第145話 王と戦士とおしゃべりな猫②

 それは、十分前のことだった。

 久遠真刃と、その『妻』である久遠桜華は、寄合場に向かっていた。

 真刃は紳士服。桜華は桜色の着物姿だ。


 二人は大通りを並んで歩く。

 真刃たちは、未だ夫婦の偽装を続けていた。

 今の状況は、かなり混迷を極めている。

 これ以上の情報は、黒田信二たちをさらに混乱させてしまう。

 真刃たちは任務のことは明かさずに、たまたま休暇で居合わせた引導師の夫婦として振る舞うことにしたのである。


「……久遠。いや……」


 桜華がコホンと喉を鳴らして、尋ね直す。


「真刃。奴らの狙いは何だと思う?」


「……そうだな」


 真刃は、双眸を細めた。


「あの男とは少し対話もしたが、まともに答える気がない印象だった。御影よ」


「……桜華と呼べ」


 隣を歩きつつ、半眼でそう告げる桜華に、真刃は苦笑を零した。


「桜華。お前の方こそどうだ?」


 名前を呼び直して尋ねる。


「《屍山喰らい》からは、何か情報は引き出せたのか?」


「……いや」桜華はかぶりを振った。


「ほとんどが戯言ばかりだったな。唯一、確かなことと言えば……」


 そこで、渋面を浮かべる。


「どうやら、自分はあの餓者髑髏に気に入られたらしい」


「……なに?」真刃は眉根を寄せた。「それは、どういうことだ?」


「自分の容姿が気に入ったそうだ。奴らは自分を『女』だと認識している。あえて偽りの名をあの女に名乗ったしな。あの女は――」


 桜華は小さく嘆息して、自分の胸元に手を当てて告げる。


「自分を捕えて、主への貢ぎ物にすると宣言した」


「……おい、それは」


 真刃は、何とも言えない顔をした。

 今の同僚の姿は、確かに美しい女性のモノだ。顔立ちは無論のこと、声色もどちらかと言えば女性寄りだ。これで本人が女だと名乗れば疑う者もいないだろう。


「……双方揃って何とも難儀なことだな」


 率直な感想を言う。

 桜華は「五月蠅い」と、真刃を睨みつけた。


「結局、情報として得たのはそれぐらいだ。後は黒田さまからお聞きした内容がすべてだな」


「……そうか」


 真刃は小さく呟いた。

 今回の任務の保護対象である黒田信二からは、昨夜の内に状況を聞いている。

 この温泉街に、伴侶と共に来た彼らが餓者髑髏に攫われたこと。

 伴侶を人質に取られ、七夜に渡って我霊との死闘を強制させられていること。

 その七夜を最後まで生き延びれたら、伴侶と共に解放してくれること。

 昨夜は第四夜であり、すでに犠牲者が、四十三名も出ていること。


 ――いや、今も囚われている伴侶たちが無事とは限らない。

 少なくとも、犠牲となった男たちの伴侶は……。


「……八十人以上の犠牲者だと……」


 桜華は、拳を強く握りしめた。


「たった一つの事案で、そんな数の犠牲者など聞いたこともないぞ」


 ギリ、と歯を軋ませる。


「これほどの数を巻き込んで、奴らは何を企んでいるのだ?」


 桜華が怒りで身を震わせていると、


「……目的の一つぐらいならば、推測も出来るぞ」


 真刃がそう呟いた。桜華は目を見開いて、真刃の顔を見上げた。


「本当か! 久遠!」


「ああ」真刃は頷く。「この状況を鑑みればな」


 真刃は一度足を止めた。

 桜華も、それに合わせてそこに止まった。


「奴らは今回の件を興行的なもの……明らかに遊戯的なものとして考えている」


 真刃は、苦々しい表情で語る。


「自身を観客のように思っているようだ。ならば、目的そのものは明瞭だ。遊戯を行う目的は一つしかないからな」


「……遊戯を行う目的?」


 桜華が眉をひそめた。


「それは何だ? 自分は遊戯には疎くてよく分からないが……」


 どこまでも生真面目な同僚に、真刃は皮肉気な笑みを見せた。


「そこまで深く捉えなくてもよい。幼子の遊戯でも同じだ。その目的とは――」


 一拍おいて、告げる。


愉しむ・・・ことだ」


「――――な」


 桜華は、目を見開いた。


「奴らは彼らの戦いを観て愉しんでいる。それ自体が目的の一つなのだろうな。だが」


 そこで、真刃は眉をしかめた。


「それは、我霊の行動理念からはかけ離れているものだ。そこが分からん。他に何か目的があるのか……。桜華」


 一呼吸入れて、桜華に尋ねる。


オレは名付きの我霊には詳しくない。知っているのは、総隊長殿が固執する千年我霊と《屍山喰らい》のようなその眷属だけだ。お前は他の名付きについて知っているか?」


「……他の名付きか」


 桜華は、あごに手をやった。


「そうだな。三年前に起きた『葉山事案』なら資料を読んだことがある」


 ――『葉山事案』。

 それは三年前。とある農村で起きた事件だった。

 大家族で、仲の良さで知られた葉山一家。彼らの家が一体の我霊に占拠されたのだ。

 その占拠は、誰にも知られることなく一夜が明けた。

 翌朝。近くの住人が葉山邸に訪ねると、そこは血の池と化していた。

 その地獄に、一人の幼い少年だけが残されていた。

 葉山家の末弟だ。

 保護されたその少年は、訥々と語った。

 あの夜、突如現れた人の姿をした化け物は、父を惨殺した後、こう告げた。


『そうだね。君たちの「絆」の強さを見せてもらおうか』


 化け物は提示した。

 まず、八人いた家族に短刀を持たせて対峙させる。

 十分以内に自決すれば、相手は助かる。十分経過しても、どちらも自決できないようならば二人とも殺す。そして、最後に生き残った者だけを助けると。

 そうして生き残ったのが、当時八歳だった末弟だった。

 化け物は約束を果たした。

 けれど、家族の遺体を平らげた・・・・後、化け物はこう語った。


『見事な「絆」だったよ、坊や。君のご家族は、最も幼い君を全員で守り抜いたんだ。君はご家族を誇りに思っていい』


 それから、満足げな顔で少年の頭を撫でると、


『君も素晴らしい家庭を築いてくれ。君に新しい家族が出来た頃にまた来るよ』


 そう告げたそうだ。

 そこまで語って、少年は絶叫を上げて気絶した。

 その後、今に至っても、少年の心は彼方を彷徨っているらしい。


「……最悪だな」


 その話を聞いて、流石に真刃も不快感を露にした。


「ああ。怖気が奔る話だが、名付きの我霊の事案はそのようなものばかりとのことだ」


 桜華は、そう吐き捨てる。


「名付きの我霊は言葉を解する。しかし、その心はとても理解できん」


 言って、桜華は再び歩き出した。

 真刃もゆっくりと進み出す。


「そもそも、奴らとじっくりと話をするような、酔狂な引導師もいないからな」


「………………」


 真刃は、数瞬ほど沈黙した。


「………そうだな」


 そう呟く。

 その後、無言のまま、二人は大通りを進んでいく。

 時刻は十一時半ほど。

 人通りは多いのだが、寄合場に近づくほどに人数が減っていく。

 それも当然だった。寄合場には、事前に人払いの術を施しているからである。人々は自然と寄合場から離れていった。

 真刃たちが寄合場の前に到着した頃には、完全に人の姿はなくなっていた。


(……さて)


 真刃は、引き戸に手をかけた。

 鍵はかかっていないが、その戸は心なしか重く感じた。


(どうすべきか。それを決めねばならんな)


 隣に立つ同僚を横目で一瞥しつつ……。

 真刃は、引き戸を開けた。

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