第434話 新たなる拠点➂

 先行するエルナたちに少し遅れて。

 杠葉、桜華、六炉、芽衣。そして綾香とホマレ。

 残りの妃たちが、城壁たる洋館を通り抜けた。

 そして、そこに広がる光景には、流石にみな驚きを隠せなかった。


「……千堂の奴。無茶くちゃなことをしたわね」


 綾香が渋面を浮かべて呟く。


「ふへえ。確かに」


 隣に立つ芽衣がかかとを上げて、遠くを見やる。

 これは完全に街だった。

 景観的には背の低い建屋が多く、古い都のように見える。

 しかし、電線や信号機なども設置されており、景観を損ねないようにしつつ、インフラも整えられているようだ。


「ムロは言ったことないけどテーマパークみたい」


 と、六炉が目を瞬かせて感想を口にする。

 ホマレが「おお、確かに」と敬礼姿で街を見やる。


「ああ。そうかもね」


 苦笑を浮かべつつ、杠葉も同意する。


「どこか造り物って感じがするわね。精巧なジオラマのよう。けど、私や桜華さんにとっては少し懐かしい感じかしら」


 言って、桜華の方を見やる。

 桜華は双眸を細めて遠くまで見つめた。

 そうして、


「……否定はしないな」


 ポツリと呟いた。


「景観の元になっているのは明治か大正時代か? それを模擬しているから、少し造り物めいているのだろうな」


 一拍おいて、


「街というのは、本来、いでいで変化していくものだ。需要によって部分的に建て直し、道を広げて造られていく。生き物のように常に変化を続けていくのが街だ。しかし、この街は最初から形が決められているのだろうな」


 そう呟く。

 明治、大正、昭和、平成、令和。

 五つの時代を生き抜き、根こそぎ人も街も失う戦争を体験したことがある百年乙女の言葉には実感が籠っていた。


「いざという時の決戦の場としても考えているのだろう。しかし、ここにはどれぐらいの人間がいるのだ?」


 桜華は少し離れた場所で、エルナたちに熱弁している千堂を見やる。

 恐らくこの街に関して語っているのだろう。

 尋ねれば、意気揚々と教えてくれると思うが、今はどうにも声をかけにくい。

 理由はエルナたちがいるからだ。

 それは杠葉たちも同じだった。

 桜華のみならず、杠葉や芽衣。六炉も少し気まずげな表情を見せている。

 あれ以降、仲違いしている訳ではないが、どうにも気まずさだけが残っていた。

 変な気遣いの感情が先走っているような感じだ。まだ明らかに子供である燦と月子、茜と葵に関してはいいが、微妙な年頃のエルナたちの扱いは難しかった。

 こうして、すぐ傍にいるのに合流しないのもその気まずさの顕れだった。


「……くだらないわね」


 すると、綾香が呆れた様子で口を開く。


「たかがセックスのことでしょう。気軽に考えなさいよ」


「……綾香ちゃんはドライだね」


 芽衣が嘆息しながら言う。


「結局、綾香ちゃんもシィくんの隷者ドナーになることにしたんでしょう? じゃあ、今夜にでもシィくんと《魂結びの儀ソウルスナッチ・マッチ》をするつもりなの?」


「ええ。そうよ」


 長い髪を払って綾香は答える。


「今の隷者ドナーたちとの契約もすでに解いたわ。今夜で一気に第二段階まで行くつもり。それだけのメリットがあるし。ただ私は妃になるつもりはないわよ」


 一拍おいて、


「あくまで幹部としてよ。セックスも一度限り。ただの儀式よ。少なくとも今回はね」


 綾香は苦笑を浮かべた。


「まあ、この際、言っておくけど、いずれは久遠の子は懐妊するつもりよ。ただそれは西條家の復興のため。別に久遠に認知してもらう気もないから。敵視しないでよね」


 綾香の宣言に全員が注目する。

 十数秒の沈黙。

 そして、


「……えっとね」


 おもむろに、芽衣が口を開いた。


「明日の朝。綾香ちゃんがガクガクでメロメロになっていると思う人、挙手」


「……はあ? どういう意味よそれ」


 と、綾香が険悪な眼差しで芽衣を睨みつけるが、構わず手が挙がった。

 その数は三本だった。

 芽衣、六炉、杠葉である。


「「「え?」」」


 三人はキョトンとした顔で桜華に目をやった。

 桜華だけは手を挙げていなかった。

 腹部を抑えるように腕を組んでおり、そわそわと視線を逸らすと、


「い、いや、自分もそう思うが、その、それは今夜ではないというか」


 と、しどろもどろに言う。

 芽衣たちは、一瞬、訝しげな顔をするが、すぐにハッとした。

 全員が自分のスマホを確認する。

 しかし、


「……あれ?」


 芽衣が呟く。


「桜華さんの寵愛権とれてないよ? え? これからのつもりやったん?」


「い、いや違うんだ」


 桜華が顔を赤く染めて言う。


「その、雰囲気でな。あいつの方から予約されたというか……」


「「「……………」」」


 芽衣たちはジト目で桜華を見やる。

 綾香は「アホくさ」と呆れた様子だ。

 と、その時だった。


「ダッシャアアアアアああッ!」


 ――バチィンッ!

 ホマレが思いっきり桜華の胸を横にはたいた。

 宿敵・ポメラニアンも瞠目するほどの俊敏な動きだった。


「な、何をするか!」


 思わず自分の胸を両腕で押さえて後ずさる桜華に、


「うっさい! 桜華ちゃんのアホウ! 無意識にエッチありきのラブラブを見せつけるな!」 


 ホマレは、フシューッと鼻息を立てて、


「そういうとこだぞ! エルナちゃんたちがキレるのって!」


 劇画タッチの勢いで、そう告げるのであった。


「「「……………」」」


 桜華はもちろん、杠葉、芽衣、六炉まで黙り込んでしまう。

 ホマレはさらに叫ぶ。


「とりあえず今夜のところは綾香ちゃんに譲りなよ!」


「あ、ああ」


 桜華はコクコクと頷く。


「そんで明日の晩はホマレの番だよ!」


 その勢いのまま、自分の番をねじ込むのであった。


「……くだらないわね」


 綾香がうんざりした様子で呟く。

 立ち話もやめて歩き出す。

 そして桜華の横を通り過ぎる際、


「まあ、いいわ。いずれにせよ、今の私は隷者ドナーがいなくて弱体化してマズいのよ。だから今夜は譲ってもらうわよ。漆妃」


 と、告げた。




 そうして翌朝。

 引っ越し前のホライゾン山崎の十階層にて。

 一人、綾香はキッチンにいた。

 身に纏うのは白い和装。それを帯で止めている。

 何気に純和風美女である彼女には、とてもよく似合っている。

 綾香は、キッチンでコップを取り出して水を注いだ。

 それをゴクゴクと呑み干していく。


「………ふゥ」


 と、息をつく。

 綾香はしばし空になったコップを見つめた後、その場に置いた。

 さらに数秒の沈黙。

 綾香は視線のみ逸らすと、口元を両手で隠した。


「………………」


 そのまま沈黙を続ける。

 肌は徐々に赤みを帯びて、心音は高鳴り続けていた。

 思い出すのは昨夜のことばかりだ。

 まさか、まさかこの自分が……。


『……お前の事情は分かった。だが、それは受け入れがたいぞ』


 脳裏でリフレインされるのは、昨夜の彼の言葉だった。

 そして、


「………~~~~」


 キッチンに両手を置き、真っ赤な顔で唇をヘの字に結ぶ。

 あれはない。

 絶対にない。

 出来れば夢であって欲しい。


(昨夜のあれは何っ!? 私なの!? ホントに私だったの!?)


 心臓がバクバクと鼓動を打つ。

 今は正気さえも疑う。

 あのトロけようは絶対にない。


(い、いえ、あれは久遠が卑怯だったから!)


 綾香は、長い髪を揺らして、ブンブンとかぶりを振った。

 ――そう。あれは卑怯だった。

 順序を逆にされたのだ。

 第一段階の契約が先だと思っていたのに。

 いきなり強く抱き寄せられて、唇を奪われた。

 そうして、


「~~~~~っっ」


 顔を両手で抑えて天を仰ぐ。

 とても力強く、優しく。

 生まれて初めて、男の腕の中で果てて。

 それからはもうひたすらに愛されて、自分でも聞いたことのない甘い声のみならず、心の底にずっと抱え込んでいた怒りや不安、怯えも口に出していた。


 涙も流していたと思う。

 気付けば、必死な虚勢も、心の鎧もすべて剥がされていて……。


『……綾香。改めて問うぞ。お前の望む道はなんだ?』


 あんな状況で。

 あんな優しい声で。

 あの問いかけは本当に卑怯だと思う。


(卑怯っ! 久遠の卑怯者っ! もうっ! バカっ!)


 今度は少し跳びはねながら憤慨する。

 と、その時だった。


「綾香ちゃん」


 後ろから声を掛けられる。

 綾香は「ひゃいっ!?」と変な声を上げてしまった。

 振り返ると、そこには私服にエプロンを付けた芽衣がいた。


「おはよう。綾香ちゃん」


 芽衣はにっこりと挨拶をする。

 綾香はまだ赤い顔でコクコクと頷き、


「え、ええ。おはよう」


 と、応えた。


「どうしたの? こんなところで?」


「の、喉が渇いたのよ」


 綾香は視線を泳がしながら答える。


「その、昨夜は熱も出したから」


「……そう」


 芽衣は瞳を薄く細める。


「じゃ、じゃあ、私は行くわ。喉も潤ったし。朝は会議もあるし」


 言って、綾香は立ち去ろうとする。

 しかし、その足取りはフラフラとしていた。


「あ~や~か~ちゃん」


 そんな綾香を、芽衣は後ろから羽交い絞めにして告げる。


「そんな格好で出歩いたらダメだよォ。昨日のホマレさんの台詞は正論だから」


「そ、そうね。迂闊だったわ」


 芽衣に捕らわれたまま、綾香はコクコクと頷く。


「うん。分かればよろしい」


 言って、芽衣は綾香を離した。

 綾香はいそいそとその場から撤退しようとするが、


「綾香ちゃん」


 そんな彼女の背中に芽衣は告げる。


「昨夜、シィくんに自分の考えをド直球で言っちゃったんでしょう?」


「……うぐっ」


 綾香はそこで立ち止まる。

 芽衣は大きな胸を揺らして「……はァ」と溜息をついた。


「あのね。シィくんは綾香ちゃんが頑張ってくれてたことを誰よりもよく知っているんだよ。見てきたんだよ。そんなシィくんが綾香ちゃんを雑に扱うとでも思ったの? みんな分かってたよ。あんなことを言い出す綾香ちゃんをシィくんが放っておくはずがないって」


 そこで綾香の背中にジト目で向ける。


「綾香ちゃんたちがシィくんに名付けたんじゃない。強欲都市の王グリード・キングって。愛すると決めた時のシィくんの強欲と包容力と愛の深さを舐めんなよ」


「………うぐゥ」 


「それでどうするの? 捌妃の座は空いてるけど?」


 十数秒の沈黙。

 そして、


「い、壱妃たちの反応が怖いから、とりあえず今は準妃筆頭にしといて」


 そう答える綾香であった。



 ちなみに、その翌日。


「なんでホマレは第一段階止まりなんだよお! ホマレは合法なんだぞ!」


 未だ実年齢を疑われていたために嘆く人物がいたのだが、それは余談である。





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