腕で遮り、岳士が前に出た。

 彼の表情は、どこか覚悟を宿してた。


「教えろ。その女の名は……いや」


 一拍おいて、岳士はその名を口にする。


「すずりさんの身代わりになったのは、俺の女房――多江か?」


【おお! 素晴らしいえくせれんと!】


 猫は目を見開いた。


【よもや状況だけで察したのかね! なんという美しき愛だ! 感動したよ! 君は奥方のことを本当によく理解しているのだね!】


 肯定する猫に、岳士は、ギリと歯を鳴らした。


【彼女は立花君の面倒を見ていたようだしね。ただ、気休めかも知れんが一つ教えよう】


「……何をだ」


 岳士が感情を押し殺した声で尋ねると、


【先程言った十五名は、何も殺す訳ではない。まだ生き延びる可能性はあるのだよ。特に君の奥方は、その可能性が最も高いと思っているよ】


「……多江はまだ生きているってことか?」


【希望を捨てるには、まだ早いとだけ言っておこうかな】


「……そうか」


 岳士は拳を固めた。そしてそれを猫に向けて突き付ける。


「なら、俺はあいつが生き延びることを信じるさ。だがな」


 岳士は、鬼の形相で猫を睨みつける。


「もし多江が死んだら、俺はてめえを許さねえ。地獄の果てまで追っててめえを殺す」


【おお。それは中々に面白いふぁんたすてぃっく


 猫は双眸を細めた。


【君の決意は心に留めていくよ。さて】


 猫は、改めて真刃の方を見やる。

 真刃、そして桜華も険しい表情で猫を見据えていた。


すまないそーりー。話が随分と逸れてしまったかな?】


「別に逸れてはいまい」


 淡々とした声で、真刃は言う。


「彼らにとっては、何よりも重要なことだ」


【ふむ。確かに】


 うんうん、と猫は頷く。

 が、すぐに双眸を細めて、


【ともあれ本題だ。そろそろ始めることにしようか】


 猫は、笑う。


素晴らしき今宵ふぁんたすてぃっく・ないとのために。綿密な打ち合わせをしようではないか】

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