第448話 緊迫の夜④
その頃。
天雅楼本殿の執務室。
そこには今、二人の人物がいた。
さらに霊体の猿忌も宙に浮いている。
真刃と杠葉、猿忌もまた険しい表情を浮かべていた。
重い沈黙が続く。
そして、
「……私の失態だわ」
杠葉が重い口を開いた。
「こんな最悪な形で月子ちゃんに真実が告げられるなんて……」
「それはお前のせいではないだろう」
指を組んで、真刃は言う。
「凄惨な事実を幼い月子に隠しておきたいと考えたお前の判断は当然だ。それは誰にも責められるようなことではない」
一拍おいて、大きく息を吐きた。
「
「だとしてもよ」
額に片手を当てて、杠葉はかぶりを振った。
「私は千年我霊同士に繋がりがあることを実体験で知っていたのよ。月子ちゃんのご両親を殺したのが、第漆番である可能性が高いことも知っていた」
ギュッと強く唇を噛む。
「いくら半世紀以上前のことだったとしても千年我霊同士の繋がりも想定すべきだったわ。餓者髑髏のみならず、月子ちゃんのご両親の仇が現れることを」
『……それを悔やんだところで仕方あるまい』
猿忌が言う。
『月子のことは目覚めたら報告するように狼覇に伝えておる。すべては目覚めてからだ。今は現状を正確に把握すべき時ぞ』
「……そうだな」
真刃は小さく息を吐いて天を仰いだ。
「月子は目覚めたらすぐに様子を見に行く。ならば今できることは確かに現状の把握だけだ」
真刃の言葉に、杠葉も辛そうな表情のまま頷いた。
猿忌が『……うむ』と首肯して告げる。
『なにせ一気に敵勢力が想定の三倍に膨れ上がったのだ。看過できぬ』
「……『三千神楽』だったな」
双眸を微かに細めて呟く真刃。
「くだらん名を付けたものだな」
「……あの男らしいわ」
杠葉が呟く。
真刃と猿忌は杠葉に視線を向けた。
『それは第壱番のことか?』
猿忌がそう尋ねると、杠葉は「ええ」と答えた。
「遭遇したのは一度だけ。けれど、あの男は存在感が異様だった」
緊張した顔で一呼吸入れて、
「あまりに他の我霊とは『世界』が違う感じがした。正直な話、今回、あの男が参戦していないことにはホッとしているの」
「……神刀を持つお前がそこまで警戒するのか」
真刃は眉をしかめた。
それから一拍おいて、
「だが、その代わりに参加したのが第参番ということか」
「ええ。そうね」
杠葉は小さく嘆息した。
「そっちにも私は因縁があるから笑えないわね。とりあえず、第壱番と第参番の
表情を鋭くして、杠葉は真刃を真っ直ぐ見据えた。
「第参番は私が倒すわ。構わないわよね?」
「……ああ」
真刃は、少し間を空けて首肯した。
「
「ええ。そうね」
杠葉は頷く。
「第漆番は桜華さんに。それと六炉さんにお願いするしかないわね」
それしか人選がなかった。
とは言え、無謀な人選ではない。
たとえ
だが、これで真刃側の主力は、全員、千年我霊に割り当てられることになってしまった。
餓者髑髏の妻である《
『厳しいところだな』
猿忌が指摘する。
『こちらの思惑通りに、主たちがそれぞれの標的と対峙できたとしても戦力不足は否めぬ。勝利しても多大な犠牲を払うことになるぞ』
「……ああ。それに加え、月子と第漆番の因縁も憂慮すべきことだ」
真刃は渋面を浮かべる。
「月子は誰よりも優しき娘だ。だが、激しい怒りと憎しみは人を狂わせる。
かつての時代でのことを想いつつ、真刃はそう呟いた。
「……真刃」
杠葉が、微かに視線を伏せて真刃を見つめる。
「……すまんな」
真刃は苦笑を浮かべてかぶりを振った。
「余計な呟きだったか。だが、月子のみならず燦とかなたの方も心配だ。二人は特に月子と親しい。第漆番と遭遇した場合、平静ではおられんだろうな……」
「……そうね」
杠葉が眉根を寄せる。
「けど、それは他のメンバーでも言えることよ。エルナさんたちはもちろん、近衛隊のメンバーでも今回のことには相当に憤慨しているわ」
もともと、月子は常に穏やかで、誰に対しても礼儀正しい少女だ。
近衛隊を始め、《
『勇み足になる者が出そうだな』
と、猿忌が警告する。
「そこは慎重を徹底させるしかあるまい」
真刃が猿忌を一瞥して返す。
「まずは月子と燦、かなたが無謀なことをせぬように誰かを付けよう」
そこであごに手をやって、眉をひそめる。
「……しかし、エルナや刀歌では同調してしまうかもしれんな」
「ええ。そうね」
杠葉が首肯する。
「けど、綾香さんは真刃の代行で指揮することが多そうだし、千堂さんはそこまで月子ちゃんたちと親しくないから、山岡さんと芽衣さんに頼むのが良さそうね」
「うむ。そうだな。だが」
重々しく真刃は息を吐いた。
「いずれにせよ、問題は戦力不足か。天堂院家から八夜を借りてくる手もあるが……」
「確か、その子って六炉さんの弟さんよね?」
杠葉が眉をひそめる。
「けど、出奔中の六炉さん以外の直系を呼んだりしたら……」
「ああ。間違いなく総隊長殿に
すでに『父』の一派には重要な霊具を奪取されているのである。
ここは敵対勢力であると見るべきだった。
だからこそ、天堂院家と関わるには慎重にならなければいけなかった。
(やれやれだな)
真刃は嘆息する。
何ともままならない状況だった。
「総隊長殿には六炉のためにもいずれ会うつもりだが、今は避けたい」
そう告げてから、真刃は杠葉を見やる。
「……杠葉」
「みなまで言わないで」
杠葉はかぶりを振った。
「それが最善よね。わざわざ私の身代わりまで務めてくれた猿忌には悪いけど」
『……ふん』
猿忌が鼻を鳴らす。
『気に病むことでもない。これからお前が面倒になるだけの話だ』
「……そうね」
杠葉は深々と溜息をついた。
「今さらよね。巌さんには怒られるかしら?」
『老いては子に従えという言葉もある。だが、子に叱られることがあるのならば、それは子がそこまで成長したと喜ぶべきことだろう』
「まあ、そうなんだけど」
杠葉は、くすりと笑う。
「まさか猿忌にそんな言葉を掛けられるなんてね」
『ふん。主の意向がなければ、我は今もお前を妃として認めておらぬ。認めてほしくば少しでも主の役に立つことだな』
吐き捨てるようにそう返す猿忌。
大体の者には公平な従霊の長だが、杠葉にだけは厳しかった。
と、その時。
――コンコン、と。
執務室のドアがノックされた。
真刃たちがドアに目をやると、
『私よ。久遠』
綾香の声が返ってきた。
『山岡の代わりにお客さまを案内して来たわ』
続けてそう告げる。その短い説明だけで、忙しい中でありながら綾香が月子のために山岡の代わりを買って出たのだと真刃は察した。
「入ってくれ」
真刃はそう告げた。
ドアが開かれて、綾香と客人――火緋神耀が入室してくる。
真刃は立ち上がり、執務席の前に移動する。
「改めてご挨拶を」
真刃は耀に手を差し伸べた。
「久遠真刃だ」
「火緋神耀です」
二人は握手を交わす。
しかし、すぐに微かに眉をひそめた。
彼には、事前に山岡から事情が伝えられているはずだった。
恐らく、この場に『御前さま』の姿が見えないことに疑問を抱いたのだ。
「久遠殿」
耀は尋ねる。
「不躾ながら単刀直入にお尋ねします。すでに粗方の事情はお伺しています。御前さまは本当にご健在なのでしょうか?」
「ああ。無論だ」
真刃は頷く。
そして杠葉の方へと視線を向けた。
耀も訝しげな眼差しで杠葉の方に目をやった。
すると、
「……ふふ」
杠葉は瞳を細めた。
そうして、
「久方ぶりですね。お元気そうで何よりです。耀さん」
かつての火緋神家の長として。
杠葉は、穏やかに微笑むのであった。
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