第435話 新たなる拠点④

 ――某国某日。

 そこは小さな島だった。

 大国に属する島。人口としては四千人程度だ。

 定期便は五日に一回。貨物船が来るのは一ヶ月に一度だ。

 森も海を美しい景観なのだが、観光を売りにするにはいささか遠すぎた。住民の生計は漁業と自給自足で成り立つところが大きい。

 この島はほぼ独立している小さな世界とも言えた。


 そんな世界に、彼は妻と共に移住してきた。

 切っ掛けは、妻が余命を告げられたことだった。


 彼――ロブ=ボーマンは引導師ボーダーだった。

 しかし、大した実力ではない。

 名家の出身でもなく、系譜術クリフォトも受け継いでいない。

 どちらかと言えば『はぐれ』と呼ばれる引導師ボーダーだった。

 霊具の拳銃ベレッタに頼って、下級我霊エゴスを狩ることで生計を立てていた。


 妻は、そんなロブに二十年以上も付いてきてくれた奇特な女性だった。

 凡庸以下の彼の相棒であり、唯一の隷者ドナーでもあった。


 そんな妻が余命わずかだと知った時。

 ロブは引導師ボーダーを引退する決意をした。

 年齢的にも五十を越えている。

 この小さな世界で妻と残された時間を穏やかに過ごすつもりだった。


 その願いは叶った。

 いや、もっと素晴らしいモノとなった。

 この島でロブは教師をしていた。

 小さな小学校だ。

 教え子たちはどの子も良い子だった。

 余所者のロブを先生と慕ってくれ、妻の元にもよく来てくれた。

 子宝に恵まれなかったロブたちにとっては本当の子供のようだった。

 妻は、ロブとそんな子供たちに看取られて安らかに逝った。


 ロブは亡き妻に誓った。

 子供たちを一人前に育てて無事に巣立たせると。

 何ものにも代えがたい誓いだった。


 だというのに――。


くそがシットッ!」


 ロブが舌打ちする。

 その日は朝から嵐だった。

 それも凄まじい荒天だった。

 雷雲は轟き、暴風は足をすくい、豪雨は痛いほどだ。

 そんな中、ロブは孤軍奮闘していた。

 ――ドンッ! ドンッ!

 拳銃が火を噴く。

 愛用のベレッタ。そして妻の形見のコルトパイソンだ。

 それぞれの弾丸によって、二体の怪物の頭部が破壊された。


 ――いや、怪物ではない。

 それは住民たちの成れの果て。

 動く死体ゾンビとなった住民たちだった。

 それも一人や二人ではない。

 船着き場であるここから見渡す限り、どこも死体だらけだった。

 ぞろぞろとロブたち・・を追ってくる。

 まるで島の住民がすべて動く死体ゾンビになったような光景だった。


 ――ドンッ! ドンッ! ドンッ!

 ロブは近づいてくる動く死体ゾンビから撃ち倒していく。

 この二丁は仮にも霊具だ。一撃で仕留めるほどの効果がある。

 しかし、あまりに数が多すぎた。


「――先生ッ!」


 その時、背後から声が聞こえる。

 ロブの生徒の一人。最年長者のレックスだ。


「みんな船に乗った! 出航できる!」


 そう言って、自身も動く死体ゾンビにライフルを撃つ。

 腕は悪くないが、ライフルの弾丸では少し動きを止めるだけだった。


「迎撃はいい! ここは俺に任せてお前は船を出すんだ!」


 生徒たちは、全員、漁船に乗せている。

 この悪天候で小さな漁船を出すのは自殺行為かも知れないが、このまま島に留まれば待っているのは確実な死だ。一か八かに賭けるしかない。


「行くんだ! 生き延びろ!」


「けど、先生!」


「レックス!」


 ロブは叫ぶ。


「ありがとうな。お前たちのおかげであいつは笑って逝けた。レックス。お前らは俺たち二人の子供たちなんだ」


 ロブは相棒ベレッタと妻の形見コルトパイソンを強く握りしめる。


「子供たちを守るためなら、親ってのは幾らでも体を張れんだよ。だから行け。俺のために行ってくれ。レックス」


「………先生」


 レックスは泣きそうな顔で俯いた。

 そしてギュッと一度だけ瞳を閉じて背を向けて船へと走り出した。


「……それでいい」


 ロブは笑う。

 そして、


「さあ、来やがれ! ここから先は一歩も通さねえ!」


 二つの銃口を迫り来る動く死体ゾンビたちに向けた。

 ――が、その時だった。

 パチパチパチ、と。

 動く死体ゾンビの群れの中から拍手が起きた。

 ロブは「――な」と目を剥いた。

 動く死体ゾンビの群れの中であって、一人、無傷で近づいてくる青年がいたのだ。

 年齢は二十代前半ほど。碧眼と逆立つ金髪。後ろ側の髪は長く、うなじ辺りで尻尾のように纏めている。どこにでもいそうな青年だ。


 だが、ロブはこの青年の顔を知っていた。

 同時にこの状況のすべてを理解する。


「――てめえ! 《死門デモンゲート》か!」


 ――ドンッ! ドンッ!

 二丁の拳銃が火を噴いた。

 弾丸の一つは青年の肩に。もう一つは額に直撃するが、青年は仰け反るだけだった。


「ああ~、なかなか良いドラマだったぜ」


 青年――《死門デモンゲート》のジェイは弾丸を歯牙にもかけずに話しかけてくる。


「俺の趣味じゃないが、きっと叔父貴なら感動していただろうな」


「……どうして、てめえみたいな化け物がこんな島にいる……」


 歯を軋ませてロブが問うと、ジェイは肩を竦めた。


「エキストラの募集だよ。あの国じゃあ今はあんま派手に動けねえからな」


「訳の分からんことを」


 ロブは後方の船を気にしながら、


「もう少し分かるように説明しやがれや。くそったれが」


 時間稼ぎの会話をする。

 しかし、それはジェイにすぐに気付かれたようだ。

 肩を軽く竦めて、


「まあ、別に出航までってやってもいいさ。お前らも止まりな」


 そう告げると、動く死体ゾンビたちは一斉に動きを止めた。

 ややあって船が出航した。

 荒波に翻弄されつつも、少しずつ進んでいく。

 ロブにとっては有り難い。

 しかし、


「どういうつもりだ?」


 ジェイに問う。

 すると、


「いや、さっきの話だが、叔父貴なら感動した。きっとあの人もだ。たださ」


 ジェイは、ポリポリと頬を掻いて告げる。


「あのガキども、叔父貴ならあんたの覚悟に免じて見逃しただろうな。けどさ、あの人はそこら辺が厳しんだよ。手心は加えねえ。リアリティ重視派なんだよな」


「……なんだと?」


 ロブが眉をしかめたその直後だった。

 途方もない大きさの白い雷が小さな船を呑み込んだのは。

 ロブは目を剥いて振り向いた。

 燃え上がる船は荒海の中に呑み込まれていった。


「あ、嗚呼……」


 ロブは両膝をついた。

 頭の中が真っ白になる。


「あ~あ、やっぱこうなっちまったか」


 ジェイは肩を竦めて嘆息した。

 ロブは血が滲むほどに唇を噛んだ。

 そして、


「この悪魔がアアアアアッ!」


 絶叫と共にジェイに銃口を向けた――。



 そうして。

 十分後。

 島の空は、ガラリと変わって晴天だった。

 島の高台。

 その晴天に向かって背伸びをする者がいた。

 年齢は十代後半か。

 スカートの短いゴシックロリータドレスを着た少女らしき存在だ。

 小柄ながらも豊かな胸に、引き締まった腰と印象的な存在だが、最大の特徴は大きく広がる白髪と顔の上半分を覆う黒い仮面か。


「うん。晴天だね!」


 気持ちよさげにそう呟く彼女に、後ろからジェイが近づいていく。


「すみません。Uの姐さん」


 足を止めて頭を下げる。


「姐さんほどの御大おんたいに俺のストック集めを手伝わせてしまって」


「ああ~、気にしないで」


 Uはジェイに対してパタパタと手を振った。


「なかなか良いモノも観れたしね!」


 それに、と続ける。


「髑髏さんにはちょいと無茶な要求をしちゃったし。これが済んだら、今度はUが好きに動いてもいいって約束だからね!」


「……はあ」


 ジェイは生返事をした。


「そういや、叔父貴にした姐さんの要求って何なんですか?」


「まあ、ちょっとした再会の前倒しってところかな?」


 クルクルとUは回る。

 それに追従して黒いスカートの裾も弾んだ。


「いやいや、キャストの資料を見て驚いちゃったよ……ふふ」


 そうして。

 彼女は楽しげに微笑んで呟いた。


「楽しみだな。どんなふうに成長したのかな? あの日の愛娘ちゃんは」


 ――と。





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